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42 予期せぬ驚き
しおりを挟む『上背があって、黒い髪をした若い男』
つい先ほど知らされたばかりの連続窃盗犯と同じ特徴を持つ男が、大切な息子の身体をがっちりと掴んでいる。
デイラのほうに背中を向けていたため男の顔は見えなかったが、このような風貌の従業員に心当たりはなかった。
「何をしているッ!」
打ちつけるような厳しい声を放つと、デイラは素早く柵を乗り越える。
一瞬動きを止めた男は、ゆっくりと腕を曲げて胸のあたりでアイオンをしっかりと抱きかかえた。
「かあさま……?」
男の肩越しに、アイオンが不思議そうな顔を覗かせる。
「その子を降ろせ! 絶対に傷つけるな!」
一般市民に帯剣は許されていないが、この宿の警備係には木製の短い棍棒が支給されている。それを母が腰から抜き取るのを目にした息子は慌てた。
「かっ、かあさま、このひとは、あやしいひとじゃなくて……」
そのとき、男がアイオンを抱いたまま静かに振り返った。
「――っ!?」
呼吸を忘れ、デイラは立ちすくむ。
そよ風に揺れる黒い前髪の下で、翠玉色の瞳が眩しそうにデイラを見ていた。
「ぼくがこの子を傷つけるはずないよ」
懐かしい声が耳に響いてくる。
「――久しぶりだね」
騎士見習いのころから一度も剣を取り落としたことがなかったデイラの手から、するりと棍棒が落ちた。
◇ ◇ ◇
「ねっ、ねえ、どうなってるのー!?」
その日の夕刻、近所から通勤している客室係の遅番の女性が、からし色の髪を振り乱して控え室に駆け込んできた。
すでにその話題で盛り上がっていた従業員たちは、驚くのも無理はないといった様子で仲間を迎える。
「白いあずまやのところを通ったのね?」
「そ、そうよ。そしたら、七番棟のディアン・エーレさまが……」
「デイラさんと一緒だったんでしょ?」
調理補助のふくよかな女性がそう言うと、からし色の髪の女性はこくこくと頷いた。
時間帯は夜に差し掛かっているとはいえ、この季節の日照時間は長い。彼女の目にはふたりの姿がはっきりと映ったようだ。
「さ、最初はエーレさまだと思わなかったのよ。だって、お髪の色が」
「淡い褐色に変わったからねえ。あの黒髪は、鬘だったんですって」
「えーっ!?」
窓辺に座っていた設備管理の男性が、無精髭をさすりながら呟く。
「びっくりしたよなあ。あんなふうに髪の色が変わると――」
「ものすごくアイオンに似てらっしゃるわよね!?」
からし色の髪の女性が勢いよく被せた言葉に、誰からも異論は出なかった。
「思えば、あのきれいな瞳の色もアイオンと同じだったんだよな」
「どこかで見たことがあるような気はしてたのよねえ」
皆の会話を聞きながら、からし色の髪の女性は混乱したように眉根を寄せる。
「え、え……だからどういうこと? エーレさまは……」
「先ほど皆さんには伝えたのですが、あの方の本当のお名前はキアルズ・サーヴさまとおっしゃるそうですよ」
隅の椅子に腰掛けていた支配人がそっと告げた。
「会長によると、ご身分はエルトウィン辺境伯とのこと」
「ええーっ!?」
からし色の髪の女性はますます眉間の皺を深くし、懸命に情報を整理しようとする。
「えっと……七番棟のお客さまは実はエーレさまじゃなくてサーヴさまってお名前で……王都からいらしたんじゃなくて北の国境沿いのご領主さまで……黒髪でもなくてアイオンみたいな髪色で、瞳や顔立ちもあの子にそっくりで……。それで今、アイオンのお母さんであるデイラさんとあずまやでお話を……っ!?」
点と点が線でつながったらしい女性は、声を裏返して叫んだ。
「あ、あの方が、アイオンのお父さんってことー!?」
軋んだ音を立てて、控え室の扉が開く。
「ちょっと、廊下まで聴こえてきてたわよ」
注意を促しながらエニアが入ってくると、皆の視線が一斉に集まった。
「エニア、アイオンの様子はどう?」
気づかわしそうな従業員たちを安心させるように、エニアは少し微笑む。
あれから、キアルズはデイラの勤務が終わってから話をすることを提案し、アイオンは前日までと同じようにダン・エド商会の子供たちの勉強に加わり、昼食を共にした後も彼らとずっと一緒に遊んでいた。
「あの子は何も聞かされてないようだから、ほとんど普段と変わらなかったわよ」
エニアはデイラから頼まれて、アイオンの夕食の世話をした後、会長たちが泊まる棟まで送り届けてきたところだった。
「いつもよりさらにちょっとご機嫌だったかも。〝しゅごさん〟とお母さんが知り合いだったらしいことが嬉しかったみたいね」
「しゅごさん?」
「七番棟のお客さまのことをそう呼んでたらしいのよ」
からし色の髪の女性が意外そうに訊ねる。
「い、いつの間にそんなに仲良くなってたの?」
「朝食の後、たいていアイオンは裏庭で遊んでるでしょ。あの方は、人目を忍んで毎日会いにいらしてたみたい」
「あだ名で呼ばせてたってことは、父親だとは名乗っていらっしゃらないの?」
「そうみたいね」
皆は複雑そうな表情を浮かべた。
「なんだか……いろいろと事情があるみてえだなあ」
設備管理の男性がぼそりと言うと、調理補助の女性が頷く。
「そりゃあね。デイラさんは身重の体でこの宿に来たんだから」
「そうだったねえ……」
白い頭巾を被った清掃係の中年女性が、どこか懐かしそうに目を細めた。
「アイオンが生まれたときは、産婆さんがなかなか来られなくってさあ」
「ああ、あのときは近所でお産が重なったんだったよな」
深夜の警備を担当している男性が苦笑を浮かべると、横からエニアが声を掛ける。
「あんたは夜中に隣町まで産婆さんを探しに行ってくれたのよね」
「明け方に連れてきたときには、ほとんど生まれかけてたけどな」
従業員の女性たちは、誇らしげに胸を張った。
「あの子は、ダン・エド商会の奥さま方とあたしたちで取り上げたようなもんだよ」
「まあ、一番頑張ったのはデイラさんだけどね」
「長いお産だったのに、本当に辛抱強かったわ」
男性たちも、当時を振り返って顔をほころばせる。
「アイオンは、赤ん坊のころからかわいい子だったな」
「数えきれないほどの山査子の葉っぱに囲まれてましたねえ」
この国には、無事に育つようにとの願いを込めて新生児の揺りかごに山査子の葉を入れる習わしがある。
各々が張り切って集めてきたため、生まれたてのアイオンの寝床は緑で埋め尽くされていた。
「願い通りに、すくすく育ってくれたわねえ」
「おしゃべりも上手になって」
「デイラさんに似て優しい子だよ」
短い沈黙の後、清掃係の女性が寂しそうに口を開く。
「エルトウィンに行っちまうのかねえ……?」
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