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0 執事クリフのひとりごと
しおりを挟むうちのお嬢様は時々突拍子もない事をおっしゃる。
まぁ、そこがヴェレッド様の可愛らしいところでもあるのですが。
ただ、先日の発言には、さすがに心臓が飛び出るかと思いました――
「クリフ、私ね、婚約破棄されて、平民になりたいの」
「……はい?」
思わず不躾な返答になってしまいました。
まさかヴェレッド様の声を他の者と聞き間違える事はないかと思いますが……。
自分の目にかかる長めの前髪を少し除けながら、牛乳瓶の底くらい分厚いレンズの眼鏡の角度を人差し指で調整して前を見る。
目の前にいらっしゃるのは、ゆるくカールしたピンクゴールドの長い髪をおろしたヴェレッド様。確かにヴェレッド様。
今日もなんて美しい。
長い睫毛で縁取られ、エメラルドの宝石のような煌めきを持つパッチリと大きな瞳は、冗談をおっしゃっているようには見えない。
「突然その様なことをおっしゃるなんて、何かあったのですか?」
「まだ何もないわ。これから起こすのよ」
これから起こす、とは何やら穏やかではないですね。
「……いったい何を企んでいらっしゃるのですか?」
「企んでなんていない、シナリオ通りにするだけ。アカリ様に、嫌がらせをするの。これは理由があっての事だから、私のこと嫌いにならないでね、クリフ」
思わず、フッと笑ってしまいました。申し訳ありません。
ほぉ、嫌がらせ、ですか。できるんですかね、お優しいヴェレッド様が。
アカリ様……アルアスラ王立学園の侍女クラスにいらっしゃるヘルディン男爵家三女のお方でしょうか。
まだ学園に入学されたばかりで、ヴェレッド様の2歳下の弟君、シャルマン様と同じ学年ですが、ヴェレッド様とはどのような関わりがあるのでしょう?
ヴェレッド様も、婚約者であるモフィラクト王太子殿下も、自分と同じ学園最終学年。接点などあまり無いように思うのですが。
「何をされても嫌いになんてなりませんよ。しかし嫌がらせなんて、なぜ、その様なことを?」
「民衆は皆、ざまぁを望んでいるの。切実にね。悪者が懲らしめられるのを見て、スカッとしたいのよ」
「……はぁ」
『ざまぁ』とはなんのことでしょう? ヴェレッド様との会話には、時々聞いたこともない単語が出てきます。
学園の執事クラスでトップの成績を維持している自分でさえも知らない言葉を、ヴェレッド様はいったいどこで学んでくるのでしょう?
名家に仕え陰で支えるためにあらゆる知識を身につけねばならない執事クラスのレベルは、貴族クラスよりもはるかに上回るというのに。
そういえば先日『クリフは攻略対象じゃないし、モブですらない』と言われ頭に疑問符が浮かびましたっけ。詳しく聞こうとしても教えていただけませんでした。
今回は教えていただけるのでしょうか。
「あの、『ざまぁ』の意味をお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「そうね……いろいろな意味を持っていて『ざまぁ』がメシウマ蜜の味って人もいるけど、この世界では因果応報、自業自得、もしくは勧善懲悪って感じかしら。正義が勝って悪が滅びる、そんなストーリーがみんな大好きよね。『ざまぁ』は民衆の心をがっちり掴んで離さないわ」
また『メシウマ』という知らない単語が出てきましたが、『ざまぁ』のストーリーは民衆の心を掴む……、ふむ、それはなんとも魅力的ですね。
時に物語は、武力よりも人々の心を大きく動かす強い原動力となるかもしれません。
「ゲームの中で私は悪役なの、ヒロインのアカリ様を苛めて報いを受けるのよ」
ゲーム……? 教養として嗜むチェスやカードのことではなさそうですね。
それにしても、ヴェレッド様が悪役……。悪役って……。
真剣な表情で私は悪役だとおっしゃるヴェレッド様、可愛すぎます。
眉間を押さえて頭を下げ、必死に笑いを堪える。長い前髪、牛乳瓶の底のような眼鏡は表情を隠すのにも役に立つ。
いや、無理でしょう。貴方に悪役は。
小さい頃、貴方の叔父上でもあるフロイント辺境伯の領地の端、アルアスラ王国とメルヴェイユ王国の国境近くで俺の命を救ってくれたヴェレッド様。そんな貴方が悪役なんて。
ずっと貴方と一緒に過ごしてきたからわかる、貴方は王妃となるのにふさわしい方だ。
「私は『ざまぁ』を待つ人々の期待に応えて断罪されるわ。モフィラクト王太子殿下からアカリ様に対する悪事を咎められ婚約破棄されるの。そしてお父様に勘当されて平民になるから、そうしたら……」
勘当、ですか……娘命のソムニウム公爵がそんな事をなさるはずがないでしょう。
そもそも断罪なんて、そんなバッドエンドの物語、貴方には似合わない。
愛しいヴェレッド様、救っていただいたこの命をかけても、貴方には必ず幸せになっていただきます。
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