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49 きみを護る人
しおりを挟むデイラがそれを箒だと認識したのは、侵入者が持つ短刀を鋭い一振りで叩き落した後だった。
その柄を受け止めたときにはすっかり靄は晴れ、やるべきことがはっきりと見えていた。
不意をつかれて凶器を失った侵入者が呆然とすると、裏の扉から疾風のごとく飛び込んできた影が男の顎を手刀で打ち、アイオンを奪い取った。
「かあさまっ……」
箒を床に投げ捨てたデイラは、素早く手渡された息子をしっかりと抱きしめる。
怪我がないことを確かめ、力いっぱいしがみついてくる息子の温かさと重みをデイラが噛みしめていられたのは、全く無駄のない動きで侵入者を制圧する彼がいてくれたからだった。
「キアルズさま……」
なぜか準備良く肩にかけていた縄で瞬く間に侵入者を捕縛すると、キアルズ・サーヴはデイラたちに笑顔を向ける。
「旅荘フレイはさすがだね。どこもかしこも整理整頓が行き届いていて、箒も縄もすぐに手に取れるようになってたよ」
アイオンがひとりで鞠を借りにいった後、裏庭に庭師がやってきて片隅に置いてあった園芸用の縄をどこかに持っていったのだという。
これでは〝リーロイ〟ができないと、キアルズはアイオンの後を追って従業員用の小径から管理棟に向かった。
すると、アイオンの叫び声が聴こえてきたのだそうだ。
「アイオン、怖かっただろうに、よく大きな声が出せたね。すごいぞ」
いつの間にかアイオンの涙は乾いていて、初めて会ったときに〝君を護る人〟だと名乗ったその人物を、驚きと尊敬が入り混じったような眼差しで見つめていた。
「しゅごさんって……」
にわかに出入口のあたりが賑やかになり、騒ぎに気づいたらしい従業員たちがそれぞれの手に武器になりそうなものを持って駆け込んでくる。
「ほんとうに、つよかったんだね」
キアルズは優しく目を細めた。
「君のお母さんの次くらいにはね」
◇ ◇ ◇
騒動からひと月ほどが経った、晴れた日の午後――。
「それじゃあ、明後日には戻るわね」
旅荘フレイの前に停められた馬車のそばで、ミリーア・マナカールは見送りに出てきた人たちにそう声を掛けた。
「あの……本当によろしいんでしょうか」
遠慮がちに訊ねたデイラに、ミリーアは微笑む。
「たったの二泊三日なんだから、心配要らないわ。わが家の優秀な保育係と家庭教師もついてきてくれるんだし」
その傍らでは、ダン・エド商会の子供たちとアイオンがうきうきと声を弾ませていた。
「ふるいしゅうどういんで、おまいりするんだよね!」
「ぼくは、りっぱなしょうにんになれるように、おねがいするんだ」
「わたしはもっと〝リーロイ〟がうまくなりますようにって。アイオンは?」
「えっとねえ……」
これから彼らはミリーアに連れられて、隣の教区にある聖地のひとつに出かける。
騒動の後、フォルザの自警団に引き渡された侵入者は厳正な取り調べを受け、周辺の地域で窃盗と強盗を繰り返していたお尋ね者だったことが分かり、凶悪犯として裁かれて収監された。
あの朝、商人たちの出立の喧噪にまぎれて男が正門から侵入したと知ったデイラは警備係として大いに責任を感じたが、宿泊客の救護にあたると報告してから持ち場を離れていたことや、犯人確保に貢献したこともあって、誰からも責められることなくむしろずいぶん労われてしまった。
とはいえ警備の強化は急務だとして、マナカール会長は体制を整えるため滞在を延長し、その妻ミリーアとダン・エド商会の子供たちも、衝撃的な体験をしてしまったアイオンを慰めるためしばらく宿に残ることにした。
多忙を極める会長は目的を完了させるとブロールに戻ったが、子供たちとミリーアはひと月を目途にさらに留まり、宿を発つ前にアイオンとの小旅行を計画してくれたのだった。
「アイオンはもう大丈夫なようね」
はしゃいでいる子供たちをゆったりと眺めて、ミリーアが言う。
「ええ、皆さんのおかげで……」
デイラもほっとしながら頷いた。
騒動直後のアイオンはどこか落ち着かない様子で、夜もデイラと離れたがらず一緒に寝んでいたが、安心感を与えてくれる人たちに囲まれて過ごしているうちに徐々にのどかさを取り戻し、最近では以前のように外遊びを楽しんだり、ダン・エド商会の子供たちの部屋に泊まったりするようにもなった。
「〝しゅごさん〟の力も大きかったでしょう?」
ミリーアの視線がデイラの隣に移る。
「あ……」
そこには、急に水を向けられて戸惑ったような顔をしたキアルズ・サーヴがいた。
騒動の前日には「一旦ここを離れなきゃならない」と言っていたキアルズだったが、あれからすぐに、王都で議会が開かれる再来月までここに逗留することを決め、エルトウィンの母に宛てて領主代行延長の委任状を送っていた。
「その、ぼくはそれまでと同じようにアイオンと遊んでいただけで……」
アイオンの気がまぎれるようにと、キアルズが工夫していろんな遊びを提案してくれたことはデイラもよく知っている。
「ほ、本当に助かりました」
「い、いや」
あれから互いにアイオンのことだけに心を砕いてきて、長く言葉を交わすような機会もなかったため、久しぶりに近づいたふたりの間には何やらぎこちない雰囲気が漂っていた。
そんな様子を見たミリーアは、可笑しそうに目尻を下げる。
「差し出がましいことを申しますけど、この機会におふたりでじっくりと話し合われたらいいんじゃないかしら」
ふたりは少し緊張したように、きゅっと唇を結んだ。
「ねえデイラさん、わたくし、辺境伯さまの一途さにとっても感動しているの」
「え……」
「以前、エルトウィンの辺境伯邸をお借りして一番下の義弟の結婚祝いの昼餐会が行われたことがあったんだけど、新婦が王女殿下ご夫妻と幼なじみだということで、巡幸中の国王陛下ご一家も揃ってご臨席くださって……」
キアルズはハッとして、慌てて話を止めようとする。
「マナカール夫人、そのことは――」
しかしミリーアが黙ることはなかった。
「会食中に、まだ独り身のご領主に陛下が縁談を持ちかけようとなさったら、辺境伯さまは言下に『結構です』とお断りになってね」
キアルズは気まずそうに額に手を当てる。
「あまりにも強い口調だったから皆の注目が一斉に集まったんだけど、辺境伯さまはそんなことなど気にも留めないご様子で、『妻となる人は、私が自分で見つけます』と、重ねてきっぱりとおっしゃったのよ」
デイラは言葉が出てこなかった。
貴族にとって国王から結婚相手を紹介されるというのは非常に光栄なことで、たとえ事情があって辞退するにしても言い方には相当気を遣うはずだ。
物柔らかで礼儀正しい辺境伯がそんなふうに固辞したら、国王はじめ居合わせた人々はさぞ驚いたことだろう。
「寛大な陛下が『では、そなたの健闘を祈ろう』と微笑まれてその話は終わったんだけど、あのときの辺境伯さまの『見つける』という言葉は、『見失った大切な女性をきっと捜し出す』という意味だったのね」
ミリーアはその日の空のような澄んだ青い瞳でふたりを見た。
「聖地では、大切な人たちの健康と繁栄、それから年月を経ても決して色褪せなかった想いが実を結びますようにってお祈りしてくるわ」
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