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最悪な一日
第十話
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「おはよう光」
次の日、一番最初に見たのは最悪な笑顔だった。なんの邪気もなく笑う姿に吐き気すら覚えてしまう。普段なら挨拶くらいは返すのだけど、昨日の今日で割り切るには、あまりにも胃もたれする話だ。
「………はよ」
無視だけはしないでおこうと、視線を逸らして最低限の二言だけを呟く。もう猫被りもクソもないが、自分でもどうすればいいのか図りかねていた。
天勝と惡澤。どちらか一方を選ぶなら、どう考えても惡澤の方がいいに決まってる。――と、確かにそう思っていたはずなのだ、二日前までの自分なら。
でも、あの恍惚とした表情を見てしまっては、どうにも信用しきれない。
そもそも惡澤もといレヴィアタンは、名前を偽っていたことも、まだ謝ってすらいないのだ。
解消を前提に婚約するという話だって、もしかしたら嘘かもしれない。考えることが多すぎて、もう頭の中はパンク状態だった。
「どうしたの? 元気ないね」
「あー、いや、別に……」
半分以上はお前のせいだよクソ野郎。
心の中でボヤいても、それを口に出す勇気なんてありはしない。俺にできるのは、ただ早く終われと願いながら、気のない返事を返すことだけ。
「体調悪いんじゃない? 隈が――」
「ッ、触るな!」
パシンッ 乾いた音がやけに響いて、嫌な汗が背中を伝った。考えるより先に、体が動いてしまったのだ。
状況が理解できていないのだろう。天勝は驚いた顔のままで固まっている。
ああ、ああ、どうしよう。遂に取り返しがつかないことをしてしまった。今まで被ってきた猫の仮面も、大人しい優等生のフリも、これで全部……お終いだ。
けれど、そう思う反面、妙な爽快感も抱いていた。ようやく重荷を捨てられたような、足枷を引きちぎったような、そんな感じの気持ちよさ。爽快感というよりは、解放感に近いのかもしれない。
「天勝くん大丈夫?」
「おい朔魔、叩くのはやり過ぎだろ」
何も知らないクラスメイトが、呼んでもないのに集まってくる。わらわらとしたその光景が、まるで角砂糖に群がるアリみたいで気持ち悪い。
そもそもの話、俺は叩いてなどいない。頬に触れようとした手を、すこしばかり強めに払いのけただけである。
けれど、口々に喚くアリたちが、弁明の余地を与えてくれるはずもない。どちらの味方をするのかなんて、最初から決まっているのだから当然だ。
「俺は大丈夫だから、みんな落ち着いて」
固まっていた男が、ようやく口を開く。そうだそうだ、お前らは帰れ! この時ばかりは素直に同意しかけたけれど、その後に続く言葉が、地獄への落し穴だった。
「光のこれは照れ隠しなんだよ。だって俺たちは婚約したんだから――ね、光?」
はく、と空気が漏れる音がした。痛いほどの沈黙の中、心拍数だけが歪に跳ね上がっていく。わざと強調された二文字に悪意を感じるなという方が無理な話だ。
……こいつ、マジでやりやがった。
「え」
最初に声を出したのは誰だったか。その一言を皮切りに、絶叫のような、歓声のような悲鳴が上がる。教室を揺らすほどの声に誘われ、他クラスの生徒も野次馬根性で駆けつける。もう阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
「……天勝くん、ちょっと話があるんだけど」
「奇遇だね。俺も二人っきりになりたいと思ってたんだ」
こうも周囲が騒がしいと、一周回って冷静になる。
とりあえず場所を変えようと提案すれば、悪意のある言い回しが返ってきて、また無駄な悲鳴が上がった。思わず舌打ちをしそうになって、こいつに構ってる暇はないと思い直す。
時計は既に朝礼十分前を示しているし、あと五分もすれば担任が来てしまうだろう。
「……じゃあ着いてきて」
教室の入り口は人がごった返していたから、窓を開けて、そのまま空へと飛び立った。天勝は飛べないだろうけど、どうせ走ってついてくる。それがわかっていたから、敢えて後ろは振り返らなかった。
まぁ半分は、着いてこないことを期待してたんだけど。
次の日、一番最初に見たのは最悪な笑顔だった。なんの邪気もなく笑う姿に吐き気すら覚えてしまう。普段なら挨拶くらいは返すのだけど、昨日の今日で割り切るには、あまりにも胃もたれする話だ。
「………はよ」
無視だけはしないでおこうと、視線を逸らして最低限の二言だけを呟く。もう猫被りもクソもないが、自分でもどうすればいいのか図りかねていた。
天勝と惡澤。どちらか一方を選ぶなら、どう考えても惡澤の方がいいに決まってる。――と、確かにそう思っていたはずなのだ、二日前までの自分なら。
でも、あの恍惚とした表情を見てしまっては、どうにも信用しきれない。
そもそも惡澤もといレヴィアタンは、名前を偽っていたことも、まだ謝ってすらいないのだ。
解消を前提に婚約するという話だって、もしかしたら嘘かもしれない。考えることが多すぎて、もう頭の中はパンク状態だった。
「どうしたの? 元気ないね」
「あー、いや、別に……」
半分以上はお前のせいだよクソ野郎。
心の中でボヤいても、それを口に出す勇気なんてありはしない。俺にできるのは、ただ早く終われと願いながら、気のない返事を返すことだけ。
「体調悪いんじゃない? 隈が――」
「ッ、触るな!」
パシンッ 乾いた音がやけに響いて、嫌な汗が背中を伝った。考えるより先に、体が動いてしまったのだ。
状況が理解できていないのだろう。天勝は驚いた顔のままで固まっている。
ああ、ああ、どうしよう。遂に取り返しがつかないことをしてしまった。今まで被ってきた猫の仮面も、大人しい優等生のフリも、これで全部……お終いだ。
けれど、そう思う反面、妙な爽快感も抱いていた。ようやく重荷を捨てられたような、足枷を引きちぎったような、そんな感じの気持ちよさ。爽快感というよりは、解放感に近いのかもしれない。
「天勝くん大丈夫?」
「おい朔魔、叩くのはやり過ぎだろ」
何も知らないクラスメイトが、呼んでもないのに集まってくる。わらわらとしたその光景が、まるで角砂糖に群がるアリみたいで気持ち悪い。
そもそもの話、俺は叩いてなどいない。頬に触れようとした手を、すこしばかり強めに払いのけただけである。
けれど、口々に喚くアリたちが、弁明の余地を与えてくれるはずもない。どちらの味方をするのかなんて、最初から決まっているのだから当然だ。
「俺は大丈夫だから、みんな落ち着いて」
固まっていた男が、ようやく口を開く。そうだそうだ、お前らは帰れ! この時ばかりは素直に同意しかけたけれど、その後に続く言葉が、地獄への落し穴だった。
「光のこれは照れ隠しなんだよ。だって俺たちは婚約したんだから――ね、光?」
はく、と空気が漏れる音がした。痛いほどの沈黙の中、心拍数だけが歪に跳ね上がっていく。わざと強調された二文字に悪意を感じるなという方が無理な話だ。
……こいつ、マジでやりやがった。
「え」
最初に声を出したのは誰だったか。その一言を皮切りに、絶叫のような、歓声のような悲鳴が上がる。教室を揺らすほどの声に誘われ、他クラスの生徒も野次馬根性で駆けつける。もう阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
「……天勝くん、ちょっと話があるんだけど」
「奇遇だね。俺も二人っきりになりたいと思ってたんだ」
こうも周囲が騒がしいと、一周回って冷静になる。
とりあえず場所を変えようと提案すれば、悪意のある言い回しが返ってきて、また無駄な悲鳴が上がった。思わず舌打ちをしそうになって、こいつに構ってる暇はないと思い直す。
時計は既に朝礼十分前を示しているし、あと五分もすれば担任が来てしまうだろう。
「……じゃあ着いてきて」
教室の入り口は人がごった返していたから、窓を開けて、そのまま空へと飛び立った。天勝は飛べないだろうけど、どうせ走ってついてくる。それがわかっていたから、敢えて後ろは振り返らなかった。
まぁ半分は、着いてこないことを期待してたんだけど。
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