だって魔王の子孫なので

深海めだか

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誘拐は合意の上で

第二十六話

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「わかった。兄さんがそう言うなら」
「……いい子、みつは本当に昔と少しも変わらないね」

 ──昔通り。変わらない。
 最近、兄さんがよく使う言葉だ。まるで甘い砂糖を塗り溶かすように、子どもに言い聞かせるかのように、何度も何度も繰り返して。

 違和感というほどでもないが、その言葉を聞く度にもやりとした気持ちが走る。

 子ども扱いが嫌なのか、それとも、このもやもやした気持ちが反抗期というものなのか。考えてみても、どうせ答えはでてこない。

「んー」

 だから曖昧な返事を返した。せっかく二人きりでいるのに、喧嘩なんてしたくはない。

「──……婚約のこと、なんだけれど」

 ぼうっとレタスを千切っていれば、控えめな声が降ってくる。
 父さんに婚約者を決めろと言われたあの日以降、互いにその話題は避けてきた。兄さんも、きっと聞いてはいるのだろう。聞いて、交渉材料としては知っている。それだけの話だ。

「うん」
「みつは選ぶつもりなの」
「……選ぶよ、そりゃあ」

 素知らぬ顔をして"家のため"なんて言葉は飲み込んだ。
 きっと俺がそう言って少しでも嫌がる素振りを見せれば、兄さんは自分の身を顧みず俺の味方をするのだろう。

 でも、それじゃあ駄目なんだ。
 兄さんは朔魔家の長男で、魔王の血を一番濃く引いている。
 次期当主として上に立つことを義務付けられ、重すぎるほどの期待と重圧を背負いながら、きっと、甘やかされて育つ弟を妬ましく思う時だってあったはずだ。

 なのにそんな様子を微塵も見せず、いつだって穏やかな兄のままでいてくれた。

 恩返し、なんて薄っぺらい言葉とは少し違う。
 俺は本当に、兄さんのためなら喜んで死ねるとすら思うのだ。結婚一つで朔魔……直接的に兄さんの役に立てるのなら、それに越したことはないではないか。

「はい、レタス終わったよ。次は何すればいい?」
「…………みつ」
「やめてよ兄さん、俺は幸せなんだって。ほら、琉架は変わってるけどいい奴だし、天勝も多分……そんなに、悪い奴じゃない。大丈夫だよ」

 滲む視界を晴らそうと、何度も瞬きを繰り返す。妙に優しく聞こえる声のせいか、感情が幾重にも増幅されて止まらない。
 涙の膜を弾き飛ばしているはずなのに、後から後から込み上げて、もうどうしようもできなかった。

 あぁ本当に、弱くて甘えたな出来損ない。同じ血を引いてるはずの兄さんと何故こうも違うのだろう。

「ごめ……ちょっと経てば、っ、落ち着く……から、」
「ねぇみつ、これを食べたら二人で少し話をしよう。私の考えてることも全部全部伝えるから、みつにも本気で話してほしい。……何も心配しなくていいんだよ」

 声なんて出せず、ただ頷くのに精一杯だった。
 涙で張り付きそうになった前髪を、優しい指が梳いていく。二人だけの空間に、遠く聞こえる鳥の声と、小さな嗚咽が響いていた。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━



「……落ち着いた?」
「うん」

 ずびりと鼻を鳴らして、差し出されたティッシュを掴む。泣いた後というのはどうしてこうも気まずいのか。人類の永遠の課題といってもいいレベルだ。
 
「サンドイッチ、食べようか。お腹空いたでしょう」
「……ん」

 正直そんなにお腹は空いてない。
 だって、起きてからやったことといえば、リビングまでの短い距離を歩いただけだ。
 人は寝ているだけでカロリーを消費するとはいうけれど、今は食欲より気恥ずかしさの方が勝っているから空腹を感じないだけなのだろうか。

「……ああそうだ。一応この辺り一帯が私有地ではあるんだけど、少し歩いたところに湖があってね。綺麗なところだから、みつもきっと気にいると思うよ」
「そうなんだ。私有地なら飛んでもいいの?」
「あんまり高いのは危ないから駄目だよ。……でもそうだね、久しぶりに一緒に飛ぼうか」
「やった!」

 そう声を上げた瞬間、視界の端を黒いものが横切った。喜びのあまり、無意識に翼を出してしまっていたらしい。

「ふっ……ふふっ、そんなに楽しみなんだ?」
「や、ちが……くはないけど……!」

 幼少期にこういったことは数あれど、それは感情の制御が上手くできないからであって、決して一般的なことではない。
 むしろ感情を抑制できない=イコール恥ずべきことであるはずなのに、兄さんは何故か嬉しそうに笑っていた。
 心なしか、いつもの上品な笑いかたとは違い、大口で笑っているようにも見える。正確には手で口もとを隠されているからわからないけど。

「あははっ、可愛いなぁ。確かに久しぶりだものね」
「もう! 笑いすぎだと思うんだけど!」
「ごめんごめん、あんまり可愛くって」

 目尻の涙を拭いながら、兄さんはにこりと微笑んでみせた。顔がいい人間って本当にずるい。微笑むだけで、全部許されると思ってるんだから。

 …………まあ許すけど!!
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