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夜会嫌いの魔王様
第二十話
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時刻は夜会開始二十分前。
入口でスマホを預けてボディチェックを受けた後、講堂の中へと通される。既に人でごった返している室内は、まさしく蟻地獄のようだった。
「琉架……絶対俺から離れるなよ。あと余計な喧嘩を売るな。お行儀よく、お行儀よくだ。わかったな?」
「はぁ~い」
「あっ、喧嘩を買うのも駄目だからな! ここであったことは全部笑顔で流すんだぞ!」
聞いているのかいないのか。生返事に苛立ちはしても、喧嘩をしている暇などなかった。
黒と薄紫。対照的なデザインに身を包んだ二人は、既に注目を浴び始めている。琉架に見惚れている人間が大半ではあるが、中には光への視線も混じっていた。……ああ、本当に嫌だ。
内心ため息を吐きながら、隅へ隅へと移動する。壁の花とはよく言うが、今日ばかりは壁にへばりついていたかった。
「これはこれは朔魔様、今夜は一段とお美しくあられる。まるで月夜に咲く黒百合のようだ。──本日は、お兄様とご一緒ではないのですか?」
「狩矢様、お褒めの言葉をありがとうございます。兄は所用がございまして。……琉架、この方は狩矢家のご子息で僕の先輩にあたる方だよ。ご挨拶を」
クソ野郎が。
壁際に移動するまでの短い間。その隙を狙って話しかけてきた相手を呪いつつ、それでもにこやかに対応する。
お美しいなんて言葉はただの飾りで、目の前の男の視線が、それを如実に表していた。
端的に言ってしまえば、琉架しか目に入っていない。あからさますぎて、いっそ笑えるほどである。言外に"紹介しろ"という圧を無視することも出来ず、琉架に目線で促した。
「初めてお目にかかります。レヴィアタン・ディヴィア・琉架です。以後お見知り置きを」
「おお、レヴィアタンの方でしたか。どこかで拝見したことがあるとは思っていたのですが、まさかご子息ご本人とは」
なんだ、やればできるじゃないか。
綺麗な所作を眺めながら、ホッと胸を撫で下ろす。もし手に負えなくなったら、最悪こいつだけ置いて帰ろうと思っていたのだ。
もともと夜会は苦手だし、暴走する馬の手綱を引き続けるほど、俺は器用でも優しくもない。まああくまで"最悪の選択肢"なのであって、選ばなくていいのなら、それに越したことはない。
「狩矢様、そろそろ夜会が始まりますので」
続く言葉は口にしない。それが品位というものだから。言外に察せという回りくどさは、こうやって鍛えられていくのである。
「ああこれは失礼致しました」
ほら、ちゃんと察してくれるだろう? あとは礼をして、立ち去ればいいという寸法だ。そっと右足を後ろに引けば、目の前の男は慌てたように口を開いた。
「あ、少しお待ちを。……もしよろしければ、ダンスのご予約をさせていただけないでしょうか。もちろん朔魔様の後で構いませんので」
「はぁ?」
食い気味な低音を、肘でつついて止めさせる。パートナーがいる相手をダンスに誘うなぞ、あり得なくはないが、かなり強引なやり方だ。──この男は、よほど琉架のことが気に入ったらしい。
本来であれば首を横に振ればいいだけなのだが、こうも注目を浴びた状態では難しい。
何故かって? 家柄的には格下とはいえ、相手が上級生だからである。しかも割と面倒なタイプの。
けれど、一度許してしまえば、後から後から誘いがくるのは目に見えていた。それを断るのにも、また頭を悩ませなければならないのだ。
(あー!! 面倒くさい!!)
これだから夜会は嫌なのだ。周囲の視線はあからさまに、俺と琉架に集まっている。何と答えるのか次第で、アプローチを変えるつもりなのだろう。
まったく、厄介な役目を引き受けてしまったものである。
暫しの沈黙を挟んで、俺は琉架にしなだれかかった。もともと腕は組んでいたから、頭を寄せるような形に近い。
驚きに口を開こうとする後輩を制しつつ、眉根を寄せて、男の方に目を向ける。
「……申し訳ございません。お恥ずかしい話なのですが、不慣れな靴を履いているせいで、彼に支えてもらわなければ立てないのです。──今回ばかりは、どうか見逃していただけないでしょうか」
………………
痛いほど静まり返った空気の中で、俺は既に涙目だった。
この場が柔らかい地面だったら、穴を掘って、即座に飛び込んでいただろう。
胸を掻きむしりたくなるほどの羞恥心に、じわじわ精神が殺されていく。誰ひとりとして何も言わないのが、また恐ろしさを際立たせていた。
特に琉架。いや、お前だけは黙るなよ。庇ってやったんだから、せめて同意くらいしろ。そう心の中で問い詰めても、もちろん聞こえている筈がない。
すっかり俯いて床ばかりを眺めていれば、ごくりと、唾を飲み込むような音がした。
「朔魔様、お許しください。私の配慮が足りませんでした」
「あ……ああいえ、こちらこそ折角のお誘いを……」
ようやく男が口を開いて、それに心底ホッとする。
どうやら意図は伝わったらしい。張り詰めていた緊張が緩めば、途端に足が震え出した。──ただでさえ苦手な社交の場で、ここまで注目を浴び続けたのだ。足が震えるくらいで済んでいる方が、むしろ奇跡だとも言える。
頼むから、早く向こうに行ってくれ……! 琉架のおかげで何とか立ってはいるものの、気力的にも体力的にも、既に限界に近かった。
小さく震える体を見て、一体何を思ったのか。目の前の男が手を伸ばす。けれどその手は遮られ、剣呑な光を宿したオレンジが、うっそりと嗤っていた。
「それ、俺の役目なんでぇ」
入口でスマホを預けてボディチェックを受けた後、講堂の中へと通される。既に人でごった返している室内は、まさしく蟻地獄のようだった。
「琉架……絶対俺から離れるなよ。あと余計な喧嘩を売るな。お行儀よく、お行儀よくだ。わかったな?」
「はぁ~い」
「あっ、喧嘩を買うのも駄目だからな! ここであったことは全部笑顔で流すんだぞ!」
聞いているのかいないのか。生返事に苛立ちはしても、喧嘩をしている暇などなかった。
黒と薄紫。対照的なデザインに身を包んだ二人は、既に注目を浴び始めている。琉架に見惚れている人間が大半ではあるが、中には光への視線も混じっていた。……ああ、本当に嫌だ。
内心ため息を吐きながら、隅へ隅へと移動する。壁の花とはよく言うが、今日ばかりは壁にへばりついていたかった。
「これはこれは朔魔様、今夜は一段とお美しくあられる。まるで月夜に咲く黒百合のようだ。──本日は、お兄様とご一緒ではないのですか?」
「狩矢様、お褒めの言葉をありがとうございます。兄は所用がございまして。……琉架、この方は狩矢家のご子息で僕の先輩にあたる方だよ。ご挨拶を」
クソ野郎が。
壁際に移動するまでの短い間。その隙を狙って話しかけてきた相手を呪いつつ、それでもにこやかに対応する。
お美しいなんて言葉はただの飾りで、目の前の男の視線が、それを如実に表していた。
端的に言ってしまえば、琉架しか目に入っていない。あからさますぎて、いっそ笑えるほどである。言外に"紹介しろ"という圧を無視することも出来ず、琉架に目線で促した。
「初めてお目にかかります。レヴィアタン・ディヴィア・琉架です。以後お見知り置きを」
「おお、レヴィアタンの方でしたか。どこかで拝見したことがあるとは思っていたのですが、まさかご子息ご本人とは」
なんだ、やればできるじゃないか。
綺麗な所作を眺めながら、ホッと胸を撫で下ろす。もし手に負えなくなったら、最悪こいつだけ置いて帰ろうと思っていたのだ。
もともと夜会は苦手だし、暴走する馬の手綱を引き続けるほど、俺は器用でも優しくもない。まああくまで"最悪の選択肢"なのであって、選ばなくていいのなら、それに越したことはない。
「狩矢様、そろそろ夜会が始まりますので」
続く言葉は口にしない。それが品位というものだから。言外に察せという回りくどさは、こうやって鍛えられていくのである。
「ああこれは失礼致しました」
ほら、ちゃんと察してくれるだろう? あとは礼をして、立ち去ればいいという寸法だ。そっと右足を後ろに引けば、目の前の男は慌てたように口を開いた。
「あ、少しお待ちを。……もしよろしければ、ダンスのご予約をさせていただけないでしょうか。もちろん朔魔様の後で構いませんので」
「はぁ?」
食い気味な低音を、肘でつついて止めさせる。パートナーがいる相手をダンスに誘うなぞ、あり得なくはないが、かなり強引なやり方だ。──この男は、よほど琉架のことが気に入ったらしい。
本来であれば首を横に振ればいいだけなのだが、こうも注目を浴びた状態では難しい。
何故かって? 家柄的には格下とはいえ、相手が上級生だからである。しかも割と面倒なタイプの。
けれど、一度許してしまえば、後から後から誘いがくるのは目に見えていた。それを断るのにも、また頭を悩ませなければならないのだ。
(あー!! 面倒くさい!!)
これだから夜会は嫌なのだ。周囲の視線はあからさまに、俺と琉架に集まっている。何と答えるのか次第で、アプローチを変えるつもりなのだろう。
まったく、厄介な役目を引き受けてしまったものである。
暫しの沈黙を挟んで、俺は琉架にしなだれかかった。もともと腕は組んでいたから、頭を寄せるような形に近い。
驚きに口を開こうとする後輩を制しつつ、眉根を寄せて、男の方に目を向ける。
「……申し訳ございません。お恥ずかしい話なのですが、不慣れな靴を履いているせいで、彼に支えてもらわなければ立てないのです。──今回ばかりは、どうか見逃していただけないでしょうか」
………………
痛いほど静まり返った空気の中で、俺は既に涙目だった。
この場が柔らかい地面だったら、穴を掘って、即座に飛び込んでいただろう。
胸を掻きむしりたくなるほどの羞恥心に、じわじわ精神が殺されていく。誰ひとりとして何も言わないのが、また恐ろしさを際立たせていた。
特に琉架。いや、お前だけは黙るなよ。庇ってやったんだから、せめて同意くらいしろ。そう心の中で問い詰めても、もちろん聞こえている筈がない。
すっかり俯いて床ばかりを眺めていれば、ごくりと、唾を飲み込むような音がした。
「朔魔様、お許しください。私の配慮が足りませんでした」
「あ……ああいえ、こちらこそ折角のお誘いを……」
ようやく男が口を開いて、それに心底ホッとする。
どうやら意図は伝わったらしい。張り詰めていた緊張が緩めば、途端に足が震え出した。──ただでさえ苦手な社交の場で、ここまで注目を浴び続けたのだ。足が震えるくらいで済んでいる方が、むしろ奇跡だとも言える。
頼むから、早く向こうに行ってくれ……! 琉架のおかげで何とか立ってはいるものの、気力的にも体力的にも、既に限界に近かった。
小さく震える体を見て、一体何を思ったのか。目の前の男が手を伸ばす。けれどその手は遮られ、剣呑な光を宿したオレンジが、うっそりと嗤っていた。
「それ、俺の役目なんでぇ」
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