1 / 1
路傍の石はかく語りき
しおりを挟む
ガスマスク越しのキスが流行っている。
さんざっぱら警告されていた愚行をついぞ止めることが出来なかった人間達。母は不死でも無限でも無かった。それを思い知らされた日から、青い空は虚構である。
そこで電子の海を賑わせたのが、死の灰の中、ガスマスク越しのキス。
これだから人は愚かでロマンチストで、そうして逞しく美しい。俺は彼らのそういうところが気に入っていた。
「なあ、人がやってるキスっての、あるじゃん」
「あるねえ」
隣の連れ合いが退屈そうに答える。こいつはいつも退屈している。かく言う俺も悠久に飽いている。人が生まれてからは、それも少しは紛れたけれど。
「やってみね?眼前でさ、ガスマスクもなんもない俺らがキスしたら、あいつらどうすんのかな?」
連れは暖かい闇を湛えた目を見開いて、俺を見た。
「もう俺ら散々退屈しただろ、別に直接何かする訳じゃない、ちょいと見せつけてやるだけだよ。なあ、だめかなあ?」
「俺達の義務は存在だけで、俺達に許されるのも存在だけだろ。干渉しちゃいけねえよ。」
口では止めていても、連れが俺の提案に惹かれているのは見え見えだ。どれだけの歳月共にしてきたと思ってる、時間の日の出だって隣で見た。
「罪悪が生まれる前から居るけどさ、林檎の蜜はやっぱり舐めてみたくなるんだよ。それにもう、俺達の退屈を慰めるあいつらも、そろそろ終わりだろ。なあ、俺らはさ、存在しか許されていないけど、そう創られたはずだけど、だけどそれならなんで思考を持たされたんだろうなあ。持てる物を使ってしまうのは俺達の罪じゃあないだろ。それならきっとこの気紛れも、上の差し金だよ。
…俺はあいつらの終わりは見たくないんだ。どうしようもなく醜いし、俺達が愛してきた世界を、我が物顔で破壊する嫌な奴らだけど、なあ、お前も分かるだろ?俺は、あいつらも愛してるんだよ。」
連れは相変わらず夜の目で、灰色になった街を見つめている。
「おい、最期くらいあいつらの真似事してみないか?オリジナルは俺達だってのに、真似事なんかおかしいかな。でもちょっと面白そうだろ?なあ、あいつらの終わりを見る前に、あいつらの真似事で俺達を終わらせないか?」
連れは無言で俺を見た。その視線が肯定であることを、俺はとっくに知っている。星の瞬くその眼に、俺の光が映り込む。ああ、お前の夜の目、俺は大好きだ。
「なあ、お前の昼の目、俺は大好きだよ。」
つくづく似た者同士だ、最期まで鏡写しの愛をお互いに注いでいる事に気づいて、思わず顔が綻んだ。
なあ、人よ、終わるその時まで、ガスマスク越しにキスをしてろよ。
こうして昼と夜は世界で最初のキスをして、世界で最後の光と闇を人々に見せた。彼らは人が天使とか悪魔とか精霊とか神とか呼ぶ者だったが、名付けなどという鎖にやすやすと繋がれる存在では無かったので、これをいま語る私もどう呼べばよいのか分からない。ただ一つ言えるのは、風に削られ雨に晒され、幾多の生き物が通り過ぎる様を、ただ見ていた私の頭上で彼らが最期を迎えたのは、私の確かな僥倖であった。
そうそう、その後の人間についても語っておかねばならない。彼らの生身のキスは、人々にガスマスクを外した死のキスを流行らせた。人間はかくも愚かなロマンチスト、そうして逞しく美しいのだ。さて、そろそろ私も無に溶ける。世界は優しく無に溶ける。
さんざっぱら警告されていた愚行をついぞ止めることが出来なかった人間達。母は不死でも無限でも無かった。それを思い知らされた日から、青い空は虚構である。
そこで電子の海を賑わせたのが、死の灰の中、ガスマスク越しのキス。
これだから人は愚かでロマンチストで、そうして逞しく美しい。俺は彼らのそういうところが気に入っていた。
「なあ、人がやってるキスっての、あるじゃん」
「あるねえ」
隣の連れ合いが退屈そうに答える。こいつはいつも退屈している。かく言う俺も悠久に飽いている。人が生まれてからは、それも少しは紛れたけれど。
「やってみね?眼前でさ、ガスマスクもなんもない俺らがキスしたら、あいつらどうすんのかな?」
連れは暖かい闇を湛えた目を見開いて、俺を見た。
「もう俺ら散々退屈しただろ、別に直接何かする訳じゃない、ちょいと見せつけてやるだけだよ。なあ、だめかなあ?」
「俺達の義務は存在だけで、俺達に許されるのも存在だけだろ。干渉しちゃいけねえよ。」
口では止めていても、連れが俺の提案に惹かれているのは見え見えだ。どれだけの歳月共にしてきたと思ってる、時間の日の出だって隣で見た。
「罪悪が生まれる前から居るけどさ、林檎の蜜はやっぱり舐めてみたくなるんだよ。それにもう、俺達の退屈を慰めるあいつらも、そろそろ終わりだろ。なあ、俺らはさ、存在しか許されていないけど、そう創られたはずだけど、だけどそれならなんで思考を持たされたんだろうなあ。持てる物を使ってしまうのは俺達の罪じゃあないだろ。それならきっとこの気紛れも、上の差し金だよ。
…俺はあいつらの終わりは見たくないんだ。どうしようもなく醜いし、俺達が愛してきた世界を、我が物顔で破壊する嫌な奴らだけど、なあ、お前も分かるだろ?俺は、あいつらも愛してるんだよ。」
連れは相変わらず夜の目で、灰色になった街を見つめている。
「おい、最期くらいあいつらの真似事してみないか?オリジナルは俺達だってのに、真似事なんかおかしいかな。でもちょっと面白そうだろ?なあ、あいつらの終わりを見る前に、あいつらの真似事で俺達を終わらせないか?」
連れは無言で俺を見た。その視線が肯定であることを、俺はとっくに知っている。星の瞬くその眼に、俺の光が映り込む。ああ、お前の夜の目、俺は大好きだ。
「なあ、お前の昼の目、俺は大好きだよ。」
つくづく似た者同士だ、最期まで鏡写しの愛をお互いに注いでいる事に気づいて、思わず顔が綻んだ。
なあ、人よ、終わるその時まで、ガスマスク越しにキスをしてろよ。
こうして昼と夜は世界で最初のキスをして、世界で最後の光と闇を人々に見せた。彼らは人が天使とか悪魔とか精霊とか神とか呼ぶ者だったが、名付けなどという鎖にやすやすと繋がれる存在では無かったので、これをいま語る私もどう呼べばよいのか分からない。ただ一つ言えるのは、風に削られ雨に晒され、幾多の生き物が通り過ぎる様を、ただ見ていた私の頭上で彼らが最期を迎えたのは、私の確かな僥倖であった。
そうそう、その後の人間についても語っておかねばならない。彼らの生身のキスは、人々にガスマスクを外した死のキスを流行らせた。人間はかくも愚かなロマンチスト、そうして逞しく美しいのだ。さて、そろそろ私も無に溶ける。世界は優しく無に溶ける。
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
婚約者の心の声が聞こえるようになったが手遅れだった
神々廻
恋愛
《めんどー、何その嫌そうな顔。うっざ》
「殿下、ご機嫌麗しゅうございます」
婚約者の声が聞こえるようになったら.........婚約者に罵倒されてた.....怖い。
全3話完結
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
【完結】「別れようって言っただけなのに。」そう言われましてももう遅いですよ。
まりぃべる
恋愛
「俺たちもう終わりだ。別れよう。」
そう言われたので、その通りにしたまでですが何か?
自分の言葉には、責任を持たなければいけませんわよ。
☆★
感想を下さった方ありがとうございますm(__)m
とても、嬉しいです。
侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
婚約破棄を、あなたのために
月山 歩
恋愛
私はあなたが好きだけど、あなたは彼女が好きなのね。だから、婚約破棄してあげる。そうして、別れたはずが、彼は騎士となり、領主になると、褒章は私を妻にと望んだ。どうして私?彼女のことはもういいの?それともこれは、あなたの人生を台無しにした私への復讐なの?
【完結】義姉の言いなりとなる貴方など要りません
かずきりり
恋愛
今日も約束を反故される。
……約束の時間を過ぎてから。
侍女の怒りに私の怒りが収まる日々を過ごしている。
貴族の結婚なんて、所詮は政略で。
家同士を繋げる、ただの契約結婚に過ぎない。
なのに……
何もかも義姉優先。
挙句、式や私の部屋も義姉の言いなりで、義姉の望むまま。
挙句の果て、侯爵家なのだから。
そっちは子爵家なのだからと見下される始末。
そんな相手に信用や信頼が生まれるわけもなく、ただ先行きに不安しかないのだけれど……。
更に、バージンロードを義姉に歩かせろだ!?
流石にそこはお断りしますけど!?
もう、付き合いきれない。
けれど、婚約白紙を今更出来ない……
なら、新たに契約を結びましょうか。
義理や人情がないのであれば、こちらは情けをかけません。
-----------------------
※こちらの作品はカクヨムでも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる