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1つのベッド

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「座ったら?」

 相澤さんがソファに軽く腰掛けながら、私にも促す。
 くつろいでソファに座る姿は、雑誌のグラビアページに載っていそうなくらい様になっている。

 そんな彼と並んで座るのがなんだか申し訳なくて、ソファの端の方に腰かけた。
 二人掛けのようだけれど、このソファは大きめにできているようで、相澤さんとの間に余裕でもう一人座れそうなくらいスペースが空いている。

 彼の家に引越してきてしまった。あの時の自分の決断に自分で驚いている。勢いって恐ろしい。

「今日は引越しで疲れたでしょう。」

 相澤さんが優しく労わるような声とともに、顔を覗き込んでくる。
 大人の男性の上目遣いって、心をソワソワとくすぐるような効果があるのを初めて知った。
 それとも、相澤さんだからかな。

「だ、大丈夫です。引越しといっても、荷物もほとんどありませんし」

 実際、本当に荷物は少なかった。
 実家に帰省した時のために、という名目で、家具はすべて置いてきている。
 本当は、引越し業者に頼むお金が無かったからだけど。
 なので、少し長めの旅行に行くような荷物しか持ってきていない。

「花さん、明日は金曜日だけど、何か予定はありますか」
「い、いえ、特にありません」

 実家から、県を一つ越えて東京にやってきたのだ。知り合いもいなければ知っている場所さえほとんどない。

「それなら良かった。明日は俺も休みを取れたから、必要な物を買いに行きましょう」

 『俺』という言葉に、何故かピクッと心が反応する。

「ひ、必要な物ですか? 何か、あるかな……」

 寝袋、着替え、タオル、下着、洗顔フォーム、歯ブラシ、コップ、化粧品……は、ほとんど持っていないけど最低限はある。
 調理器具とお皿は申し訳ないけど相澤さんのを使わせてもらうことになったから、しばらくは、暮らすのに困ることは無いと思う。

 うん、買う物なしで決定、と一人で脳内会議。

「この家で使う物、色々買い揃えましょう。引越し祝いにプレゼントさせてください」

 え? プレゼント? 脳内会議室がざわめいた。
 いえいえ相澤さん、私の方こそお礼がしたいです、と心の中で挙手して意見する。
 それに、いずれ出て行く身ですし、買ってももったいないかと。

「とりあえず、ベッドが1つしかないから、買わないと」

 え? ベッド? そんな高価な物を?
 高校の天文同好会で使った時の寝袋を持ってきてるから、私それで寝ようかと……。

「あ、あの、相澤さん」
「ネットでも買えるけど、ベッドは実際に自分の目で見て決めた方がいい。毎日使うものだから」

 他に何を買おうかな……と彼はロダンの考える人のポーズで真剣に悩んでる。

「だ、だめです! 私のためにベッドを買うなんて。住まわせていただけるだけで申し訳ないんですから」
「自分のベッドはご実家でしょう? 布団も持ってきていなかったよね」

 はい、寝袋で寝るつもりでした……。
 そんなことを言ったら、びっくりされそう。
 うーん、どうしよう……あっ。

「もし差し支えなければ、このソファをお借りしてもいいですか?」
「ダメだよ。女の子をソファで寝かせるなんて」
 間髪入れずに却下された。

「あ、それなら、俺がソファで寝るから、花さんが俺のベッドを使ってください」
 良い考えでしょ、という感じで満足そうに彼が提案してきた。

「だめですだめです絶対にだめです。私、寝袋もあるから大丈夫です」
 両手をブンブン振って、お断りする。

「寝袋って――。それこそ絶対にダメ……、うん、なんなら俺が寝袋で」
 ダメです、ダメだよ、の押し問答を何度か繰り返すと、相澤さんが、ふぅとため息をついた。
 あ、呆れちゃったのかな……。

 相澤さんの表情を覗き込もうとしたら、彼の大きな手がスッと伸びてきて、小さな子どもをあやすように私の頭を優しく撫でた。
 その拍子に彼の端整な顔がぐっと近くなるものだから、咄嗟に下を向いてしまう。

「それなら、仕方ないね。今日は会社に泊まるから、花さんはベッドで寝て」
 私の頭を撫でながら、宥めるように少しトーンを落とした声で彼は言った。

 え、え、え、会社に泊まる? 私がこの広いマンションに泊まって?
 だめだめだめ、そんなに図々しい事できるはずがない。

 そんな脳内会議の心の声は相澤さんには届かず、スッと私の頭から彼の手が離れた。

「明日は10時に迎えにくるよ。朝食はキッチンにあるものを適当に食べておいて」
 そう言いながら、サイドテーブルに置いてあった腕時計を手にして立ち上がる。

 考えるよりも先に身体が動いて、彼の右腕に縋りついた。

「ま、待ってください。ここに居てください」
 迷惑ばかりかけたくない、絶対に引き留めなきゃ。

 困惑した表情で、相澤さんが私を見つめている。
 腕にしがみつくなんて、わがままな子どもみたいって分かってる……分かっているけど。
 部屋を出て行けないように、ぎゅぅぅぅと彼の腕を抱き締める。

 相澤さんが、ふ、と息を吐いた。
 今度は、ため息ではなく、笑みを含んだ息。

「わかった、どちらかにしよう」

 私に腕をギュっと抱きしめられたままの状態で、彼が口を開く。
 彼の提案を受けるべく、顔を上げて彼の目を見つめた。

「俺が会社に泊まるか――」

 相澤さんが悪戯っぽい笑みを向けてきた。

「俺のベッドを一緒に使うか」

 一緒に……?
 ボンッと火が点いても可笑しくないくらい、顔が熱くなる。
 いやいやいやっ、それはダメでしょう。

 そんな私の心を見透かしたかのように、彼が先手を打つ。

「花さんが外に行ったり、ソファに寝る選択肢は無いよ。そんなことしたら俺も会社に泊まるから」

 私が掴んでいる腕とは反対の手で、私の頭にそっと触れた。
 いい子だから言うことを聞いて、お留守番していなさい、と子どもにでも言うように。

「それじゃ、行くね。明日ベッドも買いに行こう」

 スッと頭から手が離れたから、私は抱きしめている方の腕にもう一度ぎゅぅっと力を込めた。

「花さん?」
「一緒に……」
「ん?……」
「ベッド……一緒に、使わせてください……」
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