あれは媚薬のせいだから

乙女田スミレ

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47 髪も瞳も同じ

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「あっ、しゅごさん!」

 初めて会ったときにキアルズが名乗った〝守護者〟からつけられたあだ名を呼びながら、アイオンは跳ねるように駆けてくる。

「おはよー」

 キアルズの前で立ち止まったアイオンは、黒から淡褐色に変わった頭をきらきらとした目で見上げた。

「それが、ほんとうのかみのいろ?」

 興味津々だがさほど驚いてはいないようなアイオンを少し不思議に思いながら、キアルズは「そうだよ」と答える。

「もう、おんみつじゃなくなったの?」
「もともと隠密とは違うんだけど……、秘密の存在ではなくなったよ」
「そっかあ」
「あまりびっくりしてないんだね」

 キアルズにそう言われたアイオンは、にこにこしながら打ち明けた。

「きのう、みたから」
「見た?」
「うん、ゆうがたにオーリーたちとたんけんしてたら、とおくに、かあさまとしゅごさんがいたの」
「白いあずまやのところに?」

 アイオンはこくんと首を振る。

「くろいかみじゃないから、さいしょはちがうひとかなーっておもったんだけど、そのうち『しゅごさんだ!』ってわかったよ」
「そうだったんだ」
「みんなもいってたけど、ぼくのかみのけとおんなじいろだね」

 嬉しそうに自分の毛先をつまんでみせたアイオンを、キアルズはこれもまた彼と同じ色の瞳で優しく見下ろした。

「それでねっ、グラーナが――」

 元気に言いかけたところで、アイオンはハッとしたように口をつぐむ。

「ん?」
「な、なんでもない」

 はにかんだような笑みを浮かべ、アイオンはもじもじとした。

「お友達との秘密かな」
「そ、そう。ひみつ……」

 キアルズは詮索することなく微笑み、ゆったりとあたりを見回す。

「今日は〝茶色〟は来てないね。ふたりでどんなことをして遊ぼうか?」

 アイオンは何かを思い出したかのように「あっ」と声を上げ、身を乗り出した。

「あ、あのね、しゅごさんは、じょうずにまりをなげられる?」
「鞠?」
「きのう、オーリーたちにさそわれて、はじめて〝リーロイ〟をやったんだけど、ちっともうまくできなかったんだ」
「リーロイ……」
「じめんにまるくなわをおいて、そのなかにまりをなげるの」
「ああ」

 エルトウィンのあたりでは〝チェード〟と呼ばれていた遊びを、キアルズは思い出す。

「子供のころよくやったよ。縄で作った輪っかのまとを小さくしていったり、投げる距離を離していったりするから、どんどん難しくなるんだよね」
「うん……。みんなは『アイオンは、まだちいさいからしかたないよ』ってなぐさめてくれたけど、ぼく、もっとうまくなりたいんだ」

 キアルズは温かいまなざしで頷いた。

「じゃあ、一緒に練習しよう。ぼくも最初は失敗ばかりだったけど、何回かやってるうちにかなりの腕前になったんだよ」

「わあっ」
 アイオンは顔を輝かせる。

「しゅごさん、ありがとう! なわはそこにあるから、まりをかりてくるね!」

 走り出そうとしたアイオンを、キアルズは慌てて呼び止めた。

「アイオン、君ひとりでここから出るのは――」

 遊び道具は管理棟にある受付で貸し出されているが、宿泊客が行き来できる区域にはアイオンだけで入ってはいけないと言われているはずだ。

「だいじょうぶ! うらのみちからいくから!」

 アイオンは庭の奥を指差す。

 キアルズが近づいて見てみると、柵の端の隙間からイチイを刈り込んだ高い生垣いけがきが宿泊者区域の外塀に沿うようにしてずっと続いていて、緑の壁と塀の間には大人ひとりが通れるような細い道がひっそりと設けられていた。
 おそらく、宿泊客の目に触れることなく従業員が素早く移動するための通路なのだろう。

「本当に大丈夫?」
「うんっ。すこしだけまってて!」

 頼もしい口調でそう言うと、アイオンは小径こみちに駆け込んでいった。

   ◇  ◇  ◇

 管理棟の裏に着いたアイオンは、日中は薄く開けられている木製の扉を身体で押して中に入った。

 正面の受付とは事務室を挟んで反対側にあるこの空間は、倉庫として使われている。
 右側には清掃道具、左側には宿泊客のための屋外用の椅子や遊び道具などがきちんと保管されているので、すぐにアイオンは目当てのものを見つけることができた。

「あった!」

 床に置かれた籠の中から革製の鞠をひとつ持ち上げたアイオンは、借りていくと告げるため隣の事務室へと向かう。

「ん……?」
 アイオンは首をかしげた。

 普段は、先ほど入ってきた通用口とは違い事務室の扉は閉まっているのだが、今日は手桶の幅ほど開いている。
 隙間からアイオンが声を掛けようとしたとき、室内からガタガタッと何かを大きく揺らすような音が聞こえた。

 ゴラシュさんかな、とアイオンは思う。
 事務の助手として雇われているその陽気な女性は、しょっちゅうつまずいたり床に物を落としたりしている。

 しかし、いつもならすぐに「わー、すみませんっ」という慌てた声と、周りの人たちが「大丈夫?」「気をつけて」と慰める声が聞こえるのに、少し待ってもそんなやりとりは耳に届いてこなかった。

 アイオンは訝しそうに中に足を踏み入れる。
 大きな仕事机がいくつもそびえ立っているのでいっぺんに室内を見渡すことは難しいが、扉から近い幾つかの席には誰もいなかった。

 受付が混雑したり荷物が多い団体客を送り出したりするときは、事務室にいる人たちも手を貸すために出払ってしまうことがある。今もそうなのかも知れないとアイオンが考えていると、再び部屋の奥のほうからガン、ガンと硬いものを荒々しく叩くような音が上がった。

「くそっ!」

 吐き捨てるような悪態が響き、アイオンはびくっとする。聞き覚えのない大人の男性の濁り声だった。

「無駄に頑丈に作りやがって」

 苛立ったような呟きの後も、ぎしっ、ぎしっと異音が続く。
 アイオンが机の陰からおそるおそる顔をのぞかせた瞬間、バリッと何かが割れたような音がした。

「やったぞ」

 目に映った光景に、アイオンは息を呑む。
 事務室の壁際に据えられた戸棚の片開きの扉が壊され、斜めにぶら下がるような形で開いていた。
 その前には、金梃かなてこのようなものを片手に持った男が、こちらに背を向けて立っている。

 黒髪に長身の後ろ姿はまるで昨日までの〝しゅごさん〟のようだが、ちらっと見えた横顔は下卑た笑みを浮かべていて、まったく似ても似つかなかった。

 男は足許に置いてあった麻袋の口を開いて金属棒を放り込むと、戸棚の中から取り出した木の箱を傾け、金貨や銀貨をじゃらじゃらと袋に移し始める。

「大収穫だな」

 機嫌良さそうに男は濁声だみごえを弾ませた。
 呆然と眺めるアイオンの脳裏に、〝しゅごさん〟の言葉がよみがえる。

――いいかい? じっくり観察してみて、やっぱり怪しい奴だと思ったら――

 アイオンはゆっくりと後ずさりを始めた。
 慎重に下がっていたつもりだったが、小さな肩が扉の枠にぶつかり、抱えていた鞠がポンと床に落ちる。

「誰だ!?」

 アイオンは固まったように立ちすくんだ。
 敏感に音を聞きつけた男は、腰のあたりからさっと短刀を出し、アイオンがいるほうに向かって歩いてくる。

――すぐにお腹の底から声を出して助けを呼ぶんだよ――

 アイオンは思いきり息を吸い込むと、声の限りに叫んだ。

「どろぼうーっ!!」
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