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14.失われた意志、虚ろな笑顔の背後に
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翌朝、サクレティアはまだ疲れの残る身体をゆっくりと起こし、そばで眠る赤ん坊のキースを優しく見つめた。窓から差し込む柔らかな朝陽が部屋を包み、穏やかな空気が漂っていた。
その時、控えめなノックの音が扉から聞こえた。
「どうぞ。」
扉が静かに開き、執事のバルドが深刻な表情で姿を現した。彼の普段は落ち着いた眼差しに、明らかな緊張が宿っていることにサクレティアは気づいた。
「おはようございます、サクレティア様。お加減はいかがでしょうか?」
「ありがとう、バルド。おかげさまで元気です。でも、その表情を見ると何かあったのでは?」
サクレティアは直感的にただならぬ事態を察し、キースをそっと揺り籠に寝かせた。
バルドは一瞬躊躇した後、深く息を吸って口を開いた。
「実は……クレノース様が再び監禁されてしまいました。」
「えっ……?」
サクレティアは信じられない思いでバルドを見つめた。昨日、彼が自分の出産に駆けつけてくれたことが頭をよぎる。
「どうして……一体何があったのですか?」
バルドは申し訳なさそうに目を伏せた。
「大奥様が、クレノース様がサクレティア様のもとへお急ぎになられたことをお知りになり、大変お怒りになっております。ご自身の際に側にいなかったことを許せないと……」
サクレティアは胸の奥が締め付けられるのを感じた。クレノースが自分のもとに来てくれたことで、彼が再び困難な状況に陥ってしまったのだ。
「そんな……クレノース様は大奥様のご子息ですし、なぜそこまで……」
バルドは困惑した表情で答えた。
「大奥様はクレノース様に対して特別な執着をお持ちのようです。今回の件でその不満が爆発してしまったのかと……」
サクレティアは深く考え込んだ。彼女はクレノースに対して恋慕の情を抱いているわけではなかったが、彼のことを心配せずにはいられなかった。
「クレノース様を助ける方法はないのでしょうか?」
バルドは力なく首を横に振った。
「申し訳ございません。現在、大奥様の命令で屋敷内の警備が厳重になっており、私たちも思うように動けない状況です。しかし、何とか手を尽くしてみます。」
サクレティアは、何かを決心したかのような眼差しでバルドを見た。
「私もできる限りのことをします。情報が入り次第、すぐに知らせてください。」
「承知いたしました。サクレティア様もご無理はなさらないように。」
バルドは深く頭を下げ、静かに部屋を後にした。
一人残されたサクレティアは、揺り籠の中のキースを見つめながら思案に暮れた。
《クレノース様がまた監禁されるなんて……何とかしないといけないわね…。》
――――――――
―――――
クレノースの両手は背後で縛られ、腕が引き上げられていた。彼の体は無防備に晒され、鞭の一撃が肌に打ち込まれるたびに、乾いた音が部屋中に響き渡った。
「母上!私が間違っておりました!!」
彼の声には、懇願の色が濃く混じっていた。だが、その言葉を聞いても、母親の怒りは収まることなく、鋭い鞭が再びクレノースの背に打ち下ろされた。バシンッという音と共に、彼の身体がわずかに揺れる。
「お許しください……もう側を離れません!!」
クレノースは必死に訴えるが、怒りに燃える母親はその言葉を一切受け入れる気配はなかった。鞭は執拗に振り下ろされ続け、彼の背中に新たな傷が刻まれていく。鞭打ちは激しさを増し、クレノースの身体からは汗と血が滲んでいた。
バシン!バシン!
痛みと屈辱に耐えながら、クレノースの心は一瞬、自分を責める声と戦っていた。だが、母親の支配力は強く、彼の内なる抵抗は次第に消えていった。鞭打ちが終わった頃には、彼の体は疲労と痛みで力を失い、足元に崩れ落ちた。
母親は冷たいまなざしでクレノースを見下ろしながら、その怒りをまだ完全には収めていなかった。クレノースは、その足元にしがみつくようにして、母親の膝に顔を擦りつけた。彼の頬には涙が伝い、痛みの中で絞り出すように声を漏らした。
「心から……愛しています、母上……」
その言葉は、彼自身をも抑え込むための呟きだった。涙が次々と溢れ、彼の中に残る最後の抵抗は、母親の圧倒的な支配力に完全に沈んでいく。母親の膝に頬を擦りつけながら、クレノースは自分をこのまま母親の愛と怒りに包まれたいと願っているかのようだった。
母親は、ようやく静かに息を整え、クレノースを優しく撫でた。その手は、まるで自分の愛玩具を慈しむかのように、彼の髪を撫でる。しかし、その背後に潜む冷酷な支配は、決して消えることはなかった。
クレノースは、母親の温もりを感じながらも、その内なる崩壊に気づくことすらできないまま、涙を流し続けていた。
月日が静かに流れ、クレノースの監禁は解かれた。しかし、彼の心には深い傷が刻まれたままで、彼の行動は以前とは全く異なっていた。解放されてからも、クレノースは母親の側を離れることなく、彼女のそばで忠実に従うようになっていた。
母親の指示に従い、二人は仲睦まじく過ごしているかのように見えた。クレノースは、まるで何かに操られているかのように、いつも母親のそばで微笑みを浮かべながら、弟のクリスを育てていた。しかし、その笑顔はどこか虚ろで、生気が感じられない。彼の瞳は、深い闇を抱えたまま、何も映さないかのようだった。
母親はクリスを腕に抱きながら、優しくあやしていた。クレノースもその隣で微笑み、時折弟に手を差し伸べるが、その動きはぎこちなく、機械的だった。
「クレノ、クリスを見て。彼も成長してきているわ。まるであなたが小さい頃のように……」
母親の甘い声に、クレノースはゆっくりと頷く。しかし、その言葉には彼の心に響くものは何もなかった。彼の表情は空虚で、感情がないまま、ただ母親の言葉に従っているだけだった。
「そうですね……母上……」
クレノースの声も虚ろで、感情の色を失っていた。まるで彼の魂はここにいないかのように。母親はそんな彼を気にすることなく、クリスの頭を撫で続けた。
時折、クレノースはかつての自分を思い出す瞬間があった。しかし、その記憶はすぐに霞んで消えてしまう。母親の強い支配のもとで、彼の意志は完全に奪われ、彼の心は少しずつ崩れ去っていた。彼はただ、母親の望むままに動くだけの存在となっていた。
庭園では、青い薔薇が美しく咲き誇っていた。かつてサクレティアと過ごしたあの場所――しかし、クレノースの目にはそれさえも映らず、彼はただ静かに虚ろな日々を過ごしていくのだった。
その時、控えめなノックの音が扉から聞こえた。
「どうぞ。」
扉が静かに開き、執事のバルドが深刻な表情で姿を現した。彼の普段は落ち着いた眼差しに、明らかな緊張が宿っていることにサクレティアは気づいた。
「おはようございます、サクレティア様。お加減はいかがでしょうか?」
「ありがとう、バルド。おかげさまで元気です。でも、その表情を見ると何かあったのでは?」
サクレティアは直感的にただならぬ事態を察し、キースをそっと揺り籠に寝かせた。
バルドは一瞬躊躇した後、深く息を吸って口を開いた。
「実は……クレノース様が再び監禁されてしまいました。」
「えっ……?」
サクレティアは信じられない思いでバルドを見つめた。昨日、彼が自分の出産に駆けつけてくれたことが頭をよぎる。
「どうして……一体何があったのですか?」
バルドは申し訳なさそうに目を伏せた。
「大奥様が、クレノース様がサクレティア様のもとへお急ぎになられたことをお知りになり、大変お怒りになっております。ご自身の際に側にいなかったことを許せないと……」
サクレティアは胸の奥が締め付けられるのを感じた。クレノースが自分のもとに来てくれたことで、彼が再び困難な状況に陥ってしまったのだ。
「そんな……クレノース様は大奥様のご子息ですし、なぜそこまで……」
バルドは困惑した表情で答えた。
「大奥様はクレノース様に対して特別な執着をお持ちのようです。今回の件でその不満が爆発してしまったのかと……」
サクレティアは深く考え込んだ。彼女はクレノースに対して恋慕の情を抱いているわけではなかったが、彼のことを心配せずにはいられなかった。
「クレノース様を助ける方法はないのでしょうか?」
バルドは力なく首を横に振った。
「申し訳ございません。現在、大奥様の命令で屋敷内の警備が厳重になっており、私たちも思うように動けない状況です。しかし、何とか手を尽くしてみます。」
サクレティアは、何かを決心したかのような眼差しでバルドを見た。
「私もできる限りのことをします。情報が入り次第、すぐに知らせてください。」
「承知いたしました。サクレティア様もご無理はなさらないように。」
バルドは深く頭を下げ、静かに部屋を後にした。
一人残されたサクレティアは、揺り籠の中のキースを見つめながら思案に暮れた。
《クレノース様がまた監禁されるなんて……何とかしないといけないわね…。》
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クレノースの両手は背後で縛られ、腕が引き上げられていた。彼の体は無防備に晒され、鞭の一撃が肌に打ち込まれるたびに、乾いた音が部屋中に響き渡った。
「母上!私が間違っておりました!!」
彼の声には、懇願の色が濃く混じっていた。だが、その言葉を聞いても、母親の怒りは収まることなく、鋭い鞭が再びクレノースの背に打ち下ろされた。バシンッという音と共に、彼の身体がわずかに揺れる。
「お許しください……もう側を離れません!!」
クレノースは必死に訴えるが、怒りに燃える母親はその言葉を一切受け入れる気配はなかった。鞭は執拗に振り下ろされ続け、彼の背中に新たな傷が刻まれていく。鞭打ちは激しさを増し、クレノースの身体からは汗と血が滲んでいた。
バシン!バシン!
痛みと屈辱に耐えながら、クレノースの心は一瞬、自分を責める声と戦っていた。だが、母親の支配力は強く、彼の内なる抵抗は次第に消えていった。鞭打ちが終わった頃には、彼の体は疲労と痛みで力を失い、足元に崩れ落ちた。
母親は冷たいまなざしでクレノースを見下ろしながら、その怒りをまだ完全には収めていなかった。クレノースは、その足元にしがみつくようにして、母親の膝に顔を擦りつけた。彼の頬には涙が伝い、痛みの中で絞り出すように声を漏らした。
「心から……愛しています、母上……」
その言葉は、彼自身をも抑え込むための呟きだった。涙が次々と溢れ、彼の中に残る最後の抵抗は、母親の圧倒的な支配力に完全に沈んでいく。母親の膝に頬を擦りつけながら、クレノースは自分をこのまま母親の愛と怒りに包まれたいと願っているかのようだった。
母親は、ようやく静かに息を整え、クレノースを優しく撫でた。その手は、まるで自分の愛玩具を慈しむかのように、彼の髪を撫でる。しかし、その背後に潜む冷酷な支配は、決して消えることはなかった。
クレノースは、母親の温もりを感じながらも、その内なる崩壊に気づくことすらできないまま、涙を流し続けていた。
月日が静かに流れ、クレノースの監禁は解かれた。しかし、彼の心には深い傷が刻まれたままで、彼の行動は以前とは全く異なっていた。解放されてからも、クレノースは母親の側を離れることなく、彼女のそばで忠実に従うようになっていた。
母親の指示に従い、二人は仲睦まじく過ごしているかのように見えた。クレノースは、まるで何かに操られているかのように、いつも母親のそばで微笑みを浮かべながら、弟のクリスを育てていた。しかし、その笑顔はどこか虚ろで、生気が感じられない。彼の瞳は、深い闇を抱えたまま、何も映さないかのようだった。
母親はクリスを腕に抱きながら、優しくあやしていた。クレノースもその隣で微笑み、時折弟に手を差し伸べるが、その動きはぎこちなく、機械的だった。
「クレノ、クリスを見て。彼も成長してきているわ。まるであなたが小さい頃のように……」
母親の甘い声に、クレノースはゆっくりと頷く。しかし、その言葉には彼の心に響くものは何もなかった。彼の表情は空虚で、感情がないまま、ただ母親の言葉に従っているだけだった。
「そうですね……母上……」
クレノースの声も虚ろで、感情の色を失っていた。まるで彼の魂はここにいないかのように。母親はそんな彼を気にすることなく、クリスの頭を撫で続けた。
時折、クレノースはかつての自分を思い出す瞬間があった。しかし、その記憶はすぐに霞んで消えてしまう。母親の強い支配のもとで、彼の意志は完全に奪われ、彼の心は少しずつ崩れ去っていた。彼はただ、母親の望むままに動くだけの存在となっていた。
庭園では、青い薔薇が美しく咲き誇っていた。かつてサクレティアと過ごしたあの場所――しかし、クレノースの目にはそれさえも映らず、彼はただ静かに虚ろな日々を過ごしていくのだった。
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