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48 柑橘の香り

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キリアンという男に勝手に職務後の予定を決められてしまったリリーだったがその日はトリスタンや同僚に頼まれ図書棟の資料室で資料を探すだけで午前の仕事時間が過ぎていった。王太子にオーベアライヒ侯爵家の不正行為について報告しようとするたびに同僚たちが仕事を振ってくるのだ。



 同僚たちは王太子とダミアンことリリーが接触することで再び王太子の様子がおかしくならないようにと気を使った依頼が半分。自分で資料室に行きたくないものぐさなものが半分。リリーは何度めかの往復にうんざりしつつ資料を抱えて執務室へと向かっていた。



(まったく、みんな人使いが荒い)



 広大な王宮である。初日に比べてあるきまわっても疲れなくなってきたことに気がついて、修道院に行くのなら体力増強は悪いことではないとくすりと笑った。



(ドレスに比べて男性の服装って軽いし動きやすいのですもの)



 この調子なら貴族令嬢だから何も出来ないなんて修道院で怒られることはないだろう。重たい資料を運ぶのだって将来の修道女生活の準備に最適である。



(でも、レオ様にはもうしわけないわね……)



 今朝長々と小言をいった父ではあったがレオへの断りについては彼が処理してくれると約束してくれた。



(父様には悪いけど、修道院生活まで後少しだわ)



 父には予定は未定と言ったが貴族令嬢として生活していくことはリリーにとってはすでに選択肢にはないのだった。



「ちょっとそこの君」



 そんな将来のことを考えつつ歩いていたリリーだが、図書棟からの帰りの廊下で後ろから声をかけられて立ち止まった。



(今日はよく声をかけられる日だわ)



 すぐに声をかけてきたらしい男性がリリーと並び彼女に微笑んだ。

 なんだかどこかで見たような男性を見つめてリリーは首を傾げた。



「なんでしょうか?」



 とても気安げに声をかけてきたその人はたくさんの刺繍で飾られた瀟洒な上着を着ていたので一目で上流貴族もしくはその更に上の階級であると見て取れた。はちみつ色の金髪に空色の瞳、しっかりとした眉にとおった鼻筋が凛々しい顔立ちをつくっている。



 人当たりのよい笑顔だが本当の感情は見せていないその空気がリリーにある人を思わせた。



「君は何か恨みを買っていたりするのかな?」



「へ?」



 言われた内容も理解できなかったが、その声をどこかで聞いたような気がしてリリーはさらに首をかしげる。



「それとも熱烈なファンでもいるのかな?」



「あの?仰る意味がわからないのですが?」



「そうか。なら……荷物が重そうだからおくっていくよ。さぁ行こうどちらまでかな?」



「王太子殿下の執務室です」



「あぁ、そうか。そうだな。じゃあ行き先は同じだね。一緒に行こうか」



「へ?あ、はい」



 男はリリーの手にある書類の大部分をひょいと取り上げた。そっと背中を押され前を歩くようにうながされたその拍子にふんわりと彼の香りが香った。



 それは爽やかな柑橘系の香り。



「え?」



 思わず振り返り男を見上げる。



「どうかしたかい?」



 優しく見下ろすその男の声をどこで聞いたのか、リリーは思い出した。



(この香り……)



 リリーの記憶の中にある香りと隣から香る香水が同じであるとリリーは思った。



 男の顔を見つめたまま動こうとしないリリーに男はさらに子供にするような優しい目をして尋ねた。



「君の名前は?」



「り……ダミアン・ハーストです」



 危うく本名を告げそうになりごまかすように足元に視線をうつす。



「そうか。君がダミアンかぁ。どう?仕事は楽しいかい?」



 男にそっとさらに背を押され二人は歩みを進めることになった。



「私のことをご存知なんですか?」



「もちろん人事についての報告を受けているからね。アレクサンダーのところで働きはじめた15才。まだ若いのに見込みがあるって聞いているよ」



(この声……)



 しかも王太子を呼び捨てにしたということは。



「あの、ひょっとして私が直接お話してはいけないようなご身分の方では?」



 リリーの記憶が王宮に来た初日に衝立の向こうに居た男性と今隣りにいる男性は同一人物だと告げている。



「え?まぁ仕事中はそうかもしれないけれど、今はただの移動中だしね」



 照れたように笑うと途端に幼い印象に変わる。



「ほらついた。王宮はひとけのないところでは気をつけたほうがいいよ」



「え?」



「君のように可愛らしい子は特にね」



「え?」



 その時、戸惑うリリーの前で執務室の扉が開かれた。



「叔父上。なかなかお越しにならないからこちらから出向こうとしていたところですよ」



「あぁすまないな。ちょっとおもしろいことがあったものだから」



 王太子に向かってにこやかに笑うその笑顔、叔父と言われると納得の王太子との相似性であった。



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