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全ての始まり
第九話
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あの衝撃的な事件からざっくり二日後。
日曜日という喜ばしい休日の真っ昼間に、俺は父さんから呼び出しを受けていた。内容なんて聞くまでもない。――そう、世にも悍ましいあの婚約についての話である。
「お前を呼んだのは他でもない」
「今すぐに断って!!」
それ以上言葉を続けられる前にと、自分に出せる最大音量で遮った。
「……その言葉が出てくるということは、もう知ってるんだな?」
「俺だって知りたくなかったよ。こんなこと……」
「ゴホンッ、まぁいい。それでお前を呼んだのは───」
「素敵な殿方から結婚の申し込みがあったからよ。ねぇ、卿介さん」
わざとらしい咳払いの後、続く言葉を尚も遮られ、父さんは不快そうに眉を顰めた。こんなことをする人間は、俺の知る限り一人しかいない。
嫌な予感に振り返ると、そこには案の定、にこにこと微笑む母の姿があった。思わず顔が引き攣って、そのまま強く奥歯を噛む。なんで、なんで母さんがここに。
「天勝にレヴィアタン――両家とも文句なしに釣り合いが取れる家柄ね。それで、光はどっちを選ぶの?」
「婚約なんてしないってば!」
「あら、なんで? 写真を見せてもらったけれど、二人とも素敵な顔立ちをしてるじゃない」
「イケメンかどうかの問題じゃないから!!」
ああほらこうなる。これだから母さんと話すのは嫌なんだ。いっつも自分主体で物事を進めてくる癖に『私は子どもの幸せを願ってます』という顔をする。自分の意見を押し通したいのなら、せめて悪役に徹しろというのだ。
「沙慧、光、お互いに少し落ち着きなさい。ひとつ訂正しておくが、私は別に無理やり婚約させようだなんて思ってないよ」
「……父さん…っ!」
やはり持つべきものは父。愛するべきは父である。
大袈裟に涙ぐみながら、優しく微笑む父さんの元へと近づいた。しかし半分ほど進んだところで、その机の上に広げられた、大量の書類と写真を見てしまう。
その中には、天勝と惡澤の顔もあった。瞬時に後ずさって逃げようとしたものの、時すでに遅し。
「だがな、光。朔魔家の男には、やらねばならん時がある」
バタンッ 音を立てて閉まる扉。前門の父、後門の母。唯一味方の兄さんは、まだ帰る気配すらない。
混乱する頭をどうにかこうにか捏ねくり回して、俺はひとつの解答を導き出した。まず、この状況で俺が意見を通せる確率はゼロに近い。父さんと母さんもそれがわかってるから強気なのだ。
――ならば、ギリギリまで話を引き伸ばして援軍を待つしかない。兄さんは絶対俺の味方をしてくれるし、断るのが無理でも、期間の延長くらいは進言してくれるだろう。
「わかってるよ父さん。でもさ、流石にいきなりすぎると思うんだ。婚約なんて大事なことなんだし、もう少しくらい考えさせてよ」
「はぁ……その様子では何も聞かされていないらしいな。もともと、縁談の話自体は前からあったんだよ」
「そうそう、婚約者候補だって大勢いるのよ?」
「………………は?」
思わず思考が停止する。
待て待て待て、もともと縁談の話はあった? 婚約者候補が大勢いる? 一体なんの話をしてるんだ。
「お前に関する縁談は全て星黎に任せていたんだ。あの子がどうしても、自分がやりたいというものだからね」
「ええ、それなのに婚約者が決まらないまま十六歳になっちゃうなんて。子ども成長って本当に早いわぁ」
「待ってよ、俺、そんな話聞いたこと――」
「朔魔家の次男に、縁談の話が来ないはずないだろう」
その一言を聞いて、妙に納得してしまっている自分がいた。
婚約はいわば協定。家同士の繋がりだ。中等部から高等部にかけて、誰かが婚約したという話は、何度か耳にしたことがあった。家柄が高ければ高いほど、その権力を求めて、多くの候補者が殺到する。
朔魔も家柄でいえばかなりの地位にいるけれど、兄さんという優良物件がある以上、俺なんかを選ぶ人はいないだろうと思ってた。でも、考えてみれば逆なのだ。
兄さんは競争率が異常に高いし、生半可な家が申し込んだところで弾かれるのが関の山。ならば、地味で目立たない次男であればと、そう考えるのが妥当であろう。
「もう卿介さんったら、そんなことが言いたいわけじゃないでしょう?」
「ああすまない、話が逸れてしまった。――今回のことは良いきっかけだ。光」
「……はい」
「天勝とレヴィアタン。高等部を卒業するまでに、どちらと婚約するか決めなさい」
「……………」
「家柄においては、この二人が群を抜いている。婚約した際のメリットについても申し分ない」
正直、もう何も言えなかった。
だってそうだろう。父さんの言うことは全て理に適っているし、次男である以上、婚姻を利用するのは当然のこと。選択肢を与えられているだけ、まだ"愛されて"いるのである。
だって俺が父さんなら、兄さんのために天勝を選ぶ。それがわかっているから、もう、何も言えないのだ。
押し黙った姿を見て、肯定であると受け取ったのだろう。見合い関係の書類が入った大きな封筒を手渡され、もう部屋に戻っていいと、静かな声で告げられた。俺に出来るのは、無言のまま頷くことだけ。
「……ああ勿論。彼ら以上の候補者が見つかったなら、いつでも相談しに来るといい。可愛いお前のためならば、時間はいくらでも用意するよ」
部屋から出ようとする背中に、無責任な譲歩が投げ渡される。
ふざけるな! ただ一言。そう叫びたくなる気持ちを押しつぶそうと、奥歯を強く、音が出るほど噛み締める。卒業まで期間が伸びたとはいえ、結局は同じことじゃないか。
ようやく部屋に辿り着いても、やりきれない感情を消化しきれず、ただ枕を殴ることしか出来なかった。
日曜日という喜ばしい休日の真っ昼間に、俺は父さんから呼び出しを受けていた。内容なんて聞くまでもない。――そう、世にも悍ましいあの婚約についての話である。
「お前を呼んだのは他でもない」
「今すぐに断って!!」
それ以上言葉を続けられる前にと、自分に出せる最大音量で遮った。
「……その言葉が出てくるということは、もう知ってるんだな?」
「俺だって知りたくなかったよ。こんなこと……」
「ゴホンッ、まぁいい。それでお前を呼んだのは───」
「素敵な殿方から結婚の申し込みがあったからよ。ねぇ、卿介さん」
わざとらしい咳払いの後、続く言葉を尚も遮られ、父さんは不快そうに眉を顰めた。こんなことをする人間は、俺の知る限り一人しかいない。
嫌な予感に振り返ると、そこには案の定、にこにこと微笑む母の姿があった。思わず顔が引き攣って、そのまま強く奥歯を噛む。なんで、なんで母さんがここに。
「天勝にレヴィアタン――両家とも文句なしに釣り合いが取れる家柄ね。それで、光はどっちを選ぶの?」
「婚約なんてしないってば!」
「あら、なんで? 写真を見せてもらったけれど、二人とも素敵な顔立ちをしてるじゃない」
「イケメンかどうかの問題じゃないから!!」
ああほらこうなる。これだから母さんと話すのは嫌なんだ。いっつも自分主体で物事を進めてくる癖に『私は子どもの幸せを願ってます』という顔をする。自分の意見を押し通したいのなら、せめて悪役に徹しろというのだ。
「沙慧、光、お互いに少し落ち着きなさい。ひとつ訂正しておくが、私は別に無理やり婚約させようだなんて思ってないよ」
「……父さん…っ!」
やはり持つべきものは父。愛するべきは父である。
大袈裟に涙ぐみながら、優しく微笑む父さんの元へと近づいた。しかし半分ほど進んだところで、その机の上に広げられた、大量の書類と写真を見てしまう。
その中には、天勝と惡澤の顔もあった。瞬時に後ずさって逃げようとしたものの、時すでに遅し。
「だがな、光。朔魔家の男には、やらねばならん時がある」
バタンッ 音を立てて閉まる扉。前門の父、後門の母。唯一味方の兄さんは、まだ帰る気配すらない。
混乱する頭をどうにかこうにか捏ねくり回して、俺はひとつの解答を導き出した。まず、この状況で俺が意見を通せる確率はゼロに近い。父さんと母さんもそれがわかってるから強気なのだ。
――ならば、ギリギリまで話を引き伸ばして援軍を待つしかない。兄さんは絶対俺の味方をしてくれるし、断るのが無理でも、期間の延長くらいは進言してくれるだろう。
「わかってるよ父さん。でもさ、流石にいきなりすぎると思うんだ。婚約なんて大事なことなんだし、もう少しくらい考えさせてよ」
「はぁ……その様子では何も聞かされていないらしいな。もともと、縁談の話自体は前からあったんだよ」
「そうそう、婚約者候補だって大勢いるのよ?」
「………………は?」
思わず思考が停止する。
待て待て待て、もともと縁談の話はあった? 婚約者候補が大勢いる? 一体なんの話をしてるんだ。
「お前に関する縁談は全て星黎に任せていたんだ。あの子がどうしても、自分がやりたいというものだからね」
「ええ、それなのに婚約者が決まらないまま十六歳になっちゃうなんて。子ども成長って本当に早いわぁ」
「待ってよ、俺、そんな話聞いたこと――」
「朔魔家の次男に、縁談の話が来ないはずないだろう」
その一言を聞いて、妙に納得してしまっている自分がいた。
婚約はいわば協定。家同士の繋がりだ。中等部から高等部にかけて、誰かが婚約したという話は、何度か耳にしたことがあった。家柄が高ければ高いほど、その権力を求めて、多くの候補者が殺到する。
朔魔も家柄でいえばかなりの地位にいるけれど、兄さんという優良物件がある以上、俺なんかを選ぶ人はいないだろうと思ってた。でも、考えてみれば逆なのだ。
兄さんは競争率が異常に高いし、生半可な家が申し込んだところで弾かれるのが関の山。ならば、地味で目立たない次男であればと、そう考えるのが妥当であろう。
「もう卿介さんったら、そんなことが言いたいわけじゃないでしょう?」
「ああすまない、話が逸れてしまった。――今回のことは良いきっかけだ。光」
「……はい」
「天勝とレヴィアタン。高等部を卒業するまでに、どちらと婚約するか決めなさい」
「……………」
「家柄においては、この二人が群を抜いている。婚約した際のメリットについても申し分ない」
正直、もう何も言えなかった。
だってそうだろう。父さんの言うことは全て理に適っているし、次男である以上、婚姻を利用するのは当然のこと。選択肢を与えられているだけ、まだ"愛されて"いるのである。
だって俺が父さんなら、兄さんのために天勝を選ぶ。それがわかっているから、もう、何も言えないのだ。
押し黙った姿を見て、肯定であると受け取ったのだろう。見合い関係の書類が入った大きな封筒を手渡され、もう部屋に戻っていいと、静かな声で告げられた。俺に出来るのは、無言のまま頷くことだけ。
「……ああ勿論。彼ら以上の候補者が見つかったなら、いつでも相談しに来るといい。可愛いお前のためならば、時間はいくらでも用意するよ」
部屋から出ようとする背中に、無責任な譲歩が投げ渡される。
ふざけるな! ただ一言。そう叫びたくなる気持ちを押しつぶそうと、奥歯を強く、音が出るほど噛み締める。卒業まで期間が伸びたとはいえ、結局は同じことじゃないか。
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