31 / 55
第九章 妖精
28話
しおりを挟む
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
見渡す限りの緑が広がるその場所で、目の前に咲いた薄紫の小さな花はただ静かにそよいでいた。
「イエルバ、また新しい植物を創っているのかい」
「アイレ兄様。今回は自信作だよ、ほら見て。花びらが風で動くんだ」
「へぇ面白いね。それなら、もっと強い風を吹かせてあげようか?」
「アイレ兄様ならそう言ってくれると思ってた!」
薄紫の花びらが回る中、楽しげに笑う青年たちの声が、強い風に運ばれては消えていく。それはとても穏やかで、とても幸せな光景だった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▽
「ふぁ………」
なんだか良い夢を見た気がする。大きなあくびをひとつして、寝ぼけ眼のままベッドから足を降ろした。
椅子を半分引き摺りながら、いつもの定位置まで移動する。朝の日差しに目を細めながらもカーテンを留めようとしたその時、何かおかしなものと目があった。
シャッ
反射的にカーテンを閉めて、まだ寝ぼけているのかと瞼を擦る。え、あれ何? 流石に見間違いだよね? そう思って恐る恐る開いてみると、それはまだそこにいた。――というか、さっきよりもずっと近くに来て、僕の方を眺めていた。
「ひっ………人が……浮いてる………?」
『やあ』
思わず叫び声を上げそうになったが、早朝だということを思い出して慌てて口を塞ぐ。ぷかぷかと宙に浮いている人物は、窓を指差して何か話しているようだった。……開けろってことなのかな。
少し迷った末、特に害意もなさそうだったので、言う通りに鍵を開けた。冷たい風と共に入ってきたその人は、窓辺に腰掛けたまま、楽しそうに笑っている。
「妖精……」
そんな言葉が自然と口からこぼれ落ちるほど、目の前の相手は美しかった。
ワインのような赤色の髪は両サイドを残してゆるく纏められ、そのまま上の方で固定されている。無造作に伸びた前髪からは濃い紫色の瞳が覗き、白いまつ毛に縁取られて美しく輝いていた。
陽の光を浴びて笑っている姿は、とても同じ人間とは思えないほど神秘的で、思わず見惚れてしまう。
『やあ、窓を開けてくれてありがとう。見たことない顔だけど、名前はなんて言うの?』
一見すると女性のようにも思えたけれど、その唇から発せられた声は存外低かった。よくよく見れば喉仏も浮き出ているし、恐らく男性ではあるのだろう。
『へぇ、君の目……黒かと思ったけど、深い緑色なんだね。草の加護持ちなんて珍しい。ねぇなんでこんな場所にいるの? もしかして捕まってたりする? ああいや、それはないか。だって窓さえあれば魔法で逃げられるもんね。ならやっぱり――』
『ま、待って! ルミナーレ語はまだ勉強中で……その……もっとゆっくり、お願いします』
ルミナーレ語で話しかけられているのはわかるけど、スピードが早くて、耳も理解も追いつかない。未だに続く言葉をジェスチャーで遮り、辿々しい言葉で勉強中であることを説明した。……伝わったかな?
窺うように彼の顔を見上げると、紫色の瞳が優しげに細められる。
『この速度なら聞き取れる?』
『うん』
『良かった、じゃあもう一回質問ね。君は誰? なんでこんなところにいるの』
聞き取りやすい速度で尋ねられ、辿々しいながらも伝わっていたことに、ホッと胸を撫で下ろす。
ただ、相手から投げかけられた質問に、どう答えるのかが難しかった。最初は素直に答えようとしていたけど、レオから聞いた話がふと頭を過って口をつぐむ。
悪い人では無さそうだけど、万が一、ヴィラを蹴落とそうとしている人だったらどうしよう。
『……それは、言えない』
属国の平民で、尚且つ身分すらハッキリしない自分を匿っていることが知れたら、ヴィラの評判に傷がつくかもしれない。そう考えた末に、ひとまず何も話さないでおくことにした。
相手の素性もわからないのだから、用心するに越したことはないだろう。
『へぇ、結構警戒心は強いんだ。でも名前くらいは教えてくれてもいいんじゃない?』
『じゃあサシェで』
『あは、わかりやすい偽名だね。よっぽど信用されてないみたいだ』
『……あなたの名前は?』
『そうだね、えーと。君がさっき言ってた言葉……なんだっけあれ』
「妖精?」
『うんそれだ。響きが気に入ったからそう呼んで』
どうやら彼の方も、本名を明かすつもりはないらしい。どう考えても怪しいけど、あちらにだけ正体を明かせというのも不公平だし、変に探り合うことになっても面倒だから深入りするのはやめておいた。
見渡す限りの緑が広がるその場所で、目の前に咲いた薄紫の小さな花はただ静かにそよいでいた。
「イエルバ、また新しい植物を創っているのかい」
「アイレ兄様。今回は自信作だよ、ほら見て。花びらが風で動くんだ」
「へぇ面白いね。それなら、もっと強い風を吹かせてあげようか?」
「アイレ兄様ならそう言ってくれると思ってた!」
薄紫の花びらが回る中、楽しげに笑う青年たちの声が、強い風に運ばれては消えていく。それはとても穏やかで、とても幸せな光景だった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▽
「ふぁ………」
なんだか良い夢を見た気がする。大きなあくびをひとつして、寝ぼけ眼のままベッドから足を降ろした。
椅子を半分引き摺りながら、いつもの定位置まで移動する。朝の日差しに目を細めながらもカーテンを留めようとしたその時、何かおかしなものと目があった。
シャッ
反射的にカーテンを閉めて、まだ寝ぼけているのかと瞼を擦る。え、あれ何? 流石に見間違いだよね? そう思って恐る恐る開いてみると、それはまだそこにいた。――というか、さっきよりもずっと近くに来て、僕の方を眺めていた。
「ひっ………人が……浮いてる………?」
『やあ』
思わず叫び声を上げそうになったが、早朝だということを思い出して慌てて口を塞ぐ。ぷかぷかと宙に浮いている人物は、窓を指差して何か話しているようだった。……開けろってことなのかな。
少し迷った末、特に害意もなさそうだったので、言う通りに鍵を開けた。冷たい風と共に入ってきたその人は、窓辺に腰掛けたまま、楽しそうに笑っている。
「妖精……」
そんな言葉が自然と口からこぼれ落ちるほど、目の前の相手は美しかった。
ワインのような赤色の髪は両サイドを残してゆるく纏められ、そのまま上の方で固定されている。無造作に伸びた前髪からは濃い紫色の瞳が覗き、白いまつ毛に縁取られて美しく輝いていた。
陽の光を浴びて笑っている姿は、とても同じ人間とは思えないほど神秘的で、思わず見惚れてしまう。
『やあ、窓を開けてくれてありがとう。見たことない顔だけど、名前はなんて言うの?』
一見すると女性のようにも思えたけれど、その唇から発せられた声は存外低かった。よくよく見れば喉仏も浮き出ているし、恐らく男性ではあるのだろう。
『へぇ、君の目……黒かと思ったけど、深い緑色なんだね。草の加護持ちなんて珍しい。ねぇなんでこんな場所にいるの? もしかして捕まってたりする? ああいや、それはないか。だって窓さえあれば魔法で逃げられるもんね。ならやっぱり――』
『ま、待って! ルミナーレ語はまだ勉強中で……その……もっとゆっくり、お願いします』
ルミナーレ語で話しかけられているのはわかるけど、スピードが早くて、耳も理解も追いつかない。未だに続く言葉をジェスチャーで遮り、辿々しい言葉で勉強中であることを説明した。……伝わったかな?
窺うように彼の顔を見上げると、紫色の瞳が優しげに細められる。
『この速度なら聞き取れる?』
『うん』
『良かった、じゃあもう一回質問ね。君は誰? なんでこんなところにいるの』
聞き取りやすい速度で尋ねられ、辿々しいながらも伝わっていたことに、ホッと胸を撫で下ろす。
ただ、相手から投げかけられた質問に、どう答えるのかが難しかった。最初は素直に答えようとしていたけど、レオから聞いた話がふと頭を過って口をつぐむ。
悪い人では無さそうだけど、万が一、ヴィラを蹴落とそうとしている人だったらどうしよう。
『……それは、言えない』
属国の平民で、尚且つ身分すらハッキリしない自分を匿っていることが知れたら、ヴィラの評判に傷がつくかもしれない。そう考えた末に、ひとまず何も話さないでおくことにした。
相手の素性もわからないのだから、用心するに越したことはないだろう。
『へぇ、結構警戒心は強いんだ。でも名前くらいは教えてくれてもいいんじゃない?』
『じゃあサシェで』
『あは、わかりやすい偽名だね。よっぽど信用されてないみたいだ』
『……あなたの名前は?』
『そうだね、えーと。君がさっき言ってた言葉……なんだっけあれ』
「妖精?」
『うんそれだ。響きが気に入ったからそう呼んで』
どうやら彼の方も、本名を明かすつもりはないらしい。どう考えても怪しいけど、あちらにだけ正体を明かせというのも不公平だし、変に探り合うことになっても面倒だから深入りするのはやめておいた。
0
お気に入りに追加
114
あなたにおすすめの小説
【完結・BL】DT騎士団員は、騎士団長様に告白したい!【騎士団員×騎士団長】
彩華
BL
とある平和な国。「ある日」を境に、この国を守る騎士団へ入団することを夢見ていたトーマは、無事にその夢を叶えた。それもこれも、あの日の初恋。騎士団長・アランに一目惚れしたため。年若いトーマの恋心は、日々募っていくばかり。自身の気持ちを、アランに伝えるべきか? そんな悶々とする騎士団員の話。
「好きだって言えるなら、言いたい。いや、でもやっぱ、言わなくても良いな……。ああ゛―!でも、アラン様が好きだって言いてぇよー!!」
過食症の僕なんかが異世界に行ったって……
おがとま
BL
過食症の受け「春」は自身の醜さに苦しんでいた。そこに強い光が差し込み異世界に…?!
ではなく、神様の私欲の巻き添えをくらい、雑に異世界に飛ばされてしまった。まあそこでなんやかんやあって攻め「ギル」に出会う。ギルは街1番の鍛冶屋、真面目で筋肉ムキムキ。
凸凹な2人がお互いを意識し、尊敬し、愛し合う物語。
帝国皇子のお婿さんになりました
クリム
BL
帝国の皇太子エリファス・ロータスとの婚姻を神殿で誓った瞬間、ハルシオン・アスターは自分の前世を思い出す。普通の日本人主婦だったことを。
そして『白い結婚』だったはずの婚姻後、皇太子の寝室に呼ばれることになり、ハルシオンはひた隠しにして来た事実に直面する。王族の姫が19歳まで独身を貫いたこと、その真実が暴かれると、出自の小王国は滅ぼされかねない。
「それなら皇太子殿下に一服盛りますかね、主様」
「そうだね、クーちゃん。ついでに血袋で寝台を汚してなんちゃって既成事実を」
「では、盛って服を乱して、血を……主様、これ……いや、まさかやる気ですか?」
「うん、クーちゃん」
「クーちゃんではありません、クー・チャンです。あ、主様、やめてください!」
これは隣国の帝国皇太子に嫁いだ小王国の『姫君』のお話。
奴の執着から逃れられない件について
B介
BL
幼稚園から中学まで、ずっと同じクラスだった幼馴染。
しかし、全く仲良くなかったし、あまり話したこともない。
なのに、高校まで一緒!?まあ、今回はクラスが違うから、内心ホッとしていたら、放課後まさかの呼び出され...,
途中からTLになるので、どちらに設定にしようか迷いました。
記憶の欠けたオメガがヤンデレ溺愛王子に堕ちるまで
橘 木葉
BL
ある日事故で一部記憶がかけてしまったミシェル。
婚約者はとても優しいのに体は怖がっているのは何故だろう、、
不思議に思いながらも婚約者の溺愛に溺れていく。
---
記憶喪失を機に愛が重すぎて失敗した関係を作り直そうとする婚約者フェルナンドが奮闘!
次は行き過ぎないぞ!と意気込み、ヤンデレバレを対策。
---
記憶は戻りますが、パッピーエンドです!
⚠︎固定カプです
賢者となって逆行したら「稀代のたらし」だと言われるようになりました。
かるぼん
BL
********************
ヴィンセント・ウィンバークの最悪の人生はやはり最悪の形で終わりを迎えた。
監禁され、牢獄の中で誰にも看取られず、ひとり悲しくこの生を終える。
もう一度、やり直せたなら…
そう思いながら遠のく意識に身をゆだね……
気が付くと「最悪」の始まりだった子ども時代に逆行していた。
逆行したヴィンセントは今回こそ、後悔のない人生を送ることを固く決意し二度目となる新たな人生を歩み始めた。
自分の最悪だった人生を回収していく過程で、逆行前には得られなかった多くの大事な人と出会う。
孤独だったヴィンセントにとって、とても貴重でありがたい存在。
しかし彼らは口をそろえてこう言うのだ
「君は稀代のたらしだね。」
ほのかにBLが漂う、逆行やり直し系ファンタジー!
よろしくお願い致します!!
********************
悪役令息の死ぬ前に
ゆるり
BL
「あんたら全員最高の馬鹿だ」
ある日、高貴な血筋に生まれた公爵令息であるラインハルト・ニーチェ・デ・サヴォイアが突如として婚約者によって破棄されるという衝撃的な出来事が起こった。
彼が愛し、心から信じていた相手の裏切りに、しかもその新たな相手が自分の義弟だということに彼の心は深く傷ついた。
さらに冤罪をかけられたラインハルトは公爵家の自室に幽閉され、数日後、シーツで作った縄で首を吊っているのを発見された。
青年たちは、ラインハルトの遺体を抱きしめる男からその話を聞いた。その青年たちこそ、マークの元婚約者と義弟とその友人である。
「真実も分からないクセに分かった風になっているガキがいたからラインは死んだんだ」
男によって過去に戻された青年たちは「真実」を見つけられるのか。
なぜか第三王子と結婚することになりました
鳳来 悠
BL
第三王子が婚約破棄したらしい。そしておれに急に婚約話がやってきた。……そこまではいい。しかし何でその相手が王子なの!?会ったことなんて数えるほどしか───って、え、おれもよく知ってるやつ?身分偽ってたぁ!?
こうして結婚せざるを得ない状況になりました…………。
金髪碧眼王子様×黒髪無自覚美人です
ハッピーエンドにするつもり
長編とありますが、あまり長くはならないようにする予定です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる