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花の知らない話
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「なんか昼間、庭に女の子がいたんだけど」
夕飯に俺の作ったカレーを食べながら、爺さんにそれとなく話題を振る。
「花さんのことか? お隣の、お嬢さんだ」
ふぅん、花っていうのか。
なんか名前そのまんまっていうか。
「少し前に、母親を事故で亡くしてな。まあ、いつでもおいでと言ってある」
ちょっとびっくりした。
爺さんは、自分にも人にも厳しい。
お金持ちの悲しいところで、ちょっとでも甘い顔を見せたら、痛い目をみることが多々あるから。
子どもとはいえ、迂闊に家へ入れることは普段ない。
そんな爺さんに、いつでもおいでと言わせるなんて。
「気になるなら、仲を取り持ってやろうか」
んご、と肉をのどに詰まらせた。
むふぉっごほっと咳き込んで、爺さんを睨む。
「はあ、何言ってんの? あの子何才? 源氏物語の若紫じゃあるまいし」
「そうか、じゃあ勇太に聞いてみるか」
3つ下の従兄弟の名前を出されてギクリとした。
頭の中で警鐘が鳴り響く。それはさせてはいけない気がする。
「勇太には、話さないで」
残りのカレーをががっと掻き込んで、ごちそうさまっとお皿を持って席を立つ。
食器を洗ってから、爺さんの顔は見ないで部屋に戻った。
爺さんのことだ、子ども相手とはいえ、むやみやたらにこんな話を振ってくるとは思えない。
爺さんは大企業の社長を務めていただけあって、人を見る目が尋常じゃなく冴えている。
父さんの会社が今の規模まで順調に成長できたのは、爺さんの人脈で培った事業基盤があってこそだ。
――孫の相手にと思わせる何かが、あの少女にあるのだろうか。
それにしたって俺はまだ小学校を卒業したばかり。
あの花とかいう女の子なんていくつだよ。
結婚を考える年齢なんて、お互い何年先の話だ。
現実的じゃない。
次の朝、目が覚めたら窓から入ってくる明かりが心地よく感じられた。
眠って、起きて、息して、おなら……は今はしたくないけど、生きてるな、俺。
いるだけで、がんばらなくてもいいなら、フランスに戻ってみようかな、なんて気持ちがふと浮かぶ。
フランスに戻ろうかな、とチラリと話したら、爺さんがすぐに飛行機の手配をしてくれた。
さすがに仕事が早い。
小学生が学校へ行っている時間帯に、俺は家を出てフランスへ向かっていた。
フランス行きの決断が正しかったのか、今となっては分からない。
でも、肩の力が抜けて、つかえつかえ格好悪くても先生に質問できるようになったし、それを見ていたクラスメイト達が、いつの間にか身振り手振りを交えて勉強を教えてくれるようになった。
勉強が分かるようになって余裕がでてきたから、前からやってみたかった空手を習い始める。友人とはバスケットボールクラブに入ったり、気付けば毎日が楽しくてかなり充実した日々を送っていた。
ただ一つ、厄介な事がある。
――日本で一度だけ会った、花という少女の事だ。
爺さんと花は手紙のやり取りをしていた。爺さんは彼女から受け取った手紙を、時々俺に転送してくる。しかも花の笑顔の写真入り。
爺さん宛の手紙なんて勝手に読めるかと怒ったら、爺さんが読み終わったら海外に住む花と同世代の可愛い可愛い孫の日本語の勉強のために送ってもよいと、本人の許可はもらっているという。
いや、俺かなり年上だし、日本語もペラペラなんだけど。
初めは拙かった文章も、時を重ねるごとに成長がみられ、字も綺麗に整ってくる。
そしてその内容は包み込むような優しさを徐々に纏うようになり、四季折々の心情も美しく伝えてくるようになった。
選ぶ便箋にも、時折り同封される千代紙で折った花にも、彼女の愛らしい人柄が感じられて好ましい。
一番頭を悩ませたのは、彼女の写真だ。
年を追うごとに、あどけない少女から蕾が少しずつ開いて花が咲くように可憐な女性へと変化していった。
会えない女性を手紙をとおして傍に感じるなんて、平安時代みたいで時代錯誤もいいとこだと自分でも分かっている。
もちろん他の女性とまったく関わりが無かったわけじゃない。
自分で言うのも何だが、むしろモテていた方だと思う。
言い寄ってくる女は次から次へといた。
でもその女性たちが好意を寄せていたのは、『大企業の一人息子』か、彼女たちの幻想の中の『完璧な俺』。
ただそこにいるだけの自分では、彼女たちは認めてくれない。
格好悪いところは見せられないから、会っていてもいつも気を張っていたし、家に帰ると、どっと疲れている自分がいる。
あの日『がんばらないで』と言ってくれた女の子が、いつの間にか写真の中でこちらに向ける笑顔も高校生になり、何故かたまに夢に出てきてしまうくらい気になって仕方がなくなっていた。
「理由は分からないけど、気になる」
爺さんに告げると、
「己の直感を信じろ」
そう言って、花の父親と爺さんと俺の三人で会う機会を作ってくれた。
本当に仕事が早い。
実際に会った花の父親、宮ノ内さんは、ああ、この人の娘なら間違いないと思えるような人格者だった。
患者とのやり取りで慣れているせいだろう。根気強く心を理解するようにじっと耳を傾けてくれるから、フランスでの生活の事、将来についての考え方など聞かれるままに素直に答えてしまう。
「君みたいな息子がいれば良かった、うちは女の子だけだから」と宮ノ内さんが言うものだから、思わず真面目に「それなら花さんと結婚を前提にお付き合いさせてください」と言ってしまった。
宮ノ内さんはハッハッハッと楽しそうに笑う。
「いいね、花と君は合うと思うよ。でもね、今はまだ早い。君の気持ちも変わるかもしれないし、花が高校を卒業するまでこの話題をするのは無理だ。もちろん花の気持ちが最優先だから、その時がきても絶対とは言い切れない」
暗に断られたような気もするが、チャンスをもらえたと捉えよう。
――この三か月後、宮ノ内さんの身体に悪性の腫瘍が発見される。
宮ノ内さんは「創一郎君と花を婚約させたい」と言ってくれた。
でも俺は「今その話をしたら、花さんは宮ノ内さんの希望を優先して、自分の気持ちを考えずに婚約してしまう」と断る。
爺さんの考えも俺の意見と同じだった。
母を亡くしたばかりのあどけない少女だった時でさえ、自分の悲しい気持ちを微塵も感じさせることなく俺のことを励ました。
慎重に自分の気持ちを引き出させないと、彼女は自然と自分よりも周りの人の気持ちを考えてしまうだろう。
「花さんが大学を卒業する時、もしまだご本人に心を決めたお相手がいなかったら、私から創一郎のことを花さんに紹介してもよいですか」
爺さんの言葉を聞いて、宮ノ内さんは安心したような表情をみせて頷いた。
――爺さんが亡くなった。1週間前に外出先で倒れて、本当に急なことだった。
いるのが当たり前なんて、どうして思っていたんだろう。
『眠って、起きて、息して、おならもして、それだけですごいことだから』
あんなに小さな少女でも、分かっていたのに。
今はただ、宮ノ内さんと爺さんが大切に思っていた彼女が、幸せになるのを願うばかりだ。
もしかしたらもう、心に決めた相手がいるのだろうか。
彼女には自分の気持ちを優先して、好きになった人と、結ばれて欲しい。
ぼんやりと桜を眺めていたら、爺さんが可愛がっていた猫のハナコが、足元からフッと現れて目の前の木に登っていった。
ハナコは昔、花の家、というか花の義妹からもらった猫だと聞いている。気にするからもらった事は花には内緒だと爺さんが言っていたけれど。
もう何年も前の話だ。だいぶ老猫だろうに、木に登る体力がまだあったなんて驚きだ。
爺さんの忘れ形見が木から落ちて怪我でもしたらたまらない。
考えるより先に身体が動き、すぐに追いかけるように木に登った。
もう少しで捕まえられるかと思ったら、トトト、と離れていってそのままぴょんと隣家のベランダに入ってしまう。
窓が開けられ、この桜の季節に似合わぬ黒い割烹着を着た女性が現れた。
「花ッ」
気が付いたら、夢中で彼女の名前を叫んでいた。
夕飯に俺の作ったカレーを食べながら、爺さんにそれとなく話題を振る。
「花さんのことか? お隣の、お嬢さんだ」
ふぅん、花っていうのか。
なんか名前そのまんまっていうか。
「少し前に、母親を事故で亡くしてな。まあ、いつでもおいでと言ってある」
ちょっとびっくりした。
爺さんは、自分にも人にも厳しい。
お金持ちの悲しいところで、ちょっとでも甘い顔を見せたら、痛い目をみることが多々あるから。
子どもとはいえ、迂闊に家へ入れることは普段ない。
そんな爺さんに、いつでもおいでと言わせるなんて。
「気になるなら、仲を取り持ってやろうか」
んご、と肉をのどに詰まらせた。
むふぉっごほっと咳き込んで、爺さんを睨む。
「はあ、何言ってんの? あの子何才? 源氏物語の若紫じゃあるまいし」
「そうか、じゃあ勇太に聞いてみるか」
3つ下の従兄弟の名前を出されてギクリとした。
頭の中で警鐘が鳴り響く。それはさせてはいけない気がする。
「勇太には、話さないで」
残りのカレーをががっと掻き込んで、ごちそうさまっとお皿を持って席を立つ。
食器を洗ってから、爺さんの顔は見ないで部屋に戻った。
爺さんのことだ、子ども相手とはいえ、むやみやたらにこんな話を振ってくるとは思えない。
爺さんは大企業の社長を務めていただけあって、人を見る目が尋常じゃなく冴えている。
父さんの会社が今の規模まで順調に成長できたのは、爺さんの人脈で培った事業基盤があってこそだ。
――孫の相手にと思わせる何かが、あの少女にあるのだろうか。
それにしたって俺はまだ小学校を卒業したばかり。
あの花とかいう女の子なんていくつだよ。
結婚を考える年齢なんて、お互い何年先の話だ。
現実的じゃない。
次の朝、目が覚めたら窓から入ってくる明かりが心地よく感じられた。
眠って、起きて、息して、おなら……は今はしたくないけど、生きてるな、俺。
いるだけで、がんばらなくてもいいなら、フランスに戻ってみようかな、なんて気持ちがふと浮かぶ。
フランスに戻ろうかな、とチラリと話したら、爺さんがすぐに飛行機の手配をしてくれた。
さすがに仕事が早い。
小学生が学校へ行っている時間帯に、俺は家を出てフランスへ向かっていた。
フランス行きの決断が正しかったのか、今となっては分からない。
でも、肩の力が抜けて、つかえつかえ格好悪くても先生に質問できるようになったし、それを見ていたクラスメイト達が、いつの間にか身振り手振りを交えて勉強を教えてくれるようになった。
勉強が分かるようになって余裕がでてきたから、前からやってみたかった空手を習い始める。友人とはバスケットボールクラブに入ったり、気付けば毎日が楽しくてかなり充実した日々を送っていた。
ただ一つ、厄介な事がある。
――日本で一度だけ会った、花という少女の事だ。
爺さんと花は手紙のやり取りをしていた。爺さんは彼女から受け取った手紙を、時々俺に転送してくる。しかも花の笑顔の写真入り。
爺さん宛の手紙なんて勝手に読めるかと怒ったら、爺さんが読み終わったら海外に住む花と同世代の可愛い可愛い孫の日本語の勉強のために送ってもよいと、本人の許可はもらっているという。
いや、俺かなり年上だし、日本語もペラペラなんだけど。
初めは拙かった文章も、時を重ねるごとに成長がみられ、字も綺麗に整ってくる。
そしてその内容は包み込むような優しさを徐々に纏うようになり、四季折々の心情も美しく伝えてくるようになった。
選ぶ便箋にも、時折り同封される千代紙で折った花にも、彼女の愛らしい人柄が感じられて好ましい。
一番頭を悩ませたのは、彼女の写真だ。
年を追うごとに、あどけない少女から蕾が少しずつ開いて花が咲くように可憐な女性へと変化していった。
会えない女性を手紙をとおして傍に感じるなんて、平安時代みたいで時代錯誤もいいとこだと自分でも分かっている。
もちろん他の女性とまったく関わりが無かったわけじゃない。
自分で言うのも何だが、むしろモテていた方だと思う。
言い寄ってくる女は次から次へといた。
でもその女性たちが好意を寄せていたのは、『大企業の一人息子』か、彼女たちの幻想の中の『完璧な俺』。
ただそこにいるだけの自分では、彼女たちは認めてくれない。
格好悪いところは見せられないから、会っていてもいつも気を張っていたし、家に帰ると、どっと疲れている自分がいる。
あの日『がんばらないで』と言ってくれた女の子が、いつの間にか写真の中でこちらに向ける笑顔も高校生になり、何故かたまに夢に出てきてしまうくらい気になって仕方がなくなっていた。
「理由は分からないけど、気になる」
爺さんに告げると、
「己の直感を信じろ」
そう言って、花の父親と爺さんと俺の三人で会う機会を作ってくれた。
本当に仕事が早い。
実際に会った花の父親、宮ノ内さんは、ああ、この人の娘なら間違いないと思えるような人格者だった。
患者とのやり取りで慣れているせいだろう。根気強く心を理解するようにじっと耳を傾けてくれるから、フランスでの生活の事、将来についての考え方など聞かれるままに素直に答えてしまう。
「君みたいな息子がいれば良かった、うちは女の子だけだから」と宮ノ内さんが言うものだから、思わず真面目に「それなら花さんと結婚を前提にお付き合いさせてください」と言ってしまった。
宮ノ内さんはハッハッハッと楽しそうに笑う。
「いいね、花と君は合うと思うよ。でもね、今はまだ早い。君の気持ちも変わるかもしれないし、花が高校を卒業するまでこの話題をするのは無理だ。もちろん花の気持ちが最優先だから、その時がきても絶対とは言い切れない」
暗に断られたような気もするが、チャンスをもらえたと捉えよう。
――この三か月後、宮ノ内さんの身体に悪性の腫瘍が発見される。
宮ノ内さんは「創一郎君と花を婚約させたい」と言ってくれた。
でも俺は「今その話をしたら、花さんは宮ノ内さんの希望を優先して、自分の気持ちを考えずに婚約してしまう」と断る。
爺さんの考えも俺の意見と同じだった。
母を亡くしたばかりのあどけない少女だった時でさえ、自分の悲しい気持ちを微塵も感じさせることなく俺のことを励ました。
慎重に自分の気持ちを引き出させないと、彼女は自然と自分よりも周りの人の気持ちを考えてしまうだろう。
「花さんが大学を卒業する時、もしまだご本人に心を決めたお相手がいなかったら、私から創一郎のことを花さんに紹介してもよいですか」
爺さんの言葉を聞いて、宮ノ内さんは安心したような表情をみせて頷いた。
――爺さんが亡くなった。1週間前に外出先で倒れて、本当に急なことだった。
いるのが当たり前なんて、どうして思っていたんだろう。
『眠って、起きて、息して、おならもして、それだけですごいことだから』
あんなに小さな少女でも、分かっていたのに。
今はただ、宮ノ内さんと爺さんが大切に思っていた彼女が、幸せになるのを願うばかりだ。
もしかしたらもう、心に決めた相手がいるのだろうか。
彼女には自分の気持ちを優先して、好きになった人と、結ばれて欲しい。
ぼんやりと桜を眺めていたら、爺さんが可愛がっていた猫のハナコが、足元からフッと現れて目の前の木に登っていった。
ハナコは昔、花の家、というか花の義妹からもらった猫だと聞いている。気にするからもらった事は花には内緒だと爺さんが言っていたけれど。
もう何年も前の話だ。だいぶ老猫だろうに、木に登る体力がまだあったなんて驚きだ。
爺さんの忘れ形見が木から落ちて怪我でもしたらたまらない。
考えるより先に身体が動き、すぐに追いかけるように木に登った。
もう少しで捕まえられるかと思ったら、トトト、と離れていってそのままぴょんと隣家のベランダに入ってしまう。
窓が開けられ、この桜の季節に似合わぬ黒い割烹着を着た女性が現れた。
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