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五 猫さらい
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「事件……とおっしゃいますと、身体の一部を切り取られるという?」
「ええ。何かあったら署まで連絡を」
北原画廊の店主は、飯田無流刑事が差し出した名刺を、撫でるようにしてから、するりと引き出しにしまった。
無流は身体が大きく、やや目付きが悪い。よく見ればそう恐ろしい顔でもないはずなのだが、骨っぽい顔のつくりが強面に見えるのは自覚している。
噂には聞いていたものの、店主の人形のような美貌に少々怖じ気づいた。いつもなら刑事なのをいいことに、不躾にじろじろと観察するはずが、目が合うのが気まずくて、つい目をそらしてしまった。
北原諭介は、黒づくめの洋装で杖をついていることが多いと聞いていたが、今日は黒い羽織を白い着物に合わせた和装だ。
蔵を改装した画廊は、入口の引戸からまっすぐ広い三和土になっていて、右手側に美術品が飾られている。
北原は左手の段差のある座敷に、帳場を構える形で鎮座している。帳場に馴染むよう、ここでは和服なのだろう。
天井の高い広く白い壁には国内外を問わず幻想的な美術品が並べられ、太い梁からは変わった形の装飾照明や、燭台が下がっている。一見ばらばらに見える作品たちを、北原の浮世離れした存在感がまとめているようだ。
しばらく壁を眺めていると、北原が帳場から下りてきて、隣に立った。
上品な香の匂いが、美しさを引き立てる。
「刑事さん、美術品にご興味がおありで?」
柔らかく友好的な声に気を取り直して、軽く咳払いをする。
「ええまあ。詳しくはないですが、身近ではありますね。うちは茶室のある禅寺だし、義弟が芦原美術に通っています。焼きものと軸ならいくらかは」
「ああ、和美くんのお義兄様でしたか」
「はい」
「まあ……いらした理由は、私が右目を隠して、杖をついているからでしょうかね。だとすれば見当違いですが、無駄足ではないかもしれない」
「……あんた」
無流がここに来たのは、言われた通り、北原の身体的特徴のせいだ。
ただそれが事件のどちら側に関係するのかは、実際に会わないと判断できないと思っていた。
実際に会って――さらに、判断に迷うとは思わなかったが。
北原が神秘的な魅力のある人物であるのは確かだが、人を切り刻めるようには見えない。どちらかというと被害者側だろう。それでも、右目を隠している理由によっては、犯人になり得る動機に繋がるかもしれない。
それを見抜いていると思われる含みのある言い方は、本当に犯人ならば随分強気だ。
「ごめんくださーい!」
睨み合うような二人をよそに、ガラリと戸を開ける音とともに、活気そのものの声が響いた。
「げっ」
「あ?椎名?」
「八重さん、いらっしゃい」
戸口には、鳥打帽に男物の背広と長ズボンを着た若い女性が、気まずそうな顔でこっちを見ていた。
椎名八重、『あかつき日報』の地域面の下っ端記者だ。
気が強く仕事もそこそこできるが、現場にいつの間にか入り込んでは、いつも無流に注意されている。
「なんで無粋な刑事がこんなとこにいんの。出直すかぁ」
八重は警戒心をあらわにしてくるが、無流は彼女のことをまあまあ気に入っている。
「待て、お前また何を嗅ぎ回ってる」
「何って……警察が捜査しないからでしょ?」
戸口までの進路を塞いだ無流を、八重は不満げに睨んだ。
「なんだ……珍猫連続行方不明事件か!」
思わず笑ってしまった無流を見て、八重は更に不貞腐れた顔をした。
「ここの常連客の飼い猫も軒並み被害にあってるし、届けがないだけで、他の猫もたくさんいなくなってるの!」
初めは金持ちの飼う外国の珍しい猫がさらわれていたが、それ以外の猫も狙われ始めた。
警察は窃盗事件として動いているものの、切り取り魔の捜査に応援を出しているせいで、解決までは時間がかかるだろう。
八重の調査はむしろありがたいぐらいだが、単純に、彼女の身が心配だ。
「こっちの捜査が終わるまで大人しくしておけ。危ないぞ」
「大丈夫、あたし、犯人の好みと違うもの。狙われるのは二十歳ぐらいの若い男なんでしょ?」
「あのなぁ」
そう呆れたところに、またガラリと勢いよく戸が開いた。
「無流さん!先日の被害者の容態が急変しました」
渋い顔をして八重を見ながら「危ない真似はするなよ」と、諭すと、八重も渋々頷いた。
北原は戸口まで無流を見送る。
「次はゆっくりいらしてください。抹茶でもご用意します」
「ええ、暇ができればね」
無流は軽く手を振り、北原画廊を後にした。
「ええ。何かあったら署まで連絡を」
北原画廊の店主は、飯田無流刑事が差し出した名刺を、撫でるようにしてから、するりと引き出しにしまった。
無流は身体が大きく、やや目付きが悪い。よく見ればそう恐ろしい顔でもないはずなのだが、骨っぽい顔のつくりが強面に見えるのは自覚している。
噂には聞いていたものの、店主の人形のような美貌に少々怖じ気づいた。いつもなら刑事なのをいいことに、不躾にじろじろと観察するはずが、目が合うのが気まずくて、つい目をそらしてしまった。
北原諭介は、黒づくめの洋装で杖をついていることが多いと聞いていたが、今日は黒い羽織を白い着物に合わせた和装だ。
蔵を改装した画廊は、入口の引戸からまっすぐ広い三和土になっていて、右手側に美術品が飾られている。
北原は左手の段差のある座敷に、帳場を構える形で鎮座している。帳場に馴染むよう、ここでは和服なのだろう。
天井の高い広く白い壁には国内外を問わず幻想的な美術品が並べられ、太い梁からは変わった形の装飾照明や、燭台が下がっている。一見ばらばらに見える作品たちを、北原の浮世離れした存在感がまとめているようだ。
しばらく壁を眺めていると、北原が帳場から下りてきて、隣に立った。
上品な香の匂いが、美しさを引き立てる。
「刑事さん、美術品にご興味がおありで?」
柔らかく友好的な声に気を取り直して、軽く咳払いをする。
「ええまあ。詳しくはないですが、身近ではありますね。うちは茶室のある禅寺だし、義弟が芦原美術に通っています。焼きものと軸ならいくらかは」
「ああ、和美くんのお義兄様でしたか」
「はい」
「まあ……いらした理由は、私が右目を隠して、杖をついているからでしょうかね。だとすれば見当違いですが、無駄足ではないかもしれない」
「……あんた」
無流がここに来たのは、言われた通り、北原の身体的特徴のせいだ。
ただそれが事件のどちら側に関係するのかは、実際に会わないと判断できないと思っていた。
実際に会って――さらに、判断に迷うとは思わなかったが。
北原が神秘的な魅力のある人物であるのは確かだが、人を切り刻めるようには見えない。どちらかというと被害者側だろう。それでも、右目を隠している理由によっては、犯人になり得る動機に繋がるかもしれない。
それを見抜いていると思われる含みのある言い方は、本当に犯人ならば随分強気だ。
「ごめんくださーい!」
睨み合うような二人をよそに、ガラリと戸を開ける音とともに、活気そのものの声が響いた。
「げっ」
「あ?椎名?」
「八重さん、いらっしゃい」
戸口には、鳥打帽に男物の背広と長ズボンを着た若い女性が、気まずそうな顔でこっちを見ていた。
椎名八重、『あかつき日報』の地域面の下っ端記者だ。
気が強く仕事もそこそこできるが、現場にいつの間にか入り込んでは、いつも無流に注意されている。
「なんで無粋な刑事がこんなとこにいんの。出直すかぁ」
八重は警戒心をあらわにしてくるが、無流は彼女のことをまあまあ気に入っている。
「待て、お前また何を嗅ぎ回ってる」
「何って……警察が捜査しないからでしょ?」
戸口までの進路を塞いだ無流を、八重は不満げに睨んだ。
「なんだ……珍猫連続行方不明事件か!」
思わず笑ってしまった無流を見て、八重は更に不貞腐れた顔をした。
「ここの常連客の飼い猫も軒並み被害にあってるし、届けがないだけで、他の猫もたくさんいなくなってるの!」
初めは金持ちの飼う外国の珍しい猫がさらわれていたが、それ以外の猫も狙われ始めた。
警察は窃盗事件として動いているものの、切り取り魔の捜査に応援を出しているせいで、解決までは時間がかかるだろう。
八重の調査はむしろありがたいぐらいだが、単純に、彼女の身が心配だ。
「こっちの捜査が終わるまで大人しくしておけ。危ないぞ」
「大丈夫、あたし、犯人の好みと違うもの。狙われるのは二十歳ぐらいの若い男なんでしょ?」
「あのなぁ」
そう呆れたところに、またガラリと勢いよく戸が開いた。
「無流さん!先日の被害者の容態が急変しました」
渋い顔をして八重を見ながら「危ない真似はするなよ」と、諭すと、八重も渋々頷いた。
北原は戸口まで無流を見送る。
「次はゆっくりいらしてください。抹茶でもご用意します」
「ええ、暇ができればね」
無流は軽く手を振り、北原画廊を後にした。
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