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中編 理由のない恐怖
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もうすぐ夕暮れになるころの夕月さんの旅館。開けられた窓の外からは静かな蝉の鳴き声が聞こえ、私と夕月さんは裸だった。行為が終わった後で夕月さんは汗ばんだ体で私を後ろから抱き締めていた。
「駅で夏美ちゃんを一目見たとき、この子だと思った。私の孤独を癒してくれる子。いつだって寂しい私を癒しいてくれるって」
夕月さんは私の肩にキスした。
「私だって孤独だし、だから私には誰も癒せませんよ」
「そういう影のあるとこが好きになるのよ」
夕月さんのあたたかい舌が私の首筋を舐める。再び行為を始めようとする夕月さん。私は昨夜の沙夜のことが忘れられず、終わるまでの間、ずっと天井だけを見つめていた。
涼しい夜が訪れると、私は夕月さんと夕飯の買い出しへと出かけた。
「もうすぐお祭りの季節だから、ここも少しは賑やかになるわね」
「お祭り?」
そう言われてみると、寂れたお土産屋ではいくつも祭と一文字書かれた旗が並び、観光客らしき人たちが何人か見受けられた。
「天国でも地獄でもない。死界へ逝ってしまった命を鎮めるためのお祭り。白い打ち上げ花火が供養のために上がって、とても綺麗に夜空を照らすのよ」
「死界……」
死界の姿という本が私の泊っている部屋に置いてある。白黒の沙夜の心霊写真と一緒に。
沙夜に今すぐ会いたい。何でもいいから話がしてみたかった。
「夏美ちゃん。どうしたの? もしかしてお祭りが嫌い」
不思議そうな表情で夕月さんは訊いてくる。私は何度か首を横へと振った。
「そう。今夜は夜風も気持ちがいいから素麵にしましょう」
旅館に帰ると、夜風に鳴る風鈴の音を聞きながら素麺を食べる。夕月さんは笑みを浮かべながら私を見ている。
「あなたみたいな子が好きだとバレて、夫は出ていった。こんな借金だらけの旅館だけ残してね」
夕月さんは笑みを崩さない。
「近いうちに自殺するつもりはしていたけど、今では気が変わっている」
夕月さんが打ち明けた本音。私を抱いた屈折した愛。十四の私には受け入れることが難しかった。
「あの、少し出かけてきます」
「そう。遅くならないでね……」
私は背中越しで感じる。夕月さんの突き刺さるような視線を……
私は沙夜のいる古びた神社へと来ていた。
「わかってるよ。来るしかないもんね。沙夜は美しいし、それに夏美は寂しそうだから、きっと私なんかよりいい関係になる」
境内の片隅で夜行列車で会った少女が座っている。
「知らない古本屋で夏美も白黒の心霊写真を見つけた。私も同じで沙夜のことが好きになって仕方なかった。会うたびに狂った現実なんか忘れられて、忘れられたけど、気がついたら死界の住人になっていた……死んでいても薄暗い海だけが目の前にチラついて離れることがない……」
少女は狂ったように笑う。いったい目の前で何が見えているのだろうか?
「夏美も好きにすればいい。だって沙夜が好きなんでしょう? 生きていた私と同じで……」
少女の手のひらには古びた鍵があった。沙夜が閉じ込められている座敷牢のだろうか?
「私と同じ場所に来て。同じ暗い湖を見れる人がいてくれれば……私は孤独じゃない……」
少女は消えた。古びた鍵だけを残して。
「ここから出してほしい。私の悪夢に溺れるあなたをもっと見てみたい」
座敷牢の奥で笑う沙夜。私が古びた鍵で牢の扉を開けると、彼女はゆっくりと出てきてくれる。
「あなた美しいねー……男たちに弄ばれて壊れているところがとても美しい……」
沙夜は笑うと、私の喉に両手を伸ばし、それは軽い力で絞めた。
「両親もその手で殺している。今もあなたはとても苦しんでいる」
壊れた沙夜の笑いが私の中を支配した。
「死界……見せてよ……」
「いいよ。あなたが望むなら見せてあげる」
ほんの少し頭痛がしたかと思うと、私は白黒の世界にいた。見知らぬ海沿いの古い町に、生命の気配がない海。心がとても寂しくなるような光景だけど、私には美しく思えて笑ってしまう。
「壊れた人が私を愛したのは初めて。だけど煩わしい人があなたのそばにいる。誰だか教えて」
「いいよ。とても素敵な人だけど、本当は寂しい人。寂しいキスをされたときは、少しだけ嬉しかった。だけど愛せない……」
「なら、案内してよ。愛せないその人のところまで……きっと私が知っている人のところまで……」
私は沙夜の手を取ると帰った。夕月さんの旅館へと。
「この本はどうしてここにあるの!? こんな白黒の写真、破いたはずなのに!」
旅館の私の部屋へと戻ると、夕月さんが死界の姿の本を手にし、沙夜の白黒の心霊写真を見ながら激昂していた。
どうやら私が持ってきた少ない荷物を物色して見つけたようだ。
「夕月さん」
私が声をかけたとき、夕月さんは心配そうに駆け寄ってきた。甘い息は少しお酒の匂いがしたから酔っているのはすぐにわかった。
「夏美ちゃん! この白黒の心霊写真! どこで手に入れたの?! この子はこの世の住人じゃない!」
私の両肩を掴み必死で訴える夕月さん。私が少し笑うと、後ろにいる沙夜にすぐ気がついた。
「これは私を犯し飽きた夕月。あれからお変わりなく美人ですね。それは若い頃は座敷牢でお世話になりました」
一礼する沙夜に夕月さんはまるで恐ろしいものでも見るかのように後ずさる。
「夏美。どうか私の手を取って、この狼狽えてる夕月が、私に何をしたのか見せてあげる」
迷わず沙夜の手を取ると、私の視界は白黒に染まる。
「食べ物持ってきてあげた。どうせ食べないのは知っているけど」
白黒の世界で、十代頃くらいの夕月さんがいた。座敷牢の扉を開け、質素な料理が乗ったお膳を沙夜に差し出すが、沙夜は食べ物に目もくれず、色あせた本だけを見ている。死界の姿という本。
「あなたも大変よね。両親がいない変人扱いされて、こんな座敷牢に、ずっと閉じ込められている」
十代の夕月さんは沙夜の頬に触る。
「綺麗な顔してるわねー……いつまでも大切にしてあげるから……だからいいでしょ……」
夕月さんの甘い誘惑の言葉。沙夜の浴衣を笑いながら脱がすと、行為におよんだ。
「狂ってる。私と同じで」
白黒の世界から戻ると、夕月さんは腰を抜かし狼狽えていた。
「犯すのをやめたのは、この子が怪物だと知ったから! 私だけじゃない! この子を犯した男も何人もいて、みんなおかしくなって自殺した! とっくに座敷牢で朽ち果てていると思ったのに、どうしてまだ生きているの?!」
「私は死なない。この世の住人じゃないから。夕月を狂わせなかったのは、私を大切にすると信じたからだけど……間違いだった……ずっとわかっていたのに、私も狂っているね……」
沙夜は狼狽える夕月さんの頬に手を当てた。
「みんなが底のない恐怖に落ちればいい。みんな狂ってほしい。でも、夏美は壊れているから、助けてあげる」
私はこの上なく嬉しかった。壊れてよかったんだ私は……
「さぁ、夕月。理由のない恐怖に溺れて。この町の人々も同罪に、怖くて狂った日々を過ごして」
私には沙夜が祈ったように見えた。外からは悲鳴にも似た狂った声が聞こえた。みんなが理由のない恐怖に怯えている。沙夜の祈りは素晴らしい。
「どうしてこんなことするのよ? 今度こそ沙夜のこと大切にすると誓うから、こんな恐怖取り除いて……」
まるで命乞いにも似た夕月さんの言葉。よほど恐怖に支配されているのか、畳の上で恐怖に怯えているようだった。
「大切にしてあげる……大切にしてあげるから……」
夕月さんは恐怖に溺れた。
「私のことは大切にしないんですか? 夕月さん」
小首を傾げて訊いた私。
「夏美ちゃんのことも大切だよ。私の体好きにしていいから……」
助けてくれと言わんばかりに夕月さんは着ている着物をはだけさせる。
美人だけど、その醜い姿は同じクラスの男子たちを誘惑していた私と似ていた。本当にがっかりした。
「……助けてあげない……」
私が耳打ちすると、夕月さんは絶望するだけだった。
「駅で夏美ちゃんを一目見たとき、この子だと思った。私の孤独を癒してくれる子。いつだって寂しい私を癒しいてくれるって」
夕月さんは私の肩にキスした。
「私だって孤独だし、だから私には誰も癒せませんよ」
「そういう影のあるとこが好きになるのよ」
夕月さんのあたたかい舌が私の首筋を舐める。再び行為を始めようとする夕月さん。私は昨夜の沙夜のことが忘れられず、終わるまでの間、ずっと天井だけを見つめていた。
涼しい夜が訪れると、私は夕月さんと夕飯の買い出しへと出かけた。
「もうすぐお祭りの季節だから、ここも少しは賑やかになるわね」
「お祭り?」
そう言われてみると、寂れたお土産屋ではいくつも祭と一文字書かれた旗が並び、観光客らしき人たちが何人か見受けられた。
「天国でも地獄でもない。死界へ逝ってしまった命を鎮めるためのお祭り。白い打ち上げ花火が供養のために上がって、とても綺麗に夜空を照らすのよ」
「死界……」
死界の姿という本が私の泊っている部屋に置いてある。白黒の沙夜の心霊写真と一緒に。
沙夜に今すぐ会いたい。何でもいいから話がしてみたかった。
「夏美ちゃん。どうしたの? もしかしてお祭りが嫌い」
不思議そうな表情で夕月さんは訊いてくる。私は何度か首を横へと振った。
「そう。今夜は夜風も気持ちがいいから素麵にしましょう」
旅館に帰ると、夜風に鳴る風鈴の音を聞きながら素麺を食べる。夕月さんは笑みを浮かべながら私を見ている。
「あなたみたいな子が好きだとバレて、夫は出ていった。こんな借金だらけの旅館だけ残してね」
夕月さんは笑みを崩さない。
「近いうちに自殺するつもりはしていたけど、今では気が変わっている」
夕月さんが打ち明けた本音。私を抱いた屈折した愛。十四の私には受け入れることが難しかった。
「あの、少し出かけてきます」
「そう。遅くならないでね……」
私は背中越しで感じる。夕月さんの突き刺さるような視線を……
私は沙夜のいる古びた神社へと来ていた。
「わかってるよ。来るしかないもんね。沙夜は美しいし、それに夏美は寂しそうだから、きっと私なんかよりいい関係になる」
境内の片隅で夜行列車で会った少女が座っている。
「知らない古本屋で夏美も白黒の心霊写真を見つけた。私も同じで沙夜のことが好きになって仕方なかった。会うたびに狂った現実なんか忘れられて、忘れられたけど、気がついたら死界の住人になっていた……死んでいても薄暗い海だけが目の前にチラついて離れることがない……」
少女は狂ったように笑う。いったい目の前で何が見えているのだろうか?
「夏美も好きにすればいい。だって沙夜が好きなんでしょう? 生きていた私と同じで……」
少女の手のひらには古びた鍵があった。沙夜が閉じ込められている座敷牢のだろうか?
「私と同じ場所に来て。同じ暗い湖を見れる人がいてくれれば……私は孤独じゃない……」
少女は消えた。古びた鍵だけを残して。
「ここから出してほしい。私の悪夢に溺れるあなたをもっと見てみたい」
座敷牢の奥で笑う沙夜。私が古びた鍵で牢の扉を開けると、彼女はゆっくりと出てきてくれる。
「あなた美しいねー……男たちに弄ばれて壊れているところがとても美しい……」
沙夜は笑うと、私の喉に両手を伸ばし、それは軽い力で絞めた。
「両親もその手で殺している。今もあなたはとても苦しんでいる」
壊れた沙夜の笑いが私の中を支配した。
「死界……見せてよ……」
「いいよ。あなたが望むなら見せてあげる」
ほんの少し頭痛がしたかと思うと、私は白黒の世界にいた。見知らぬ海沿いの古い町に、生命の気配がない海。心がとても寂しくなるような光景だけど、私には美しく思えて笑ってしまう。
「壊れた人が私を愛したのは初めて。だけど煩わしい人があなたのそばにいる。誰だか教えて」
「いいよ。とても素敵な人だけど、本当は寂しい人。寂しいキスをされたときは、少しだけ嬉しかった。だけど愛せない……」
「なら、案内してよ。愛せないその人のところまで……きっと私が知っている人のところまで……」
私は沙夜の手を取ると帰った。夕月さんの旅館へと。
「この本はどうしてここにあるの!? こんな白黒の写真、破いたはずなのに!」
旅館の私の部屋へと戻ると、夕月さんが死界の姿の本を手にし、沙夜の白黒の心霊写真を見ながら激昂していた。
どうやら私が持ってきた少ない荷物を物色して見つけたようだ。
「夕月さん」
私が声をかけたとき、夕月さんは心配そうに駆け寄ってきた。甘い息は少しお酒の匂いがしたから酔っているのはすぐにわかった。
「夏美ちゃん! この白黒の心霊写真! どこで手に入れたの?! この子はこの世の住人じゃない!」
私の両肩を掴み必死で訴える夕月さん。私が少し笑うと、後ろにいる沙夜にすぐ気がついた。
「これは私を犯し飽きた夕月。あれからお変わりなく美人ですね。それは若い頃は座敷牢でお世話になりました」
一礼する沙夜に夕月さんはまるで恐ろしいものでも見るかのように後ずさる。
「夏美。どうか私の手を取って、この狼狽えてる夕月が、私に何をしたのか見せてあげる」
迷わず沙夜の手を取ると、私の視界は白黒に染まる。
「食べ物持ってきてあげた。どうせ食べないのは知っているけど」
白黒の世界で、十代頃くらいの夕月さんがいた。座敷牢の扉を開け、質素な料理が乗ったお膳を沙夜に差し出すが、沙夜は食べ物に目もくれず、色あせた本だけを見ている。死界の姿という本。
「あなたも大変よね。両親がいない変人扱いされて、こんな座敷牢に、ずっと閉じ込められている」
十代の夕月さんは沙夜の頬に触る。
「綺麗な顔してるわねー……いつまでも大切にしてあげるから……だからいいでしょ……」
夕月さんの甘い誘惑の言葉。沙夜の浴衣を笑いながら脱がすと、行為におよんだ。
「狂ってる。私と同じで」
白黒の世界から戻ると、夕月さんは腰を抜かし狼狽えていた。
「犯すのをやめたのは、この子が怪物だと知ったから! 私だけじゃない! この子を犯した男も何人もいて、みんなおかしくなって自殺した! とっくに座敷牢で朽ち果てていると思ったのに、どうしてまだ生きているの?!」
「私は死なない。この世の住人じゃないから。夕月を狂わせなかったのは、私を大切にすると信じたからだけど……間違いだった……ずっとわかっていたのに、私も狂っているね……」
沙夜は狼狽える夕月さんの頬に手を当てた。
「みんなが底のない恐怖に落ちればいい。みんな狂ってほしい。でも、夏美は壊れているから、助けてあげる」
私はこの上なく嬉しかった。壊れてよかったんだ私は……
「さぁ、夕月。理由のない恐怖に溺れて。この町の人々も同罪に、怖くて狂った日々を過ごして」
私には沙夜が祈ったように見えた。外からは悲鳴にも似た狂った声が聞こえた。みんなが理由のない恐怖に怯えている。沙夜の祈りは素晴らしい。
「どうしてこんなことするのよ? 今度こそ沙夜のこと大切にすると誓うから、こんな恐怖取り除いて……」
まるで命乞いにも似た夕月さんの言葉。よほど恐怖に支配されているのか、畳の上で恐怖に怯えているようだった。
「大切にしてあげる……大切にしてあげるから……」
夕月さんは恐怖に溺れた。
「私のことは大切にしないんですか? 夕月さん」
小首を傾げて訊いた私。
「夏美ちゃんのことも大切だよ。私の体好きにしていいから……」
助けてくれと言わんばかりに夕月さんは着ている着物をはだけさせる。
美人だけど、その醜い姿は同じクラスの男子たちを誘惑していた私と似ていた。本当にがっかりした。
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