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◇追憶:アイシテル◆

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 魔王と呼ばれるようになったのはつい最近だ、以前は勇者だとか英雄だとか言われていたのに人間なんて勝手でいい加減なものだ。
 人間なんて、というのは、自分はもう長い時間死者としてすごしているので、人間としての感覚などとうに忘れてしまったからだ。
 ――ああ、でも、この世界での私は確かに魔なのだろうね。
 自分はこの世界にとって異物であり、一度も英雄となったことはない。だから、魔王だと、悪だと言うのならそれが正しい。
 ――ずるい。ずるいな、この世界の「セヴェリア」は。
 彼は宵闇の中で目を閉じる。青ではなくなった金色の目は、肉体の再構築の際にあえて自分の意思で変えたものだ。この世界のあの男とまったく同じ容姿だなんて反吐がでる。
 ――私は呼ばれなかった、彼女は私を呼んでくれなかった。
 彼がもともと居た世界のフィロメーナ・ラングテールは、彼が死んだという知らせを聞いたあと、指輪もろとも、彼を忘れるために処分した。
 だから、彼がフィロメーナに召喚されることはなかった。
 フィロメーナはその後レイスルトと結婚し、愛おしそうに彼の名を呼んで、彼の腕に抱かれ微笑んだ。まるで彼女の中に、セヴェリアなど最初から存在しなかったかのように彼女は振舞った。
 それは精一杯の強がりだったかもしれないし、あるいは彼女にとっては、セヴェリアなど思い煩うに値する相手ではなかったのかもしれない。
 そのどちらでも知ったことではない、彼の声は彼女に届かず、その手は彼女に触れることも叶わない。
 彼女がレイスルトの隣で幸せそうに微笑むほど、彼の存在は歪んでいった。
 彼の世界では、迫った脅威は自分自身ではなかった。
 本当の意味で、魔物であった。古に封じられていた魔王の復活という、伝承のような世界を生きた、そして、望まず、けれど人々のために命を落とした。
 ――私は何を望んでいたのだろう、彼女が幸福であってくれればと思っていたはずだった。少なくとも、最期はそうだった。あぁ、そうだ、そうだとも……きっと私が、死後にセヴェリアという存在を捨てていたなら、こうはならなかったのだ。
 だが、自分は、この世界のセヴェリアと違って眠ることもなく、目覚めたまま、まるで自分だけが世界から失われたかのような場所で、意識のあるまま生き続けることになった。
 その苦しみたるや。
 フィロメーナにさえも、自分の声は届かない、姿も見えていない。
 ――きみを憎むことになるなら、いっそ愛することもしなければよかった。
 自ら世界の暗闇の底へと彼は沈んだ。一切の視界と音を塞ぐように。
 彼はその後もしばらく誰にも召喚されることはなかったが、わざわざこちら側の世界で黒魔術に没頭していたらしい男に偶然召喚されてしまったのだ。
 その時点では、まだなんとも思わなかった。
 ただ消えるためにこの男を殺そうと思ったのだ。
 けれど……。
 ――きみの気配がする。きみが、ここに居るような気がする。
 彼は目の前で喚く男を、花を手折るように殺めるとその世界を散策しはじめた。
 そして、その世界が自分の居た世界と酷似していることに気づく。
 世界にはいくつかの可能性がある――。
 ――この世界のセヴェリアが、フィロメーナに呼ばれるのなら、呼ばれない私が存在することになる。彼が彼女と結ばれるのなら、結ばれない私が存在することになる。
 光と影のようにくっついた可能性だ。
 ――きみに逢いたい、今の私なら、きみにだって見えるはずだ。きみだって、私を分かってくれるはずだ。
 この時点では、まだ彼の瞳は青だった。
 そして、この時点で彼は気づくべきだった、フィロメーナが存在するなら、セヴェリアも存在するかもしれないと。
 彼女を探すうちに、いつしか自分は殺人鬼、虐殺者、そして魔王と呼ばれるようになった。古の怪物が蘇ったのだと。
 ――言い訳をするつもりはない。どんなふうに呼ばれてもいい、もう一度彼女に逢えるなら、ただ、それだけで……。
 けれどその願いは叶わない。
 彼の前に立ちはだかったのは、この世界の彼自身だった。
 ――その後の顛末は知ってのとおり。愚かな私が招いた油断だった。
 薄く金色の瞳を開いて、彼は闇の中で小さなため息を吐く。
 ――ああ、鬱陶しいな。異世界とはいえ、自分を鬱陶しいと思うなんておかしなものだ。
 フィロメーナに逢いに行くのはそうむずかしくない。問題は、そこで立ち塞がるであろうこの世界のセヴェリアだ。
 ――優しい彼女の心を惑わすのはそうむずかしくないだろうけど、あの男がとにかく邪魔でならないな。
 彼はもう一度ため息を吐くと、ゆっくりと歩きだした。
 ――フィロ、私はきみを……アイシテル。
 ◇◇◇
 彼女にとっては、大きな絶望であった。
 恋しいひとは死んでしまった。味気ない、死を伝える一枚の紙切れを手に、彼女は涙をこぼした。
 もしかしたら、自分にもっと才能があったら、彼を召喚することもできるかもしれない。彼は英雄だから、人々に語り継がれる存在だから。
 けれど、自分にもそれはできなかったし、姉にもできなかった。
 彼女は決断しなければならなかった、ラングテールの姓を捨てなければならない以上、そして、この先も自分は生きていかなければならないのだから。
 彼が救ってくれた命を無駄にはできない。自分で捨てることもしたくない。
 やがて彼女は決意した、生きることを選んだ。そして愛した彼を忘れるために指輪も含めた一切を処分した。
 そうすることしかできなかった。そうしなければ、彼を忘れて他の男性に嫁ぐことなどできそうにない。
 彼を喪ったあの日から、彼女の心はしだいに壊れ始めていたのかもしれない。
 彼女はやがて、彼という存在そのものを忘却の彼方に追いやるようになった。生きていくのに支障が出る記憶は潜在意識に消去される、自然の摂理だった。
 ――ワタシガ、アイシテ、イタノハ、ダレ?
 それが、異なる世界で二人が迎えた結末だった。
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