姫君と騎士は今日も素直になれない

野草こたつ/ロクヨミノ

文字の大きさ
上 下
12 / 24

12

しおりを挟む
 その翌日、シャステは鬱々としてソファに座っていた。
 本を読もうにも内容が頭に入ってこないし、勉強にも身が入らない。
 ひたすらソファに座り、テーブルを凝視しているシャステに声がかかった。

「あのさ……何、してるの?」
「入っていいなんて、ひとっことも言ってないわ」
 シャステの怒りをぶつけられたレーベは涼しい顔で答える。

「ぼくたちはおまえの許可がなくても入室することを許されている」
「ぐ……」
 確かにそのとおりだ、レーベとグラナートは護衛をしているのだから、シャステの意思に関係なく部屋に入ってこれるし、傍に居られる。

「あぁもう、あなたの顔を見るだけで腹が立つわ!」
「失礼なやつだね、こっちだっておまえのまぬけ面を見ているとイライラするよ」
「な、ん、で、す、って⁉ もう一度言ってごらんなさいな!」
「おまえのまぬけ面を見てるとイライラするって言っているんだよ」
 がたんと音をたてて席を立ち、シャステはレーベに掴みかからんばかりの勢いで怒鳴る。

「だったら! 大人しく破談にしなさいよこの権力欲の塊!」
「べつに権力に興味はないけど」
 つまりシャステへの嫌がらせが十割ということだ。
 今度こそ彼女はレーベの襟首に手を伸ばすが、軽々と避けられる。

「危ないな、姫君が騎士に暴力を振るうのはどうなわけ?」
「振るわれてないでしょ! こっちのほうがよっぽど暴力を受けてるわよ! 精神的に!」
 ここでシャステは大きく息を吐き、そして何かを思い立ったかのようにレーベから離れた。

「どこへ?」
 レーベの質問に、彼女は短く返す。
 仕事だ、仕事だからしようがない。

「お兄様のところ!」

 シャステには年の離れた兄と姉が居る。
 早くに母を亡くしたシャステの教育方針でもめる二人が嫌で、ここ最近は距離を置いていたのだが、今日、たった今、兄に会いに行こうと決めた。
 兄に会えばあの重い愛をもたらす姉が怒り狂うだろうが、それはそれ、そのときだ。
 第一王女フィエナの、妹への溺愛ぶりと言ったら諸侯の知るところであり、シャステとしては恥ずかしいかぎりだ。

「ギルバート様のところに? いったいどうして?」
 あとをついて来るレーベに、シャステは短く答える。
「たった今、あなたに避けられて思いだしたの、お兄様が護身術を教えてくださると言ってたこと」
 兄の教育方針はシャステにも武術を身につけさせることと、議会などにも出席させることであり。
 姉の教育方針は姫らしくしとやかに、女らしく、というか無事に、とにかく無傷で居させることだった。

「身につけたところでぼくに一撃入れようなんて無理だと思うけど?」
 レーベのあっさりとした返事に、シャステは眦をつりあげて言う。
「やらないよりはマシよ! 百回殴れば一回くらい当たるかもしれないでしょ!」
「そんなに殴りたいわけ……?」
 シャステの言葉にレーベはどこかがっかりとした様子でそう言った。
 まぁ、百回殴りかかるのは冗談としてもレーベにやられっぱなしでは気がすまない。
 それにシャステも兄の話には興味があったのだ、ただ、姉の猛反対があっただけで。

(これからレーベの妻になるんだったら、余計に身につけたいわ、生涯のうちに二十発くらいは殴れるでしょうし)
 そうして、訪れた兄の執務室。
 ここへ来たのは随分久しぶりだ、数年ぶりかもしれない。
 それくらい、シャステは公の場以外で兄と姉に関わらないようにしてきた。
 本当に本当に、彼らが自分のことでもめるのが嫌だったのだ。

「急にどうしたんだ? シャステ」
 ノックをし、返事を待って部屋に入ると、黒の短い髪に金色の瞳というシャステと似た容姿に、黒い礼服を着ている長身の青年が出迎えた。

「お兄様、あたしに武術を教えてほしいのよ」
「ほう?」
 金色の瞳を細めた兄はしかし、シャステの頭をぐしゃぐしゃと撫でて言う。
「それなら、ヴォルフレイア公爵に頼めば良いだろう? 結婚するんだしな」
「嫌よ! こいつを殴るためにお兄様に教わりたいんだからっ!」
 シャステの言葉にレーベは額に手をあてて、兄のギルバートは金色の瞳を不思議そうにまたたいた。

「だって! レーベに教わったらレーベが有利に決まっているじゃない! お兄様の型を教えてほしいのっ!」
「おまえは夫婦喧嘩に暴力を持ちこむ気なのか?」
 兄のややあきれたような言葉に、シャステは腰に手をあてて言う。

「ええ!」

 堂々と。
「だったら駄目だ。そんな理由でおまえに武術を教えてやることはできない。いいかシャステ、武器を持つのは守るためでなくてはならない」
「素手でも?」
「ああ」
 兄の言葉に、シャステは小さくため息を吐いた。
 けっして分かっていなかったわけではない、そのことを。
 ただそれくらい腹が立ってしようがないのだ。

「うー……やられっぱなしは嫌だわ」
 腕を組んで唸りだしたシャステに、ギルバートは金色の瞳をおかしそうに細める。
「なんだ、もう夫婦喧嘩をしているのか?」
「夫、婦、じゃ、な、い、わ! 勘違いしないでお兄様っ!」
「もうすぐそうなるだろう? おまえたちの子供はさぞ可愛らしいことだろうな、楽しみだ」
 シャステはその言葉にむっと眉を寄せる。
「そりゃ、まぁ、子供はきっと可愛いわよ」
 意外だったのか、レーベはシャステの言葉に目を丸くしたが、続く言葉に絶句した。


「あたしに似ててもレーベに似てても子供に罪は無いわ、神様がコウノトリにお願いして連れてきてくれるんだものね!」


 場の空気が固まったことにシャステは気づいていないが、少ししてギルバートがぎこちない仕草でレーベを見る。
 その金色の瞳は哀れむようなものだった。
「……苦労をかけるな、ヴォルフレイア公爵」
「……いえ」
 ギルバートはこほんと咳払いして、一つだけシャステに確認しておこうと問いかける。

「ちなみにシャステ、そんなことをおまえに教えたのはどこの誰だ?」
 本当は「どこの馬鹿だ」と言ってやりたいのを抑えての問いに、シャステは不思議そうに答える。
「何言ってるの、フィエナお姉さまよ。みんなそうだって言ってたわ」
「あのポンコツ……!」
 ギルバートは今この場に居ないもう一人の妹に対して怒りを滲ませた。
 おおかたシャステに汚らわしい知識は必要ないとか、閨でもめて夫になる男が嫌われればいいとかそんな魂胆だろう。

「そういえば、お兄様は奥方を娶らないの?」
 シャステの不思議そうな問いに、ギルバートは頷く。
「あぁ、近いうちにそういう話もあるが、今はまだおまえに教えられることではないな」
「そうなの。お兄様の子供もきっと可愛いわよ、コウノトリが運んできてくれるわ」
 にっこりと無垢に微笑んだ妹に、ギルバートはめまいを覚えた。
 いや、誰より苦労を強いられるのはギルバートではなくレーベだが。
 そんなところに、バタンとノックもなしに大きな音をたてて扉が開く。

「シャステぇ! ひどいわ! おねえちゃんを放っておいてこんなポンコツ愚兄に会いに来るなんて!」
 やって来たのはやはり黒く長い髪に金色の瞳を持つ、白いドレスの肉感的な女性。
「げ。お姉様っ……!」
 シャステの言葉も無視、許可もなく部屋に入ってくるなり、妹の小さな身体をぎゅうぎゅうと抱きしめる。

「あぁんもう! 何かあったらなんでもおねえちゃんに相談なさいと言ったじゃあないの、こんな野蛮人じゃなく!」
 ギルバートを見るときにだけ顔を嫌そうに歪めた第一王女フィエナに、ギルバートは眉を寄せて言う。
「フィエナ、おまえにはあとで問いただしたいことがいくつかあるんだが」
「あら、わたくしの大切な時間は我が妹のためだけにあってよ。まかり間違ってもあなたのようなポンコツのためにあるのではないわ」
「どっちがポンコツだ! シャステになんてことを教えているんだおまえは!」
 拳を握るギルバートに、フィエナはなんでもないことのように首を傾げる。

「え? なんてことってなんのことかしら? いえ、どのことかしら?」

「ひとつではないんだな、よく分かった」
 姉と兄のあいだにまた火花が散り始めたのを悟って、シャステがフィエナの腕の中で暴れる。
「もーっ! 喧嘩しないでよお兄様! お姉様っ!」
「これがせずにいられるか!」
 ギルバートの言葉に、フィエナはふんと小さく鼻を鳴らす。

「まぁまぁ野蛮だこと、シャステ、こんなひとのことよりおねえちゃんとお茶でもしましょ? ね?」
 シャステにはなぜ二人が喧嘩をしているのかさっぱり分からないが、自分が原因であろうことは分かるので、フィエナから力ずくで離れるとレーベのほうへ向かう。

「もうっ、あたしは帰るわ!」
 シャステのせいで兄と姉の仲が悪くなるのは、まったく嬉しいことではない。
 なので、シャステはレーベを横切って扉の外へ飛び出していく。

「あぁ! 待ってシャステ! おねえちゃんと――」
 そう言って呼び止めようとしたフィエナの手をギルバートが掴む。
「フィエナ、おまえには説教だ」
「んもうっ! 何よお兄様、シャステが自分から会いに来てくれるなんて数年ぶりだっていうのに!」
 なお、フィエナに会いに来たわけではない。

「お、ま、え、は! 自分があの子に何をしているのかまったく分かっていない!」
 結局、フィエナとギルバートの喧嘩は随分な時間続いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~

緑谷めい
恋愛
 ドーラは金で買われたも同然の妻だった――  レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。 ※ 全10話完結予定

人質姫と忘れんぼ王子

雪野 結莉
恋愛
何故か、同じ親から生まれた姉妹のはずなのに、第二王女の私は冷遇され、第一王女のお姉様ばかりが可愛がられる。 やりたいことすらやらせてもらえず、諦めた人生を送っていたが、戦争に負けてお金の為に私は売られることとなった。 お姉様は悠々と今まで通りの生活を送るのに…。 初めて投稿します。 書きたいシーンがあり、そのために書き始めました。 初めての投稿のため、何度も改稿するかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。 小説家になろう様にも掲載しております。 読んでくださった方が、表紙を作ってくださいました。 新○文庫風に作ったそうです。 気に入っています(╹◡╹)

悪役令嬢になりそこねた令嬢

ぽよよん
恋愛
レスカの大好きな婚約者は2歳年上の宰相の息子だ。婚約者のマクロンを恋い慕うレスカは、マクロンとずっと一緒にいたかった。 マクロンが幼馴染の第一王子とその婚約者とともに王宮で過ごしていれば側にいたいと思う。 それは我儘でしょうか? ************** 2021.2.25 ショート→短編に変更しました。

【完結】悪役令嬢と魔王の結婚

かのん
恋愛
   馬鹿で愚鈍な第二王子から婚約破棄をいいわたされた公爵令嬢のリナリー。  これも運命ねとあっさりと受け入れると、命じられるままに魔王の元へと嫁ぐことになる。  魔王は果たしてリナリーを受け入れるのか、そしてリナリーは魔王を愛すのか。  二人の恋の行方を見守ってください。

果たされなかった約束

家紋武範
恋愛
 子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。  しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。  このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。  怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。 ※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

処理中です...