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第九章 妖精

30話

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 代わり映えのしない朝。いつものように部屋を訪れた友人(仮)は、事もなげにこう言った。

『連れて行ってあげようか』
『えっ』
『温室、行ってみたいんでしょ?』
『い…いいの!?』
『うん。この時間帯なら見張りもいないしね』

 確かに、数回逢瀬を重ねたあたりから『植物が見たい』『散歩に行きたい』と愚痴を溢していたけれど、それは叶うはずのない夢であり、ただのストレス解消のつもりであった。

 なのに、なのに。まさかこんなチャンスがくるなんて!

 正直、自分でも目が輝いてる自覚はあった。下手をすれば新薬の配合を思いついた時より、……いや、アネモス草を見つけた時より嬉しいかも知れない。それ程までに、植物に飢えていたのである。

『じゃあ行こう』
「う、わっ……!」

 腕を強く引っ張られて、気づいた時には窓から身を乗り出していた。反射的に目を瞑ったけれど、いつまで待っても恐れていた衝撃は襲ってこない。
 それどころか、体中が変な浮遊感に包まれていて、ふわふわというか、ふらふらというか、とにかく変な感じだった。

『なーに怖がってるの? 早く目開けなよ』
『ま、待って、どうなってるのこれ』
『三つ数えるうちに開かないと落とすよ。さーん、にー』
『ちょッ……開ける、開けるから落とさないで!』

 本当は閉じたままでいたいけど、落とされるなんて聞いてしまえば、そうも言っていられない。

 ――ええい、もうどうにでもなれ! 

 そんな思いで目蓋を開くと、そこに映っていたのは、信じ難い光景だった。どこまでも広がる青い空と城下町。そこまではまだいい。……いいのだけど、問題は足元にあった。

 不思議なことに、遥か下の方に地面が見えて、本来であれば土を踏み締めているはずの足が浮いている。もっといえば、足だけでなく、体全体が浮いていた。

「えっ…えええ! むぐっ……」
『ちょっと、叫ばないでよ。流石にバレる』
『ご、ごめん』
『とりあえず移動しようか。時間が勿体ないからさ』

 ニンファが指を鳴らすと、どこからか柔らかな風が吹いて、僕たちの体をふわりと運んでいく。本当に不思議な感覚だけど、イメージだけで言えば、植物の"綿毛"に近いと思う。種子を遠くまで運ぶため、風に乗せて運ばせる方法だ。

『これはねぇ、重力操作と風魔法をアレンジした俺オリジナルの魔法だよ。ふわふわしてて楽しいでしょ?』

 風に運ばれて行く最中、さらりと吐かれた言葉に、思わず目を見開いた。ただでさえ難易度の高い重力操作を、風魔法と同時に使っているだなんて。

 魔法に詳しくないセラシェルでも、その異常さがわかるほどだった。けれど、恐ろしいのはそれだけではない。ニンファは自分だけでなく、僕にも魔法をかけている。つまり、魔力も魔法式もは必要なはずなのだ。
 
『そ…れって、難しいなんてレベルじゃないだろ』
『んー、まぁそこらへんの学者なら泡吹いて倒れるだろうね~』
『……ニンファってやっぱり妖精なの?』
『あははっ、サシェが言うならそうなのかも。――ほら、見えてきたよ』

 ニンファが指差した方向には、ガラス張りの大きな建物があった。すごく大きくて綺麗だけど、周りに人の気配はなく、見張りの兵士すら見当たらない。

『本当にここ? 見張りの人とかいないの?』
『ルミナーレ城に忍び込んで、わざわざ植物を盗むような馬鹿はいないよ。……まぁ、開門したら流石に見張りはつくけどね』
『へぇー、そうなんだ』

 入口らしき場所に降りると、地面があるのに、まだ浮いているような感じがした。馬車酔いともまた違う、足元がおぼつかない不思議な感じ。……なんか、気持ち悪いかも。

 吐くほどではないけれど、どうにも真っ直ぐ歩けない。とうとうしゃがみ込んだ僕を置いて、薄情な友人は、先へ先へと進んでいく。大きなガラス扉はあっさり開いて、まるでニンファを迎えているかのようだった。

『もう、いつまで座ってるの』
『ごめ……ちょっと、変な感じで……』
『残念だなぁ。サシェのだーいすきな植物がこーんなにあるのに』
『植物……? ――そうだ、薬草!!』

 煽るようなその声に、ようやく本来の目的を思い出す。そうだよ、僕は植物を見にきたんじゃないか。こんなところで座り込んでる場合じゃない。

『わっ…! ははっ、そうこないとね』

 勢いよく立ち上がれば、戻ってきたニンファと危うくぶつかりそうになる。けれど、もう僕の頭の中には植物のことしかなくて、ふらふらとした足取りのまま、温室の入口へと吸い込まれていった。
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