20 / 39
十九 看病
しおりを挟む
「……ん」
目を開けて、ぼんやりと天井を眺める。
いつもの自分の部屋でないことに気付いて、先日襲われた時の記憶が脳裏に浮かび、飛び起きた。
「大丈夫か?水を飲んだ方がいい」
英介さんが椅子から立ち上がり、薄手の上着を肩にかけてくれた。
病院ではない。画室高梨の住居部分だ。
――ということは、英介さんのベッドだ。
「あ……先生、僕」
水を受け取るが、状況が飲み込めない。
ソファで話していた後、ぼんやりして、そこからの記憶は曖昧だ。
眼帯をしていないのに、右目の特性がいつも通り出ない。
英介さんの手が首に軽く添えられ、すぐに離れた。
「熱を出して、寝込んでいたんだ。雨で冷えたのが原因だろうけど、事件の心労とか、薬品の影響かもしれないし、長引くようなら医者に見せた方がいいね。標文先生には連絡した。とても心配していたよ」
「お祖父さまが……」
祖父が心配してくれたというのは、少し嬉しい気がした。
「明日は学校も休みだし、とりあえず今夜は僕の一存で泊めさせてもらうことにしたけど、良かったかな」
二階まで運んでもらった感覚がふわりと甦り、どうしようもなく動揺した。
勝手に誤解で押し掛けて、倒れるなんて。
「すみません、ご迷惑ばかり」
ひたすら不甲斐なくて、恥ずかしい。
風呂に入って着替えた後だったのが、せめてもの救いだ。
ゆっくり水を飲む。
「移動が負担なら、落ち着くまで何日でも遠慮なく泊まってくれ。たまご粥を作ったが、食べられそうか?もっと食べられるなら、おにぎりぐらいならできる。何か食べて、薬を飲んだ方がいい」
おにぎりやおやつは長い時間絵を描く時に、たまに出してくれることがある。近所の人から旬のものをもらった時などは、小出も僕もご相伴に預かる。
お粥は、初めてだ。僕のために作ってくれたのだと思うと、申し訳なさと感動とで、胸がいっぱいになる。
それにしても、いつもは「私」と言うのに「僕」と言った気がする。それにさっきは「啓」と呼ばれた。
北原さんや江角先生と話す時、不意に気を抜いた時しか見られない、英介さんの素の部分だ。
安心させるためか、英介さんは椅子をベッドの近くに寄せ、座りながら微笑んだ。
「お粥がいいです……お邪魔して、すみません」
「全然。心配をしなくて済むから、僕にはむしろ、ありがたいかな。うつる風邪じゃないだろうし。ここの修繕はまだ先だ。風邪が治っても、事件が解決するまでここから学校に通ってくれてもいいぐらいだ」
事件の心配を本気でしてくれているのはわかったが、それにしても、提案は僕に都合が良すぎて、気が引ける。
「そこまで甘えるわけには、いかないです」
「そこまでっていうのは、どこまで?全部、僕がしたくてしているから、断るにしろ、気にしないで」
いたずらっぽい笑みで体温計を渡され、もそもそと脇に挟み込む。
「先生……もしかして楽しんでます?」
訝しげな僕の様子を見て、英介さんはまた笑った。
「ごめんごめん。不謹慎だな。君は自分からあまり頼ってくれないから、堂々と面倒を見させてもらえるのが嬉しくて。汗がひどければ、着替えはそこにある僕のお古で我慢してくれ。まだ汚れる前のだ」
英介さんの服は、絵を描く時に汚れないようにと借りることがある。小出も僕も小柄だから、少し大きい方が着やすい。
あまり頻繁に借りるのも悪いと思い、自分の服でいると、そういう時に限って汚してしまって、自分の着替えを置かせてもらうことになったのだ。
今日は自分の着替えをもう使ってしまったから、甘えざるを得ない。
「……お借りします」
「電話をかけて、お粥を持ってくる。ちゃんと入る前に合図するから、ゆっくりでいい」
本当に楽しそうにそんなことを言われたら、断れない。
「ありがとうございます」
扉が閉まり、足音が聞こえる。
体温計を壊してしまうのではと思うほど、熱と動揺で鼓動が落ち着かない。
いつも名字で呼んでくれるのは、大人として扱おうとしてくれていたからだろう。
自分が年長者で立場が上なのをきちんとわかっていて、力関係で強制をしないように、慎重な人だと知っている。弟のように思ってくれているのなら、恋心を伝えることは、別れを意味する。
画家として送り出して、今より疎遠になることを望まれてしまったら――
小出に対しても、同じように紳士的で、親切だ。
和美は、どんなに英介さんが僕を好きでも、二十歳を過ぎるまでは絶対に言わないだろう。僕から言うか、僕が距離を置きやすい機会まで気持ちを隠し続けるつもりだと、勝手に予想していた。
僕も、もし本当にそうなら、彼はそうすると思う。
異性の同級生だったら話はもう少し簡単だったのかもしれないが、同性で、師弟関係で、僅かでも年の差があることが恨めしい。
逆に、自分が和美くらい強ければ、その条件はむしろ、強みになったはずだ。
熱のせいにして、伝えてしまいたい。
もう一度名前で呼ばれたら――何故そう呼ぶのかだけ、聞いてみよう。
それだけ決めて、英介さんの助言に従い、着替えることにする。
汗で濡れたシャツを脱いだところで、さっき見た夢を思い出す。
小出の様子も、猫の様子も、いやに現実的だった。
そういえば――小出の犬歯は大きいのだ。
英介さんにとうもろこしを出された時、器用に手で粒をもいで食べていて、感心しながら理由をきいたら、見せてくれた。
でも、あの犯人ほど尖った形ではなく、背も高くはない。小出は間違いなく善人だ。
無流さんに知らせるべきか悩んだが、熱が下がったら和美に話すことにした。
目を開けて、ぼんやりと天井を眺める。
いつもの自分の部屋でないことに気付いて、先日襲われた時の記憶が脳裏に浮かび、飛び起きた。
「大丈夫か?水を飲んだ方がいい」
英介さんが椅子から立ち上がり、薄手の上着を肩にかけてくれた。
病院ではない。画室高梨の住居部分だ。
――ということは、英介さんのベッドだ。
「あ……先生、僕」
水を受け取るが、状況が飲み込めない。
ソファで話していた後、ぼんやりして、そこからの記憶は曖昧だ。
眼帯をしていないのに、右目の特性がいつも通り出ない。
英介さんの手が首に軽く添えられ、すぐに離れた。
「熱を出して、寝込んでいたんだ。雨で冷えたのが原因だろうけど、事件の心労とか、薬品の影響かもしれないし、長引くようなら医者に見せた方がいいね。標文先生には連絡した。とても心配していたよ」
「お祖父さまが……」
祖父が心配してくれたというのは、少し嬉しい気がした。
「明日は学校も休みだし、とりあえず今夜は僕の一存で泊めさせてもらうことにしたけど、良かったかな」
二階まで運んでもらった感覚がふわりと甦り、どうしようもなく動揺した。
勝手に誤解で押し掛けて、倒れるなんて。
「すみません、ご迷惑ばかり」
ひたすら不甲斐なくて、恥ずかしい。
風呂に入って着替えた後だったのが、せめてもの救いだ。
ゆっくり水を飲む。
「移動が負担なら、落ち着くまで何日でも遠慮なく泊まってくれ。たまご粥を作ったが、食べられそうか?もっと食べられるなら、おにぎりぐらいならできる。何か食べて、薬を飲んだ方がいい」
おにぎりやおやつは長い時間絵を描く時に、たまに出してくれることがある。近所の人から旬のものをもらった時などは、小出も僕もご相伴に預かる。
お粥は、初めてだ。僕のために作ってくれたのだと思うと、申し訳なさと感動とで、胸がいっぱいになる。
それにしても、いつもは「私」と言うのに「僕」と言った気がする。それにさっきは「啓」と呼ばれた。
北原さんや江角先生と話す時、不意に気を抜いた時しか見られない、英介さんの素の部分だ。
安心させるためか、英介さんは椅子をベッドの近くに寄せ、座りながら微笑んだ。
「お粥がいいです……お邪魔して、すみません」
「全然。心配をしなくて済むから、僕にはむしろ、ありがたいかな。うつる風邪じゃないだろうし。ここの修繕はまだ先だ。風邪が治っても、事件が解決するまでここから学校に通ってくれてもいいぐらいだ」
事件の心配を本気でしてくれているのはわかったが、それにしても、提案は僕に都合が良すぎて、気が引ける。
「そこまで甘えるわけには、いかないです」
「そこまでっていうのは、どこまで?全部、僕がしたくてしているから、断るにしろ、気にしないで」
いたずらっぽい笑みで体温計を渡され、もそもそと脇に挟み込む。
「先生……もしかして楽しんでます?」
訝しげな僕の様子を見て、英介さんはまた笑った。
「ごめんごめん。不謹慎だな。君は自分からあまり頼ってくれないから、堂々と面倒を見させてもらえるのが嬉しくて。汗がひどければ、着替えはそこにある僕のお古で我慢してくれ。まだ汚れる前のだ」
英介さんの服は、絵を描く時に汚れないようにと借りることがある。小出も僕も小柄だから、少し大きい方が着やすい。
あまり頻繁に借りるのも悪いと思い、自分の服でいると、そういう時に限って汚してしまって、自分の着替えを置かせてもらうことになったのだ。
今日は自分の着替えをもう使ってしまったから、甘えざるを得ない。
「……お借りします」
「電話をかけて、お粥を持ってくる。ちゃんと入る前に合図するから、ゆっくりでいい」
本当に楽しそうにそんなことを言われたら、断れない。
「ありがとうございます」
扉が閉まり、足音が聞こえる。
体温計を壊してしまうのではと思うほど、熱と動揺で鼓動が落ち着かない。
いつも名字で呼んでくれるのは、大人として扱おうとしてくれていたからだろう。
自分が年長者で立場が上なのをきちんとわかっていて、力関係で強制をしないように、慎重な人だと知っている。弟のように思ってくれているのなら、恋心を伝えることは、別れを意味する。
画家として送り出して、今より疎遠になることを望まれてしまったら――
小出に対しても、同じように紳士的で、親切だ。
和美は、どんなに英介さんが僕を好きでも、二十歳を過ぎるまでは絶対に言わないだろう。僕から言うか、僕が距離を置きやすい機会まで気持ちを隠し続けるつもりだと、勝手に予想していた。
僕も、もし本当にそうなら、彼はそうすると思う。
異性の同級生だったら話はもう少し簡単だったのかもしれないが、同性で、師弟関係で、僅かでも年の差があることが恨めしい。
逆に、自分が和美くらい強ければ、その条件はむしろ、強みになったはずだ。
熱のせいにして、伝えてしまいたい。
もう一度名前で呼ばれたら――何故そう呼ぶのかだけ、聞いてみよう。
それだけ決めて、英介さんの助言に従い、着替えることにする。
汗で濡れたシャツを脱いだところで、さっき見た夢を思い出す。
小出の様子も、猫の様子も、いやに現実的だった。
そういえば――小出の犬歯は大きいのだ。
英介さんにとうもろこしを出された時、器用に手で粒をもいで食べていて、感心しながら理由をきいたら、見せてくれた。
でも、あの犯人ほど尖った形ではなく、背も高くはない。小出は間違いなく善人だ。
無流さんに知らせるべきか悩んだが、熱が下がったら和美に話すことにした。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

思い込み激しめな友人の恋愛相談を、仕方なく聞いていただけのはずだった
たけむら
BL
「思い込み激しめな友人の恋愛相談を、仕方なく聞いていただけのはずだった」
大学の同期・仁島くんのことが好きになってしまった、と友人・佐倉から世紀の大暴露を押し付けられた名和 正人(なわ まさと)は、その後も幾度となく呼び出されては、恋愛相談をされている。あまりのしつこさに、八つ当たりだと分かっていながらも、友人が好きになってしまったというお相手への怒りが次第に募っていく正人だったが…?
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿

成り行き番の溺愛生活
アオ
BL
タイトルそのままです
成り行きで番になってしまったら溺愛生活が待っていたというありきたりな話です
始めて投稿するので変なところが多々あると思いますがそこは勘弁してください
オメガバースで独自の設定があるかもです
27歳×16歳のカップルです
この小説の世界では法律上大丈夫です オメガバの世界だからね
それでもよければ読んでくださるとうれしいです
【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします
*
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!?
しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です!
めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので!
本編完結しました!
リクエストの更新が終わったら、舞踏会編をはじめる予定ですー!
【完結】悪役令息の従者に転職しました
*
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。
依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。
皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ!
本編完結しました!
時々おまけのお話を更新しています。
『もふもふ獣人転生』に遊びにゆく、舞踏会編、はじめましたー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる