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16 王子の帰還……

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 何が起きているのか、ピアにはさっぱり分からなかった。
 おろおろと扇形の手帖を開いてみると、いつの間にすり替えられたのか、すべての欄が一人の男性の名前で埋め尽くされていた。

「――本当にすみません」

 誰かが横から申し訳なさそうに声をかけ、ピアの手を取る。手帖に記されていたその人、アルド・スィ・アレアティだった。

「えっ……」

 王子の静養に随行したと聞いていた黒髪の騎士が、なぜか盛装してここにいる。そして当のロゼルトも、どうしたことか王女の姿になってこちらに背を向けて立っている。

 混乱しているうちに、最初のダンスが始まった。
 突然現れた〝美しいお方〟に完全に魅了されてしまったらしいザンテ王子は、夢うつつのような表情を浮かべてロゼルトと踊り出す。

 ピアも半ば呆然としながら、アルドに誘導されるままぎこちなく体を動かした。

「あれ……?」

 近くで踊っていた男性が、青いドレスの貴婦人に目を留めて不思議そうな声を漏らす。

「ロゼルタ王女……?」

 外国から来たばかりのザンテ王子には面識がなかったようだが、ジェラーレ王国の国民である多くの出席者たちは、次々とロゼルトに気づいていった。

「どうしてこの舞踏会に……?」
「ご静養中だと聞いていたが……」
「それに、あのお姿は……?」
「この前、王子になられたはずだよな?」

 ざわめきは水紋のように拡がっていき、一曲目が終わるころには会場中の注目はすっかりロゼルトに集まっていた。

「――皆さま、こんばんは」

 しんとなった大広間に、落ち着き払ったロゼルトの挨拶が響く。

「驚いていただけましたでしょうか?」

 王子はにこやかに出席者たちを見回し、少しいたずらっぽく肩をすくめた。

「実は、主催者である女王陛下から盛り上げ役を頼まれまして。過ぎし日を懐かしみ、今宵だけ王女の姿に戻ってみました」

 女性だと信じきっていたらしいザンテ王子はあんぐりと口を開けたが、それ以外の人々はそうだったのかと顔をほころばせ、不意打ちの登場を歓迎した。

「まさか今夜お会いできるなんて!」
「ご静養先に向かわれたというお話は、陛下が仕掛けられた演出でしたのね」
「なんて眩しい笑顔なの」
「王女と王子、どちらの格好をなさってもやっぱりすごくおきれいだなあ」

 ピアが困惑しながら主催者席の方に目をやると、なぜか女王夫妻の椅子は空っぽになっていた。

「えっ……?」

 ひょろっと背の高い儀典長がどこか心細そうに立っているだけで、桟敷席にいたはずのノーヴィエ侯爵や宰相リエーレの姿も見当たらない。

「ど……どうして……」
「――ピアさま」

 沈んだ声でアルドが囁いた。 

「後ほどお咎めを受けることは覚悟の上ですので、どうかこのまま私と踊ってください……」

 疲労感を漂わせているアルドの後ろでは、ロゼルトが手帖を開き「二曲目はポルタ子爵家のご子息ですね? さあこちらへどうぞ!」と、次のダンスの相手を元気に呼び出している。

 アルドはいまいましそうにキッとロゼルトを一瞥すると、視線を戻して小さくため息をついた。

「バカ王子の暴走を止めることができず、本当にお詫びのしようもありません……」

 物憂げな騎士の脳裏に浮かんでいたのは、南海岸に向かう馬車の中での出来事だった。

   ◇  ◇  ◇

「そうだったんだ……」

 アルドから恋の打ち明け話を聞いたロゼルトは、同情を寄せるように幼なじみを見た。

「お母上に気づかれないように、夜勤があると偽っては逢瀬を重ねて……。大変だねえ」
「母は俺の務めについては口出ししないよう父から厳しく釘を刺されてるんで、連続勤務だなんて言って彼女と小旅行くらいはできたんですけどね」
「秘密の小旅行か。いいなあ」
「湖で裸になって泳いだりして最高でしたよ。でも母が所有する別荘を使ったんで、バレたら本当にシャレになら――」

 ふと、アルドは王子の両肩が小刻みにふるふると震えていることに気づいた。

「王子? どうかされました?」

 堪えきれなくなったかのように、ロゼルトの口の両端が嬉しそうにグイッと上がる。

「ふははは、かかったなあ!」
「え?」
「アルドッ、今すぐ王都に引き返すぞ!」

 意気揚々と声を弾ませる王子を、アルドは訝しげに見た。

「は……?」
「御者たちには『王子が忘れものをしたので取りに帰る』とでも言うように!」
「な……何をバカなことを」
「――さもないと」

 ロゼルトの笑顔に、企みの暗い影が差す。

「君と未亡人のこと、あれもこれもぜーんぶノーヴィエ侯爵夫人に告げ口しちゃうもんねえ」
「あっ、ズリい!」
「お母上にばらされたくなかったら、できるだけ速やかに引き返すんだなあ」
「卑怯な……」
「なんと言われようと構わない!」

 王子は端正な顔をきりりと引き締め、高らかに命じた。

「さあっ、ただちに王都へ!」
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