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第三話 過ちにて、会いたいという想い

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夏は私の好きな季節だった。私は旅館の仲居として働いていた。来る日も来る日もお客様のお世話や、料理を運んだりして疲れ果てた毎日を送っていたが苦ではなかった。いつか自分の娘と再会できる日が訪れると思えば苦しくはない。

「七絵さん、ちょっとあずささん! 少し休憩にしましょう」

七絵あずさ。私の名前。

「はい、そうします」

私は旅館の休憩室にてお茶をすする。

「あずささん、聞いてくださいよ! 私の彼氏、私とのデートすっぽかして友達と遊んでいたんですよ!」

私はもう三十近くなるが、こうした年下の子の話を聞くのが何よりも楽しくて微笑んでしまう。

「いいじゃない。別に浮気されたわけじゃないんでしょ?」

「そりゃ、そうですけど、許せないじゃないですか!」

「うふふ。きっと彼氏さんも後悔していると思うし、プレゼントでもねだってみたら?」

彼氏か……
十代の頃、私はたくさんの男と関係を持っていた。同い年もいれば、年下や年上もいた。両親もおらず施設育ちだった私は愛を求めて体を許していたんだと思う。避妊もしないから妊娠だってする。
お腹が大きくなったころ、私は嬉しくて怖かったのを覚えている。それは矛盾した感情に支配されていた。
陣痛が始まって出産を終えれば、私と同じ赤い髪の赤ちゃんが産声を上げていた……

「会えて嬉しいよ……」

あのときの嬉しさときたらない。私の可愛らしい女の子の赤ちゃん。祭里と名付けたが、祭里に問題があることはすぐにわかった。先天性の知的障害だった……

「あの、七絵さんにお客様がお見えになってますよ。探偵事務所の方らしいんですけど……ロビーで待ってますよ」

怪訝そうな仲居仲間に言われ、私は居ても立っても居られず休憩室を飛び出す。
ロビーのソファに座る背広の男性は立ち上がると、私に深々とお辞儀をしたので私もお辞儀を返した。

「ご依頼された調査結果が出たのでお伺いしました。お仕事中に申し訳ありません」

「い、いえ、大丈夫ですよ……」

私は緊張していた。娘の居場所がわかったのか? それともわからなかったのか? 後者は絶対に嫌だ……

「娘さん。七絵祭里ちゃんの居場所。わかりましたよ」

私は嬉しくて涙が出そうだった……

「海沿いの小さな田舎町にいるようです。お世話している学校の先生も過去にトラブルを抱えていたようですが、今は立ち直られているようで、立派に親代わりをされているみたいですよ」

「学校の先生が祭里の面倒を見てくれているんですか?」

「はい。蒼井夏希という女性教員の方で、過去のトラブルというのは、受け持っていた女子生徒が自殺したとのことでして……」

申し上げにくそうに探偵事務所の人は告げる。私は祭里のことが一気に心配になった。

「そんな人と一緒に生活していて、祭里は大丈夫なんですか?!」

それはどの口が言えたことなのだろうかと、自分でも思った……

「あの、心配を煽るようで申し訳ないのですが、娘さん、少し行方不明になって、どうも警察沙汰になったようでして……でも大丈夫。ちゃんと保護されたようなので」

何かが嫌になってその先生のもとから逃げ出したのだろうか……? だって受け持った女子生徒が自殺しているのだから……

「ご依頼どおり娘さんの居場所が記載された住所をお渡しします。それとこれはこちらで調査した結果、あなたについてわかったことなのですが……」

私の背筋は凍り付いた……隠していたこと、黙っていたことがきっとバレているのだから……

「あなた。裁判所から娘さんへの接近禁止命令受けてますよね……」


私は一人電車に揺られていた。誰もいない電車内でまだ小さかった祭里との日々を思い出していた。

「祭里。ごはんもうすぐできるからね」

私は祭里と二人で古いアパートの一室で暮らしていた。貧しくても私は大好きな娘といられて幸せだった。

「ごはん……お、おなかすいた……ご……ごはん……」

知的障害のほかに言葉の遅れが祭里にはあった。あのときの私はまだ祭里の未来を信じていたから、支えてあげる優しさがあった。

「今日の夕飯は祭里が大好きなものです。それは卵とごはんとケチャップを使った料理です。祭里ちゃんは答えられるかなー?」

「え、えーと……オウムライス……!」

祭里はあの日、笑ってくれた。それは楽しみそうに笑ってくれた。言葉の遅れはまだまだ直りそうになかったけど、私は嬉しくて幸せだった。

「よくできました」

私は嬉しく笑う祭里を抱きしめた……
まだ幸せだった私。きっと祭里もそうだったと信じたい。信じたかったけど……生活。お金に困った私は夜の仕事を選んだ……
毎日飲めないお酒を飲んで疲れ果てた日々を送っていたけど、次第にお酒の味にも慣れていった……
祭里と一緒に住む古いアパートに、誘惑して違う男を連れ込んでは、祭里を押し入れに閉じ込めて、事に及んでいた……

気がつくと電車は海沿いの田舎町に停車していた。電車から降りると、涼しい夏の風が吹いているから、そこは心地い場所に思えた。

「祭里。いい場所に住んでるね。母さん。少しだけ安心していい……?」

「あんた……お願いだからもういなくなってくれない……」

いつも過去の私が安心をさせてくれない……祭里を虐待し始めた私が、涼しい夏の中で私を見ている……

「か、母さん……お、おなか……すいた……」

「うるさい……殴るよ……」

私がこう言えば、祭里は黙ってくれる。これ以上殴られることが嫌なのは、知的障害があっても理解できるはずだ。可愛い顔に私がつけた痛々しい痣があるのだから……酷い二日酔いだからとにかく寝かせてほしい……のだけど……お腹を空かせた祭里のことが気になって眠れやしなかった……

「祭里。サンドイッチ食べる?」

「うー……?」

困り果てたように小首を傾げる祭里。こいつにサンドイッチなんて食べ物理解できるはずがない。

「あんたが少しでもまともなら、私はきっとこうはならなかった……」

祭里が普通の子と同じならと考えない日はなかった。
食パンの耳を切り、私はサンドイッチを作る。

「どうしてあんたなんかのために私が惨めなの……?」

私が静かに言葉にすると、祭里は殴られると思ったらしく、それは怯えながら私を見ている。怯えたその赤い目がとにかく気に入らない。

「ほら、食べなよ」

私はサンドイッチをわざと皿から落とした。

「い、いあただきます……」

相変わらず言葉が遅れている祭里。本当に嫌で惨めさが増す……
床に落ちたサンドイッチを食べる祭里を見て、本当は悲しいはずなのに、怒りだけが私を支配していた……

「あんたなんかが生まれてきたから! 私は惨めなんでしょ!?」

私は気がつけば祭里を殴っていた……
祭里は泣きながらも床に落ちたサンドイッチを食べていた……
どれくらい時間が経ったのだろうか? 祭里は床に落ちたサンドイッチをまだ食べている。私は呆然とその光景を見つめていた。実の娘の心の傷が深くなるのを見つめていた……

「祭里。少しお出かけしよう」

「お、おでかけ……」

祭里は微かに笑う。口元にはサンドイッチの食べかすがたくさんついている。こんな子。もう限界だった。だからどこかに置き去りにしようと思った……
選んだ場所は人がそれほど多くない商店街だった。ここなら誰かしらに拾ってもらえると考えた。

「ここで待ってて」

もうこの子の顔を見ることもないと思えば、かなり気が楽だ。私はこれからどこでもいいから消えようと思う。

「か、母さん……こ、怖い……祭里……一人……」

目に涙を溜めている祭里。お願いだから……

「あんた……お願いだからもういなくなってくれない……」

私は一人去っていく。知的障害のある自分の娘を一人残して。
気が楽になり商店街を歩く私。ふと寂れた文房具屋に目が行くと、フラフラと店の中へと入ってしまう。売れずに困っていそうなスケッチブックと色鉛筆が安く売られていた。

「すいません……これください……」

自由気ままに生きれるはずなのに、私はどうしてこんなに馬鹿のだろうか……? 祭里を捨てた場所へと戻ると、私の娘は今にも泣きだしそうになりながら地面を見ていた。

「祭里」

「か、母さん……」

「これ、プレゼント」

私がスケッチブックと色鉛筆を差し出すと、祭里は嬉しそうに受け取ってくれた。

「た、宝物……宝物……」

目に涙を溜めながら笑う祭里を見て、私も不思議と笑顔になる。母親としてやり直したいけど、どうしていいかわからなかった……

「帰ろう。とにかく帰ろう」

私は祭里の小さな手を握った。

「あの、すみません。少しだけお時間よろしいですか?」

数人の警察官が私の前に立っていた。

「その子。あなたのお子さんですか?」

私は頷いて見せた。嘘偽りはない。だって私の娘なのだから。

「娘さん。顔と腕に痣があるようですが、どうかされたんですか?」

警察官の質問に私は怖くなった……

「なに……? 私がやったって言いたいの!?」

確かに私がつけた痣なのに、気がつけば私は逆上していた。
そのあと、覚えているのは警察官に取り押さえられたことと、それを見て泣き叫ぶ祭里の姿だった。
児童虐待で起訴されて、裁判所からは祭里への接近禁止命令が下された。
祭里はどこかの施設に入れられたらしい。当然のことながら、居場所は教えてもらえなかった。

探偵からもらった住所を頼りに私は涼しい夏の田舎町を歩く。これから祭里に会えると思うと、心は踊るが、同時に不安でもあった。どうか私の姿を見て喜んでほしい……どうか私の姿を見て怯えないでほしい……
たどり着いたのはどこにでもある一軒家。私は震える指でインターホンを押した。

「はーい。今行きます!」

元気のいい女性の声がした。玄関のドアが開くと、黒髪に眼鏡をかけた女性が出てくる。

「あ、あの……あなたが蒼井夏希さん……?」

「そうですけど、どなたですか?」

綺麗で優しそうな人。この人が私の娘を育ててくれている。本当にありがたいことだ……

「私……私の名前は七絵あずさといいます……そ、その……七絵祭里の母親です」

自己紹介すると、蒼井夏希さんの綺麗な顔は険しくなる……これは当然の反応なのだろう……

「立ち話も何ですので、どうぞ中へ……」

祭里と会える。この日をどれだけ待ったことか。

「麦茶でも入れますから、どうぞ座っていてください」

「は、はい……」

この家には、私と蒼井夏希さん以外もいないように思えた。

「祭里ちゃん。今はいませんよ。夕方まで友達と遊んでいますから」

麦茶をテーブルに置く蒼井夏希さん。その表情はとても冷たいものに感じた。

「それなら……夕方まで待たせていただいても……」

「それは無理ですし、私だってあなたを祭里ちゃんに会わせたくありません」

蒼井夏希さんはテーブルの向かいに座る。

「あ、あの……私は祭里の母親で……」

「裁判所から接近禁止命令出てますよね? 理由はあなたが虐待していたからですよね?」

この人は心の底から私を嫌っている。過去に私がしたことを知っていのだから……

「どうしてここの住所知っているんですか?」

「お金を払って、探偵事務所の人に調べてもらいました……」

蒼井夏希さんは惨めな私にため息を吐いた。

「私、祭里と離ればなれになったときから、お酒だって一滴も飲んでいません。今は旅館の仲居として働いています。あなたさえ許していただけるのなら、祭里ともう一度一緒に暮らしたいです!」

もう過去の自分でないことを、とにかくこの人に知ってほしい。

「旅館の仲居さんって、お給料いいんですか?」

決していいとは言えない。私一人が生きていくだけでもギリギリの給料だった。探偵にここを調べてもらうお金だって、借金したお金だ。

「祭里ちゃんと一緒に暮らしたいって言いましたけど、住む場所とかちゃんと用意しているんですか?」

私が住んでいるのは仲居たちが暮らす古い寮だった。蒼井夏希さんに何も言えず、私は惨めで、ただ気まずく俯くことしかできない……

「今のあなたと一緒に暮らしても、あなたはきっと前と同じことを祭里ちゃんにすると思います」

私はまた腹が立てば祭里を殴るのだろうか? 違うあんなことは二度としないと神に誓える。
それでも娘を奪われたようで私は悲しかった……

「自分の生徒……自殺させたんでしょ?」

言ってしまった……悲しみにまかせて私は言っていた……

「帰って! もう二度と来ないで!」

怒声を上げる蒼井夏希さん。私は何も言わずに家の外に出ていた。
謝ろうかとも思ったがもう遅い……私はフラフラと駅まで歩くことにした……

「……か、母さん……お、お空は、綺麗だね……」

幼い祭里がそばにいる気がする……

「そうだね祭里。本当に綺麗なお空」

私は涼し気な夏空を一人見つめていた……
駅まで続く海沿いの道を歩いていたときだ。砂浜で嬉しそうに駆け回る少女がいた。赤い髪をした少女が背の高い男の子と一緒にいる。

「祭里……」

自分の娘を見間違える母親なんていない。あの子は成長した祭里だった。駆け寄って抱きしめたかったけど、できなかった。あんなに楽しそうな祭里の姿を見たのは初めてで、私の姿を見れば壊れてしまうと感じた……

「祭里……祭里……! 母さん……! 母さんだよ……! ここにいるよ……!」

私は静かに泣き叫んで……その場から立ち去ることしかできなかった……
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