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パズルのピースが嵌る音

七話

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 まぶたの裏、目を閉じているのに眩しくて、逃げるように寝返りを打つ。──どろり。途端、太ももを伝う液体に、寝ぼけ半分だった体は跳ね起きた。

「っ、うわ……! 何こ、れ……──」

 そう言いかけて、口をつぐむ。
 目に入るのは見慣れた風景。自分の部屋であるはずなのに、昨夜の出来事は夢ではないと、溢れる白濁が突きつけていた。
 言う必要もないが断言しよう。今まで生きてきた人生の中で、これ以上ないほど最悪の目覚めだ。

「ああもう、マジかよ」

 げんなりしながら、ひとまずシーツで太ももを拭う。タオルなんてここにはないし、どうせ一度汚れてしまえば同じことだ。

(そういえばあいつ、最後に何か言ってたな……)

 ふと頭をよぎった考えに、嫌でも意識は引っ張られる。抱きしめられ、逃げる間もなく腹を満たされ、あいつは耳元で囁いた。そう、囁いたんだ。──なんて? 
 心臓がおかしなほどに脈打ち始め、思い出すなと、そう警告を発している。けれど、思い出さなければいけないのだ。手遅れになってしまう前に。

『素敵でしたよ、ゆき。明日の朝、貴方を妻として迎えにきます。本当はこのまま連れ帰りたいのですが、少々準備がありまして』

「…………ッ、」

 駆け上がってくる悪寒に、どうにも震えが止まらない。

 と、とにかく服だ。
 言うことを聞かない足腰で、それでも何とか立ち上がり、シャツとズボンを身につける。
 必要なものは財布と鞄、それから護身用に買った果物ナイフ。これさえあれば最低限は生きていける……はずだと思う。自信はないけど。

 残る課題はあとひとつ。ここからどうやって逃げ出すか、だ。俺は姐さんたちと違って売られたわけではないけれど、自信満々に出ていくには、あまりに前例がなさすぎる。
 それに、もし万が一、あの男が待ち伏せていたらお終いだ。

「……やっぱ窓か」
 
 部屋にたったひとつだけある、日差しを取り込むための窓。少々小さめではあるが、見た感じ、肩と腰ぐらいは通るだろう。

 ベッドの上に立ち上がり、まずは顔だけ出して様子を伺う。首都の中でも"花街"と呼ばれるこの一帯は、基本夜型の人間が多い。
 右に左に視線をやれば、いつも通り閑散とした路地裏で、申し訳程度のパン屑を小鳥たちが啄んでいた。よしよし。あの男も見る限りはいないらしい。

「ははっ、夜逃げならぬ朝逃げってな」

 自虐的に呟きながら、右足を伸ばして窓にかける。部屋が一階であったことを、これほど喜ばしく思った日はないだろう。幸い、下は柔らかい地面だし、落ちたとしてもそこまで痛くはなさそうだ。
 
「さーてと、またやり直しかぁ……」

 ズボンについた土をはらい、ぐぐっと伸びをして空を仰ぐ。青空は元いた世界と何ら変わりなく、白い雲に彩られ、眩しいほどに輝いていた。
 しょげている暇などない。働いて、お金を貯めて、元の世界に帰るための方法を探す。今の俺には、それくらいしかできないのだから。

 先に投げていた鞄を身につけ、意気揚々と新しい一歩を踏み出そうとした時だった。

「おや? こんな朝早くから、一体どこに行かれるんでしょう」
「ひっ、……!!」

 耳元で聞こえるのは、甘いほど優しげで、穏やかな声。それなのに、全身の震えが止まらない。

「私、昨夜言いましたよねぇ。迎えにくるから待っていて欲しいと」
「あ……や、聞いてない……知らない、」
「そうでしたか。ではもう一度いいますね」

 貴方を妻に迎えます。
 その言葉と同時に、思いっきり強く腕を引かれる。怖くて振り返ることさえ出来なかったけど、強制的に腕の中に閉じ込められてしまえば、見ないという選択肢すら選べない。

 真っ白な服に金のボタン。肩まで伸びた髪を軽く編み上げ、いかにも正装といった体で、男は薄く微笑んでいた。けれど、その奥にある翡翠色は、昨夜のように優しげな色をしていない。

「あ、の、……お断り、します……」

 咄嗟に出た言葉を、何故受け入れてもらえると思ったのだろう。呑気な鳥のさえずりを最後に、俺の意識はぷつりと途絶えた。
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