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30 その夜、何があったのか 後
しおりを挟むピアが振り返ると、出入り口のところでカーラが睨んでいた。
「あ……あの、のばらをつんできたの」
「いやだわ」
初対面のときから全く友好的ではなかった〝妹〟は眉間に皺を寄せ、赤みがかった金髪を揺らしながらつかつかと近づいてくる。
水盤を挟んでピアと向かい合うと、カーラは居丈高に言った。
「かってに、きたないものをいれないで!」
「き、きたなくなんかないわ。ほら、こんなにきれいでしょう」
カーラは小馬鹿にしたようにふんと鼻を鳴らす。
「おねえさまが、つんできたものなんて!」
意地悪を言われるのはいつものことなので、ピアは冷静に返した。
「でも、ななつのおはながそろってるおみずのほうが、よりけんこうでしあわせになれるといわれてるのよ」
カーラはぷっと噴き出す。
「そうおしえてくれたあなたのおかあさまは、けんこうでしあわせになれたの?」
絶句したピアの目の前で、カーラは荒々しく水の中に手を突っ込んだ。
「あなたのつんだおはななんて、えんぎがわるいわ!」
つまみ上げた野ばらを、カーラは乱暴に床に打ちつける。
「や、やめて」
「おはなもあなたも、じゃまなのよ」
次に投げつけられた花はピアの胸元に当たり、弾けるように水滴が飛び散った。それを見たカーラは小気味良さそうに笑う。
「カ、カーラさん、ぶさほうなことはやめて……」
濡れた顎を拭いながらピアがそう言うと、カーラは目つきを険しくした。
「わたしの〝おそだち〟がわるいっていうの?」
「そ、そんなこと、いってな……」
「いったでしょうっ!? さほうもしらない、まずしいそだちだって!」
尖った怒声が部屋中にキンキンと響く。
「ばかにしないで! あなたのおかあさまがいたせいで、わたしのおかあさまは〝おくさま〟になれなかっただけなのにっ!」
カーラは勝手に激昂し、水盤の縁を叩くように勢いよく両手を振り下ろした。
「あっ……!?」
乳白色の水盤は跳ね上がるようにして裏返り、意趣返しでもするかのように狼藉者の顎にゴツンとぶつかって中身をすべて浴びせかけ、床へと落ちていく。
カーラが尻もちをつく音と、水盤が割れる音が同時に響いた。
「う……」
野花入りの水をかぶってびしょ濡れになったカーラは、顔を真っ赤にして大声で泣き出す。
「カ、カーラさん……」
腰から提げた巾着袋からピアがハンカチを取り出そうとしたとき、出入り口のところに継母が現れた。
「――まあっ!」
惨状を目にした継母は、慌てて駆け寄り愛娘を抱きしめる。
「私の娘に何をしたの!?」
継母から鋭く睨みつけられ、ピアは身を竦ませた。
言葉が出てこないピアの代わりに、泣きながらカーラが訴える。
「お、おねえさまが、わたしの〝おそだち〟がわるいって……」
新しい伯爵夫人は更に厳しい顔になって、娘に訊ねた。
「それで、お水をかけられたのね?」
「すいばんを……ぶつけられたの」
ぎょっとしたピアは、慌てて否定しようとする。
「そんなこと、してな――」
「何の騒ぎだ!?」
カーラの泣き声を聞きつけてやってきたバレンテ伯爵は、三人を見てはっと息を呑んだ。
「……どういうことだ」
怒りの眼差しは、まっすぐにピアへと向かう。
「お、おとうさま、わたし――」
「旦那さまっ!」
継母の悲痛な叫びが、ピアの言葉を遮った。
「私たち母娘は、もうこのお邸にはいられません!」
「ル、ルバータ、なぜそんなことを」
「出自を蔑まれて暴力を振るわれるような環境で、大切なこの子を育てることなどできませんもの……!」
はらはらと涙を流す妻からピアに視線を戻した父の目は、ぞっとするほど冷ややかだった。
「――また手が出たのか」
「おとうさま、ちがうんです」
「以前カーラに怪我をさせたとき、私はお前に『次はないと思え』と言ったな?」
伯爵は大股で歩み寄り、布袋でも抱えるかのように手荒くピアの体を持ち上げた。
「もう、この邸には置いておけない」
何を言われているのかピアには分からなかった。
「曲がった性根を叩き直してもらわなくては」
どこかへ連れていかれるのだとピアが理解したときには、すでに馬車の中だった。
「シューパレ修道院に」
御者に父が告げた行き先を耳にしたピアは震え上がる。
小さなピアでも知っている〝非行少女の監獄〟とあだ名される修道院の名前だ。預けられた女子は皆、魂が抜けたようにおとなしくなるのだという。
「お、おとうさま、きいてください」
隣に乗り込んだ父は、ピアの言葉を黙殺した。
「そんなところに、いきたくない……っ」
恐ろしさで胸が詰まり、次から次へと涙が溢れてくる。
いつの間にか夜の色は濃くなり始めていて、あちこちの広場ではかがり火が焚かれ、そばを通ると馬車の中まで少し明るくなった。
「おねがいです……」
伝承歌を合唱する楽しげな歌声が響いてくる。
「おうちにいさせて……!」
こうしてわずか五歳のピアは、国じゅうが祝祭に沸く夏至の前夜に、たった一人で寒々とした修道院に放り込まれたのだった。
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