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37 訪問者
しおりを挟むアイオンが話したという貴婦人は次の日には発ってしまったらしく、デイラが姿を見かけることはなかった。
そしてその翌月、旅荘フレイには嬉しい訪問者たちがやってきた。
「アイオーン!」
門の前に停まった大きな馬車の中から、御者に補助されて子供たちが次々に姿を現す。
「オーリー! スラン! グラーナ!」
アイオンも大きな声でひとりひとりの名前を呼び、ブロールから来た友人たちに駆け寄った。
「げんきそうだね、アイオン」
「また、きしごっこしような!」
「おいかけっこもしましょうね!」
少し年上のお兄ちゃんお姉ちゃんに囲まれ、アイオンは満面の笑みで何度も頷く。
宿を所有する経営者兄弟と妻たちがここを訪れるのは約一年ぶりだが、子供たちはそうではなかった。
手広く事業を営んでいる親たちが多忙すぎるとき、彼らは保育係を伴ってこの宿に逗留する。三か月ほど前にもやってきて、アイオンとたっぷり遊んでくれた。
「ねえアイオン、またぼくたちのへやにとまりなよ!」
年嵩のオールン・マナカールの誘いに、他の子供たちも大喜びで賛成する。
「それがいいよ!」
「きっと、すっごくたのしいわ!」
出迎えの従業員の中にいたデイラは少し慌てた。
前回彼らが来たときには、裁量を任されているという保育係から「ぜひどうぞ!」と勧められたため、言葉に甘えさせてもらったが……。
「いい提案だね、オーリー」
会話が聞こえていたのか、〝ダン・エド商会〟の赤い髪の会長がそう言いながら笑顔で馬車から降りてくる。
「ええ。みんな、アイオンと過ごすのを楽しみにしてきたものね」
夫に手を貸してもらい、金髪のミリーア・マナカールもニコニコと地上に降り立った。
「ああ、弟みたいなアイオンがいてくれると、うちの子たちはずいぶん聞き分けが良くなるようだしね」
兄と同じ髪色の副会長が気さくに笑いながら姿を現すと、その妻であるフィアーナ・オイアーも目を輝かせて馬車から出てくる。
「まあアイオン、しばらく見ないうちに大きくなったわね!」
全員が出揃ったところで、〝ダン・エド商会〟の会長ダンステン・マナカールは端正な顔をほころばせ、従業員たちを見回した。
「皆さん、いつも旅荘フレイのために力を尽くしてくれてありがとう。これから十日ほどお世話になるよ」
支配人はじめ従業員一同とアイオンは、心からの歓迎の笑みを浮かべる。
「ようこそおいでくださいました!」
◇ ◇ ◇
「ダン・エド商会がこの宿を買ってくれて、本当に良かったなあ」
「ちょうど、〝王女さまゆかりの地〟としてフォルザに注目が集まったころだったわねえ」
昼下がりの休憩時間、古参の従業員たちはしみじみと当時のことを振り返っていた。
昔のことを知らないデイラは少し眠そうなアイオンを膝に乗せて静かに聞いていたが、隣に腰掛けたエニアは興味深そうに話に加わる。
「あたしは今の経営者になってから採用されたけど、ほとんどの人はその前からここに勤めてたんだっけ」
「そうだよ」
洗濯係の中年女性が、誇らしげに胸を張った。
「あたしたちの働きぶりが気に入ったとのことで、会長がそのまま雇ってくれたのさ」
設備の管理担当の髭面の男性も、笑みを浮かべる。
「そんな嬉しいことを言われたら、いっそう張り切るしかねえよなあ」
古株たちは笑顔で頷いた。
「前の経営者のロイムさんもいい人だったんだけどねえ」
「年をとって体力や気力がなくなってきて、『もう閉めようかなあ……』が口癖になってたから、俺たちも不安だったんだよな」
「そんなときに、ダン・エド商会がここを救ってくれたんだ」
経営権が移ったとたん、古くなっていた箇所はきれいに修繕され、従業員の福利厚生も手厚くなり、目新しい発想と巧みな宣伝により旅荘フレイはあっという間に人気の宿になったのだという。
「改装したばかりのときは、会長が自ら陣頭指揮を取ってくれたわね」
「お客さまの出迎えも一緒にやってくれたよな」
「あのとおりの色男だから、女性のお客さまたちがぽーっとなって」
「いろおとこ?」
アイオンが不思議そうに口を挟むと、皆は優しく笑った。
「かっこいい男の人ってことよ」
「アイオンも、大人になったらきっとすごくかっこよくなるわよ」
「会長にも負けないくらいにね」
「――アイオンは正統派の美男になるだろうから、私は敵わないだろうなあ」
突然、控え室の入り口のあたりから声がして、従業員たちはぎょっとする。
「かっ、会長……」
そこには、赤い髪の色男が可笑しそうな顔をして立っていた。
「ああ、そんなに慌てなくていいよ。手放しで褒めてもらって申し訳ないくらいだ。――リラーグさん、ちょっといいかな?」
廊下に出たデイラに、会長はある提案を持ち掛けた。
「今回は子供たちの家庭教師も同行していて、午前中は学習時間に割り当てる予定なんだ。良かったら、アイオンも一緒にどうかと思ってね」
デイラは少し遠慮がちに答える。
「とてもありがたいお申し出ですが……あの子はまだ文字をいくつか拾えるくらいですので、お邪魔になってしまうかと」
会長は鷹揚に微笑んだ。
「じゃあ、お昼前から少しだけ加わって読み書きを教わるというのは? うちの家庭教師は優秀だし、あの子たちもアイオンがいてくれたほうが勉強に張りが出るんじゃないかな。午後は自由時間だから、そのまま一緒に遊べばいいよ」
◇ ◇ ◇
「では、よろしくお願いします。アイオン、おやすみ」
「うんっ。かあさま、おやすみなさーい」
夕食の後、会長たちが宿泊する棟にデイラが息子を送り届けたころ、管理棟にある受付に旅装束の男性が急ぎ足でやってきた。
「空いている部屋があれば、十日ほど泊まりたいのですが」
その人物の顔を見た受付係の女性は、ぽかんと口を開ける。
三十手前と思わしき、長い黒髪を後ろでひとつに束ねたその長身の男性は、まさに絵に描いたような〝正統派の美男〟だった。
「あ……お、お部屋はすぐにご用意できます」
「良かった。ありがとう」
翠玉色の瞳をきらめかせて爽やかに礼を言われた受付係は頬を赤らめ、その後ろの机で書類整理をしていた事務の男性も思わず眩しそうに目を細める。
見たことがないようなとびきりの美青年なのに、なぜかどこかで会ったことがあるような――ふたりの従業員は同時にそんな不思議な感覚に陥った。
「どうかしました?」
男性客が優しく声を掛けると、受付係はハッと我に返った。
「い、いえ……。や、宿帳にご記入願えますか?」
「もちろん」
黒髪の男性はさらさらと羽根ペンを走らせる。
彼の居住地は王都で、氏名はディアン・エーレ。
姿に見覚えがあるような気がした従業員たちにも、全く馴染みのない名前だった。
――実は、書き込んだ本人にとっても。
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