迷想画廊 肖像画編

マサキ エム

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九 解体

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 汲田きゅうだは紅茶を一口飲んでから、北原の様子をうかがいつつ、話し始めた。
「先に結婚されたのは、由麻ゆま様です。その後で志麻しま様が末主すえぬし家に嫁ぐことが決まりました。まだ柄楠えくすの先代はご健在でした。嫁いでも家を継ぐ権利は残るので、お二人は同等の権利をお持ちでした。そのため、男児が生まれたら末主家の養子にし、女児なら柄楠家に戻ることになりました。二組のご夫婦で合意して決めたことです」
「そんなに、割り切れるものですか」
 自分は好きで画廊を継いだし、裕福な家に生まれたことも、教養を得られたことも幸運だと思う。だが、親の――生まれた家に子どもの人生が左右される時代はもう、終わればいいと思っている。
「もちろん、本人の希望は尊重されます。あなたもご存じでしょう。両家とも、いいご家族ですよ」
「ええ。存じています」

「子どもたちが独立するまでは、きょうだいと一緒に産みの親が育てる方がいいだろうと、私を含め数人の使用人が、一緒に末主家に移りました。最初に生まれた子どもは二人とも男児で、由麻様の子の方が遅く生まれた。志麻様にはその後も男児が二人、由麻様には女児が生まれました。絵麻えま様といいます」
「エマさんにはお会いしました。スミット氏の娘さんだと――ああ」
「由麻様と、スミット氏の娘さんです。あなたと会ったのは、絵麻様が十代後半の頃でしょうか」
 亜麻色の髪の、美しい女性だった。今思えば志麻たちとも似ていたが、実年齢よりもずいぶん大人に見えた。名前の共通点も、全く気に止めなかった。

「他の関係者は、双子だということも知らない?」
「公の場で二人揃っていたことはありません。屋敷の者は知っていましたし、学校にはそれぞれの夫婦で対応していました。特に隠していたわけではないのです。ただ、柄楠家の本家は福井県。全国に土地や不動産を持ってはいますが、東京では無名です。名字が違うし、スミット氏は外国人だ。住所は末主家であっても、住み込みの家庭教師か何かだと思われていたんでしょう。繋がりはすぐ見えない。双子なので同じ格好をすれば似るし、説明しない限りは同一人物だと思われていた。逆に、全く似せないこともできました」
 汲田は末主家ではなく、柄楠家から連れて行った執事なのだ。あくまで志麻たちに仕えているのであり、末主家に仕えているというわけではないということだろう。
「由麻さんは、志麻さんの振りをしたわけではないと?」
「志麻様が三度目の出産後に体調を崩し、病気がちになりました。その頃から、子どもたちが同席する場には、由麻様が代理で旦那様に同行していました。末主家の子どもとして顔を出すのは男児のみですし、実子も含まれているので、違和感はありません」

「姉妹は仲が良かったんですか」
「ええ。二人は細かいことまで情報共有していました。由麻様は志麻様の真似をするのが得意でした。逆は難しい。そのうち、末主家の男の親族は戦争や病気でほとんど亡くなりました。お二人で事業や財産を分配しながら、最低限の家名を保つかたちになりました。そういった算段は志麻様の方が得意で、二人が一緒にいる意味は大きかったと思います」
「こちらで買われる物にもそれぞれ、偏りがありました。別人だと知っていたなら、個々にもっと深い関わり方ができたかもしれないのに」
 市場価値の高い物を購入していたのは志麻で、実用可能な装飾品を選んでいたのが由麻だったのだろう。どちらも目は確かだったし、同じくらい教養は深かった。

「元々、誰も家名にはこだわっていませんでしたが、建物にはそれぞれ、文化的な価値があります。震災でも戦災でも運良くほとんどが無事でした。色々な建築家や職人、芸術家と、各地に趣向を凝らした住居を建てていました。家には誰かが暮らすことに意味があるとか――それと同時に、家を失い離れても、血の繋がりは消えない。生きて新しい家族を得るのが人間なのだと」
 部屋や住居は、自分の内面を外側に表す空間だと言っていたのは、姉妹のどちらだったか。
「由麻さんは何故、志麻さんの振りをしてこちらにいらしていたんですか?」
「もしかしたら、見破って欲しかったのかもしれません。でも、あなたなら双子だと知っても、関係が変わらないと思ったからでしょう」
「家に行ったのも一度きりでしたし、私が気に入ってもらえた理由も、よくわかりません」

「来ていた理由は、由麻様が早くに亡くされたご長男、由里ゆうり様によく似ていらっしゃるからですよ。あなたが復員されたと聞いた時は、私も心底、安心しました」
 亡くした息子の面影を北原に重ねて、気にかけてくれていたのか。
 そういうことなら、復員して画廊を継いだ時、会いに来たのは由麻だったのだろう。
 旅行の土産を持ってきていたのも、おそらくは全て由麻の方だ。

「三年前に見えた時も、いつも通り、店頭と倉庫をくまなく見て回っていました。今日お持ちの物には、以前こちらで買われた物も含まれていますが、国内の古美術は私の選んだ物ではないですね。査定はご不要とのことですが、できるだけ還元させていただきます。極端に高額だったり貴重なものであれば、鑑定書を作って……あ。由麻さんの持ち物ということは、亡くなられたんでしょうか?エマさんたちはどちらに?」
 秘密の内容が知れたのに、知らないことが増えただけだ。北原はまた、混乱することになった。

「絵麻様は、あなたの肖像画を描かれた数年後、スミット氏と、彼の故郷であるオランダに渡りました。絵麻様は外見がほとんど欧米人に見えましたので、諸々、その方が良いだろうと。スミット氏は戻ってくる予定でしたが、世界情勢がなかなか安定せず、絵麻様があちらでご結婚されたのもあって、戻ってこられなくなってしまった」
「オランダに――大戦中も?」
 大戦中、オランダは微妙な立場のままナチス・ドイツの占領下に置かれた。
「ええ。連絡が途絶えてからも手を尽くして探したのですが、見つかりませんでした」
「それは……残念です。由麻さんはずっと国内にいらしたんですね」
「志麻様の病状があまり良くなかったので、由麻様は日本に残りました」

「それで――由麻さんは今」
 三年前の彼女は健康そうに見えたし、七十歳前後であの感じなら、まだ長生きすると思った。
「それが、志麻様が亡くなられてすぐ、行方がわからなくなってしまって」
「は……失踪されたんですか?」
 生きているなら順当に当主になったのかと思ったのに、意外な展開だ。
「柄楠家も親族は離散して、本家の建物も人の手に渡りました。由麻様は――心配ないから捜さないで――という書き置きがあったので、お元気なんでしょう。私にもう面倒をかけたくないが、落ち着いたら連絡するとも書いてありました。あの方は逞しいというか、先進的で自由な精神をお持ちでした。志麻様と一緒に末主家に入ったのも、志麻様が家の中で女ひとり孤立することがないように、とのことでしたが、今思えば、最初からどちらの家も解体するおつもりだったのかもしれません」
「……わかるような気がします」
 今日まで何も、知らなかったわけだが。
 もし自分に啓のような能力があれば、とっくに気付いていただろうに。

「手掛かりと言えば、蔵ではなく物置に残っていたこれらの品物です。書き置きに、目録に載っていない物は北原画廊に届けるようにと書いてありました。あなたに持っていてほしいか、謎解きを仕掛けているのではないかと――」
「謎解き、ですか」
「スミット氏の肖像画を置き去りにするのは、由麻様らしくありません。由麻様は常々、家族も家も無くなったら、修道女か尼僧になると仰っていましたので、一応、当たってみたのですが、わかりませんでした」
「尼僧――なるほど、尼寺が相手では、情報があまり気軽にもらえそうにないですね」
 家や配偶者から逃げて駆け込むことも多いと聞く。犯罪でも犯していない限りは、個人的な情報をもらうのは難しいだろう。
「その掛け軸……箱に、寺という字があるでしょう。妻が昔、柄楠家の茶室に飾られていた物かもしれないと言うのです。きれいな顔のお坊さんが描いてあったはずだと。もしそれが尼僧なら、その方を探せば手掛かりになるのではと思いました。かなり傷んでいるので、下手に開いて損傷してしまうのが怖くて、まだ中は確認できていません」

 これが本題だったのだ。
 確かに、何から説明すべきか悩んだのはわかる。
 きれいな顔のお坊さん――察するに、剃髪で、装束の違いもわかりにくいのだろう。女系の家で代々、大事にされていたのなら、女性の可能性は高い。
「箱書きがあるにはありますが……はっきり読み取れませんね。お寺の名前なのかな。まずは中身が合っているのか確かめないと。鑑定家より、研究家か修復関係の――津寺つじ先生に頼んだ方がいいかもしれない。謎は解けないまま終わるかもしれませんが、できるだけ調べてみます。場合によっては、先ほど聞いた事情を説明する必要があるかもしれませんが、支障ありませんか」
「大丈夫です」
「汲田さんはどうして、由麻さんと連絡を取りたいんですか」
「妻は、柄楠家でも末主家でも、子どもたちのお世話をしておりました。同じ仕事をしていた仲間から、この辺りで絵麻様に似た人物を見かけたという連絡があったからです。年齢的に、由麻様のお孫さんではないかと」
「それはまた……」
 無流や相棒の瀬戸のような聞き上手でなければ、誰に説明するにも中々、苦労しそうだ。

「私も、ここからあまり遠くないところに家をもらいました。これから妻と、その方を探すつもりでいます。もし由麻様がその方といらっしゃるなら話は早いのですが、連絡を待つとなると、すれ違いになりそうで――書き置きもあったことですし、捜索願を出すのはもう少し待とうかと」
「わかりました。何かわかる度に、できるだけお伝えしますね。もしまた、由麻さんが立ち寄られたら、汲田さんのお話をします」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
 汲田は深く礼をし、その日はそのまま画廊を後にした。
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