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ちゅッ♪

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「人が、誰もいないのですが……?」

 カムラッド様と一緒に競馬場へ来たけれど、場内はとても静か。
 競馬場ってもっと人がたくさんいて、賑わっているのかと思っていました。

「そうですね、今日はレースの開催が無いから」
「ぇ……、レースが無いのに勝手に入ってしまってよいのでしょうか?」

 不法侵入で咎められたりしませんか。

 カムラッド様は私の方を見てふわりと微笑んだ。

「大丈夫ですよ。実は馬好きが高じてしまって……この競馬場は僕が運営しているんです。今日は僕の愛馬を紹介したいと思っています」
「愛馬を……?」
「はい、どうぞこちらへ」

 通された場所にいた、予想を遥かに上回る馬の数に圧倒されてしまった。
 世話をする人達なのか、馬のそばにいる方々は一度手を止めカムラッド様に向かって皆お辞儀をしている。

 白い馬、黒い馬、灰色の馬……と様々だけれど皆凛々しくて立派な馬ばかり。
 カムラッド様と並んで歩いていくと、一番奥に一段と美しい栗色の馬がいた。

「チェスナット」

 優しく声をかけ、栗色の馬の首あたりへ愛おしそうに手をあてているカムラッド様。

 この子が、カムラッド様の愛馬かしら。
 体はすごく大きいけれど、優しい目をしている。

「可愛いですね」

 私の言葉が意外だったのか、カムラッド様は少し目を見開いた。

「怖くないですか?」
「表情が優しいので、怖くはないです」

 カムラッド様が嬉しそうに微笑む。

「乗ってみますか?」
「え、いいんですか?」

 馬に乗るなんて初めて。
 嬉しい。どんな感じなのかしら。

「もちろんです。ではそこの台に上がって少しだけ待っていてください」

 私が踏台にあがると、すでにカムラッド様はチェスナットの背に跨っていてゆっくりとこちらに向かってきてくれた。

 カムラッド様をのせたチェスナットが私のすぐ前で横向きに停止したと思ったら、ふわッと身体が宙に浮いて。
 え、と驚いた次の瞬間には、私はチェスナットの背中の上でカムラッド様の腕に囲まれるようにして横向きに座っていた。

「練習場の方なら使うことができるので、このままゆっくりと一周してきましょう」
「は、はい……」

 チェスナットが歩き出すとその振動で私の身体も揺れ、カムラッド様の胸のあたりに肩が触れてしまう。
 カムラッド様とこんなに近くにいるのは初めてで、なんだか心臓がドキドキ騒がしい。

「ずっと好きだったアイラ様とこうして一緒に乗馬を楽しむ事ができるなんて、夢のようです」
「ぁ、あの……」
「なんでしょうか、アイラ様」

 好きと言われたのが恥ずかしくて、俯いたまま言葉を続ける。

「どうしてカムラッド様は、私なんかに好意を寄せてくださったのですか……?」
「……最初のきっかけは、アイラ様の髪型でした。頭の高い位置で束ね、ファサファサと揺れる様子がチェスナットの尾にそっくりで、すれ違うたびに気になってしまって」

 確かに、先ほど見たチェスナットの尾は私の髪とよく似ているかもしれない。

「きっかけは髪型ですが、同じクラスで助けていただくことも多く生徒会でも一緒に過ごす時間が増え、アイラ様の人柄に触れてこの想いが愛情だと自覚しました」

 人柄に……
 私もカムラッド様のお人柄はとても好き。
 優しくて、努力家で、誠実な人。

「チェスナットと同じくらいあなたを大切にします。僕と結婚していただけませんか」
「ふふ……カムラッド様は、本当に馬がお好きなんですね」

 正直な方……
 愛馬よりも大切にすると、自分にできない事をおっしゃらない。

「……アイラ様のおっしゃる通り、僕は馬が好きです。特に乗馬が好きで、趣味に費やす時間が多く結婚しても寂しい思いをさせるかもしれません。やはりそんな男とは、結婚なんてしたくないですよね……」

 寂しい思い……。
 オジャッツ様と結婚しても、また浮気されるのではないかと寂しい思いをするにちがいない。

 でもカムラッド様と結婚したら……?
 寂しい時もきっとある、けれど一緒に趣味を楽しめる時もあるかもしれない。

 だけど……
 この国よりも経済的に裕福なイチーズ王国の第二王子と結婚なんてしたら、伯父夫婦は絶対カムラッド様にお金の無心をするはず。
 だからカムラッド様にご迷惑をおかけしないためにも、結婚するなら伯父夫婦とは縁を切る必要がある。

 オジャッツ様から婚約破棄されたら家を追い出され縁は切れるけれど私は平民に。でも、平民になってしまった私とカムラッド様の結婚はイチーズ王国の国民に受け入れられないでしょう。

 どうにもならない自分が情けなくて、顔を上げる事ができない。

「結婚はお断りします。でもそれはカムラッド様が悪いのでは無くて、私がカムラッド様に相応しくないからです」
「相応しくない……とは?」
「私はオジャッツ様に婚約破棄されたら恐らく家を出されます。カムラッド様はイチーズ王国の第二王子ですもの。隣国エマデマド王国の平民と結婚なんて、イチーズ王国の民が納得するはずありません」

 ふたりの間に沈黙が流れる。
 先に言葉を発したのは、カムラッド様だった。

「イチーズ王国の国民が納得できれば、僕との結婚を考えていただけるということでしょうか?」
「……そうですね」

 ついぞんざいに返事をしてしまう。

 イチーズ王国の民が納得なんてそんな事、夢物語だから。

「それなら問題ありません。アイラ様はイチーズ王国で発明家として有名で大人気なんですよ」
「えっ、私が、ですか……?」

 思わずバッと顔を上げる。
 カムラッド様もチラリとこちらを向いたのかもしれない。

 タイミングの悪戯で、本当に軽くだけれどカムラッド様の唇が私の額に触れた。

「ぁ、申し訳ありませんアイラ様っっ」
「ぃ、いえっ。私の方こそ、突然動いたりして申し訳ありませんっ」

 ぅわぁ、カムラッド様のお顔、耳まで真っ赤

 照れている表情を目の当たりにしたら、自分でも不思議なくらいカムラッド様が可愛く見えて愛しさが込み上げてきた。
 カムラッド様と一緒にいたいと、思ってしまう。
 もう少し話を聞いて、カムラッド様との未来を模索してみたい。

「カムラッド様、私はイチーズ王国を訪れた事さえありません。なぜ発明家として名を知られているのでしょうか」
「アイラ様は調理道具や掃除用品を便利なものにするためのアイディアを僕にたくさん教えてくださったでしょう?」
「はい……確かに、そういった事はありましたね……」

 料理や掃除をしていると、この道具はこんな感じで工夫すればもっと使いやすくなるのにと歯痒く思う事が多くて。
 生徒会の仕事終わりにカムラッド様が淹れてくださったお茶を飲みながら一緒に過ごす時間で、よくそういった話をしていた。

「国籍の無い方は単独で申請できないため僕との共同出願ということになっていて申し訳ないのですが……アイラ様のアイディアを無駄にしたくなかったので、イチーズ王国で特許を取得しました」

 イチーズ王国で、特許を……?

「早くお渡しするとご両親に使われてしまうかと思い学園に通う間はお伝えできませんでしたが、ライセンス料はアイラ様個人の財産として自由に使えるようになっています」

 両親に……
 もしかしてカムラッド様は、スタレー伯爵家の内情をよくご存知なのでしょうか。

「アイラ様の発明品はイチーズ王国に大きな経済効果をもたらしました。数々のライセンス契約による経済活動もすでに充分な期間を経過しているため、その功績が認められアイラ様が望めばすぐにでもイチーズ王国で貴族籍取得を申請することが可能です。だから何も心配することはありません」
「カムラッド様……本当にありがとうございます」

 視界が自然と潤んでくる。

「お金はいりません。私のライセンス料はすべてイチーズ王国のために使っていただければと思います。カムラッド様、他には何もいりません、どうか私と結婚してください」

 カムラッド様が、柔らかく微笑んだ。

「結婚してくださいは僕のセリフですよ。アイラ様、婚約破棄を承諾する旨を伝えに行く時は僕も一緒に行きます」

 ブンブンと首を横に振る。

「いいえ、カムラッド様のお手を煩わせるわけにはいきません。オジャッツ様にお伝えするのは私ひとりで参ります」
「アイラ様は人を気遣ってこうと決めたら、意志が固いですよね……」

 カムラッド様は少し悲しそうにぎこちなく微笑むと、小さくため息をついた。

「わかりました。でも心配なので、ジャーマ侯爵邸へ行くのは帰りに僕と会える日にしていただきたいです」
「会える日に……ですか?」
「はい、僕は1週間後に国へ帰らなければならず、その準備があるので……そうですね、できれば5日後あたりなんていかがでしょうか」





 ――5日後に会いたい、とオジャッツ様へ先触れをする。
 要件は伝えていなかったので、いいだろう時間を作ってやる無礼な態度をやっと謝罪する気になったか、と返事が来た。





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