あれは媚薬のせいだから

乙女田スミレ

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 静かな笑みをたたえた男性は、やや間を置いて答えた。

「ぼくは、君の守護者だよ」

「しゅごしゃ……?」
「君を護る人なんだ」
「ぼくを、まもるの……?」

 不思議そうなアイオンに、男性は「ああ」と頷く。

「どんなことがあっても護るよ」

 その瞳に濁りはなく、嘘や悪ふざけを言っているようには見えなかった。

「あなたは、きしなの……?」
「騎士じゃないけど、君のお母さんの次くらいには強いつもりだ」

 へえ……と声を漏らしたアイオンに、男性はそっと片手を差し出す。

「アイオン、初めて会った記念に握手をしてくれる?」

 にわかにアイオンは身を固くした。
 以前、「遠くの町で、ふらっと現れた男の求めに応じて握手をした子供が、そのままさらわれた事件があったらしい」と大人たちが話していたのを思い出したからだ。

 アイオンの躊躇を察した男性は、気を悪くしたふうでもなくにこっと笑う。

「用心深いのはいいことだ」

 男性は姿勢を変えて芝生の上にどっかと腰を下ろし、まぶたをぎゅっと閉じた。

「えっ……?」
「どうぞ、好きなだけ観察して」
「かんさつ?」
「君が『もういいよ』って言うまで目を開けずにじっとしてるから、ぼくが怪しい者なのかどうか、眺めたり触ったりして確かめていいよ」

 思いも寄らないことを言われ、アイオンはますます戸惑った。

「いいかい? じっくり観察してみて、やっぱり怪しい奴だと思ったら、すぐにお腹の底から声を出して助けを呼ぶんだよ」

 アイオンはきょとんとする。やがて、男性が自らそんな忠告をしてきたことがなんだか可笑しくなってきた。
 徐々に好奇心が頭をもたげ、アイオンはそろりそろりと男性のほうへ近づいていく。

 これまで、大人の男の人をこんなに間近でじろじろと眺めたことなどなかった。

 漆黒の髪に、陽光を浴びて輝く淡褐色の眉とまつ毛。
 すっと通った鼻筋に、きりっと引き締まった口元。
 腕や脚はとても長く、身体も母より大きくてがっしりしている。

 かっこいい、とアイオンは思った。
 騎士じゃないとは言っていたが、まるであの絵本の主人公のような美丈夫だ。

 しかし、羊の皮をかぶった狼のたとえは大人たちから幾度となく聞かされている。姿かたちが美しいからといって良い人とは限らないと。

 アイオンは忍び足で男性の後ろ側に回ると、硬そうな肩に思い切って手を置いた。不意を突かれた男性は、びくっと身体を揺らす。

「ふふっ」

 面白くなってきたアイオンは男性の正面に戻り、今度は頬をぺたぺたと触ってみた。従業員のおじさんたちと違って滑らかに見えたのに、かすかに髭を剃ったあとのような感触がする。

 身じろぎを懸命に堪えているらしい男性をアイオンは愉快そうに眺めると、何かひらめいたかのように庭の端のほうへ駆けていった。

〝茶色〟と遊ぶときにたまに使う猫じゃらしの草を手折ってきたアイオンは、ふさふさした先端部分を男性の顎のあたりで揺らしてみる。

「……っ!?」

 男性がくすぐったそうに肩をすくめると、興が乗ってきたアイオンは彼の鼻の下に猫じゃらしを移動させ、ふるふると小刻みに振った。

「は……」
 くしゅん、とくしゃみの音が裏庭に響く。
 
 弾けるような笑い声を上げ、アイオンは「もういいよ!」と観察の終了を告げた。

「――君は、なかなかのいたずらっ子なんだね」

 楽しそうに笑い転げているアイオンを、男性は慈しむような眼差しで見下ろす。

「あくしゅ、しよ!」

 気を許した証のように小さな手が差し出されると、男性は一瞬息を呑んだ。

「……ありがとう」

 大きな手が、とても大切そうにアイオンの手を握る。

「アイオン、また会いにきてもいい?」
「うんっ。あさごはんのあとは、ここであそんでるよ!」

 アイオンが快く返事をすると、男性は「それで……」と、どこか気まずそうに声を潜めた。

「お願いがあるんだけど、ぼくの存在は秘密にしておいて欲しいんだ」
「ひみつ?」

 首を傾げたアイオンに、男性は頷く。

「しばらく、ぼくのことは誰にも言わないでおいてくれる?」

 アイオンは、はっと何かに気づいたような顔をした。

「もしかして……あなたは、おんみつ?」

 あの騎士の絵本に出てくる〝秘密の存在〟といえば、王命を帯びた隠密だ。
 強くて格好良くて謎めいていて、陰ながら主人公を助けてくれる、アイオンの大好きな登場人物のひとりだ。

「……そんなようなものかも知れないね」

 少し困ったように男性が言うと、アイオンは翠玉色の瞳を輝かせた。

「わかった! ぼく、ぜったいにだれにもいわないよ!」
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