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38 黒い髪と翠玉色の瞳
しおりを挟むその晩、デイラはひとりで床に就いた。
息子が生まれてから初めて離れて眠ったのは、三ヶ月前、今回と同じようにダン・エド商会の子供たちが宿泊する部屋に一週間ほどアイオンが泊めてもらったときだった。
最初の夜は親がついていなくて大丈夫だろうかとずいぶん気を揉んだが、翌朝に会った本人はけろっとしたもので、「すっごくたのしかった!」と笑顔で報告してくれた。
きっと、今夜も愉快に過ごしていることだろう。
一方、めったにない自分だけの時間を手に入れたはずのデイラは、心寂しさを覚えていた。
この国の多くの子供は、早い時期から進路を定めて親元を離れる。
デイラも七歳で騎士見習いになったし、ダンステン・マナカールの長男オールンも、来月から王都の貿易商のもとで商売について学び始めるのだという。
アイオンも、数年後には自分の目標を叶えるため遠方に行ってしまうかもしれない。
「少しは慣れておかないと……」
前回と同様に、これからの幾夜は息子が巣立ったときの予行演習だとデイラは思うことにした。
いつもの就寝前なら、アイオンはその日にあった出来事をあれこれ聞かせてくれる。
たっぷり話せる時間がしばらくなくなったことで、息子に小さな秘密ができたことに気づけなくなるとは、そのときのデイラは想像もしていなかった。
◇ ◇ ◇
「ちゃいろが、こない……」
翌日の午前、アイオンは従業員寮の裏庭で残念そうに独り言を漏らした。
見た目のまま〝茶色〟という名前がつけられた猫は、近所の薪屋で飼われていて、三日に一度はふらりとこの庭にやってくる。
芝生の上に気だるそうに寝そべり、騎士ごっこのときには隊長と呼ばれ、海賊ごっこのときには船長と呼ばれ、のんびりとアイオンの芝居に付き合ってくれる彼は、エニアから「守り役のじいやみたいねえ」と言われている。
〝茶色〟には他にもお気に入りの場所があるらしく、今日はそちらへ行ってしまったようだ。
アイオンは庭の端のほうへ歩いていき、大人が食べる丸パンくらいの大きさの石をめくってみる。
「だんごむしも、いない……」
顔を上げてあたりを見回してみても、爽やかな風がそよいでいるだけで蝶や小鳥の姿はなかった。
アイオンはつまらなそうに溜め息をつく。
昨夜は、眠くなるまでダン・エド商会の子供たちとふざけ合って、とても楽しかった。
今日も、昼前にはお兄ちゃんお姉ちゃんたちの〝おべんきょう〟に加えてもらい、午後からは一緒に遊べるとのことでわくわくしているが、それまではひとりきりだ。
そのとき、柵のあたりで芝生を踏みしめるような音がした。
庭師のガラークさんが花壇の世話に来たのかと顔を向けたアイオンは、はっと息を呑む。
「やあ」
そこには、黒い髪を後ろで一つ結びにした背の高い男性が立っていた。
「ひとりで遊んでるの?」
生成りのシャツと黒い脚衣という軽装の男性は、優しそうな笑みを浮かべたまま、柵に取り付けられた扉を開けて裏庭に足を踏み入れる。
従業員用の区域に見覚えのない大人が堂々と入ってきたので、アイオンは少し身構えた。
「こ、こんにちは」
宿泊客なのだろうかと緊張しながら挨拶をすると、男性はなぜかずいぶん嬉しそうに頬を緩める。
「こんにちは」
近づいてきた男性は、芝生に片膝をついてアイオンと視線を合わせた。
どこか見覚えがあるような美しい翠玉色の瞳にしばらく見入っていたアイオンは、男性のまぶたの縁が心なしか赤くなっていることに気がつく。
「ないたの……?」
心配そうに訊かれ、男性は驚いたように大きく目を見開いた。
「だいじょうぶ? どこかいたい?」
男性は一瞬だけ切なそうに眉根を寄せた後、柔らかく微笑む。
「大丈夫だよ。どこも痛くないよ」
ほっとしたような笑顔を浮かべたアイオンを、男性は眩しそうに眺めた。
「ありがとう、アイオン」
アイオンはびっくりして、大きな声で訊ねる。
「ぼくのなまえを、しってるの?」
「ああ」
どこか得意げに男性は言った。
「年は三歳ってことも知ってるよ」
「そうなの!?」
「それから、強くて優しいお母さんのことが大好きってこともね」
アイオンは感心したように息を吐き、身を乗り出す。
「どうしてしってるの? あなたはだれ?」
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