あれは媚薬のせいだから

乙女田スミレ

文字の大きさ
上 下
35 / 56

35 四年前の出会い 後

しおりを挟む


 すぐ近くに仕事場があるので休んでいくようにと半ば強引に連れて行かれる途中、赤茶色の髪の女性はデイラに言った。

「わたしはフィアーナ・オイアーです。お名前をお訊ねしても?」
「あ……、デイラ……リラーグです」

 森の家を出てから、デイラは母の旧姓を名乗るようにしている。

「デイラさん、向こう見ずなまねをしてしまった上に助けていただいたわたしが言うのも何ですけど、大事なお身体なんですからもう無茶はなさらないでね」
「は、はい……」

 思わず取ってしまった行動とはいえ、危ないことをしたとデイラも反省した。

「――それはさておき」

 フィアーナは表情を緩め、青い瞳を輝かせる。

「本当にみごとなお手並みでしたわね! 武術の心得がおありなの?」

 デイラはぎくりとした。「何の経験もありません」などと答えたら、かえって胡散臭いかも知れない。

「え……っと、少しだけ護身術を習ったことが……」
「ご謙遜は要らないわ」

 フィアーナは笑顔で首を横に振った。

「『少しだけ』では、あんなふうに動けないでしょう。わたしも腕の立つ身内から教わろうとしたことがあったんですけど、ちっとも身に付かなかったのよ。あなたはまるで手練れの騎士のようだったわ」

〝騎士〟という言葉に、デイラは内心慌てる。

「じ、実は途中で諦めたのですが、騎士見習いだったことがありまして」

 苦しい嘘だったが、フィアーナは合点がいったような顔をした。

「ああ、なるほど! さすがねえ、やっぱり騎士ってすごいのね」
「み……見習いですよ」
「それにしたって、一般の人とは全然動きが違ったわ。ああ、こういう人が来てくれたらなあ……」

 不思議な独り言を漏らしたフィアーナは、ふとどこか探るような眼差しをデイラに向ける。

「あのう、立ち入ったことを訊くようですけど、お住まいはこのあたりなのかしら?」
「いえ……。ブロールには仕事を探すために来たので、今はスール通りの宿に泊まっています」
「仕事探し……って、ご主人の?」
「あ……」

 親切そうなこの女性からも救護院行きを薦められそうな気がしたが、デイラは正直に答えた。

「夫はいないので、私の仕事を探しています」

 気の毒がられることを予想していたのに、なぜかフィアーナは声を弾ませる。

「まあっ、あなた求職中なの!?」
「は、はあ」
「どんなお仕事を探していらっしゃるの?」

 やけに熱心なフィアーナに、少し戸惑いながらデイラは答えた。

「出産を挟んで安定して勤め続けられるなら、何でもいいとは思っているのですが……」
「何でも!?」
「ええ。これといった職歴や紹介状もないので」
「た、例えば、さっきのような不届き者から人や物を守るお仕事なんかはどうかしら?」
「望むところですが、子供が生まれて落ち着くまではできないでしょうね」

 フィアーナは「それはそうよね」と笑顔で頷く。

「あなた、温泉はお好き?」
「は……はい」

 唐突に話が変わったなとデイラは思った。

「この街みたいな都会と、のんびりとした温泉保養地なら、どちらに住みたいかしら?」
「……田舎暮らしになじみがあるので、のどかなほうですかね」

 質問の意図がつかめないままデイラが言うと、フィアーナはますます嬉しそうになる。

「じゃあ、温泉保養地にある宿で、お子さんが生まれる前から食事と個室つきの寮に住んで、産後に体調が戻ったらそこの警備の仕事に就く……なんていうのはどうかしら?」

 夢のような好待遇だと思ったが、例え話なのか何なのか分からないデイラは慎重に返事した。

「もしそんな仕事があれば、やってみたいですね」
「あるのよ!」

 力強く叫んだフィアーナは、〝ダン・エド商会〟という看板が付けられた三角屋根の建物の前で立ち止まる。

「さあっ、こちらへどうぞ」

 デイラは一階の端の〝オイアー貿易〟という札が扉にぶら下がっている部屋に案内された。

「〝ダン・エド商会〟は夫とその兄が経営してるんだけど、こっちの貿易代理店の代表はわたしなの。〝ダン・エド商会〟よりも老舗なのよ。さっきの年輩の男性はわたしのお客さまで、商談を終えて外までお見送りしてたときにスリに遭われてしまったのよね」

 フィアーナはデイラに腰掛けるよう勧めると、「飲み物を持ってくるわ」と、さっと部屋を出ていく。
 書斎のような室内を椅子に座ったままデイラが見回していると、廊下から声がした。

「フィアーナ、いるのー? グラーナがあなたを恋しがってるみた――」

 扉が開き、乳児を抱いた白っぽい金髪の女性が姿を現した。

「あら……」

 彼女の足許には、まだよちよち歩きといった赤毛の男の子と、同じ色合いの赤毛の三歳くらいの男の子も手を繋いで立っている。

「お客さまがいらしたんですね。失礼しました」

 その後ろから、飲み物を載せた盆を持ったフィアーナがやってきた。

「ミリーア義姉ねえさま、やっと適任者が現れたのよ」
「適任者?」
「さっきね、わたし、お客さまの財布を掏った男を追っかけてったの」

 ミリーアと呼ばれた女性は呆れ顔になる。

「またあなた、勢いに任せて無謀なことを……」
「そう、無謀だったわ。路地の突き当たりまで追い詰めたら、その男が刃物を出してわたしを脅してきたの」
「えっ……」

 赤ちゃんを抱いた女性は顔をこわばらせ、話の内容が理解できたらしい三歳くらいの男の子も不安そうに眉を曇らせた。

「そこを偶然通りかかって助けてくれたのが、こちらのデイラ・リラーグさんよ」
「まあっ……」
「あの俊敏な動き、義姉さまにも見せたかったわ」
「フィアーナの命を救ってくださったのですね。なんとお礼を言っていいか」

 深く感謝を向けられ、デイラは恐縮する。

「いえ、男は逃げるために刃物をちらつかせただけなので、斬りかかったところを止めたわけではないんです」

 金髪の女性は目を丸くした後、感心したように呟いた。

「手柄を大げさに語りたがる人は多いのに、なんて謙虚な方なの……」

 義姉の言葉に、フィアーナは満足げに頷く。

「お話ししてみたら、武術の心得がある上に求職中とのことで。わたし、もうこの人しかいないって」

 金髪の女性もぴんときたようだった。

「フォルザの警備係ね?」

 女性は「良かったわー」と嬉しそうにデイラのほうに歩み寄る。

「しょっちゅう女性のお客さまから要望が出てるのに、何年も適任者が見つからなくてうちの人たちも困ってたんです。あっ、申し遅れましたが、わたくしはミリーア・マナカールと申します。〝ダン・エド商会〟のダンのほうの妻で、フィアーナとは義理の姉妹に――」

 デイラの腹部が視界に入ると、ミリーアはハッと息を呑んだ。

「まあっ……あなた……」
「――素敵でしょう?」

 机の上に飲み物を置いたフィアーナは、ミリーアの腕から赤ちゃんを受け取ってしっかりと抱きしめる。

「来年の旅荘フレイには、頼りがいのある女性警備係と、この子たちのお友達がいるのよ?」
「おともだち?」

 三歳くらいの男の子が目を輝かせて訊ねると、フィアーナはにっこり微笑んだ。

「そうよ、オーリー。フォルザに行ったらみんなで遊べるわよ」
「やったあ……!」

 飛び跳ねている子供を見下ろし、ミリーアも笑みを浮かべる。

「楽しみね」
「決まりね」

 こうして、〝ダン・エド商会〟が所有する温泉宿の女性警備係は、経営者の妻たちによって採用が決定したのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

年下騎士は生意気で

乙女田スミレ
恋愛
──ずっと、こうしたかった── 女騎士のアイリーネが半年の静養を経て隊に復帰すると、負けん気は人一倍だが子供っぽさの残る後輩だったフィンは精悍な若者へと変貌し、同等の立場である小隊長に昇進していた。 フィンはかつての上官であるアイリーネを「おまえ」呼ばわりし、二人は事あるごとにぶつかり合う。そんなある日、小隊長たちに密命が下され、アイリーネとフィンは一緒に旅することになり……。 ☆毎週火曜日か金曜日、もしくはその両日に更新予定です。(※PC交換作業のため、四月第二週はお休みします。第三週中には再開予定ですので、よろしくお願いいたします。(2020年4月6日)) ☆表紙は庭嶋アオイさん(お城めぐり大好き)ご提供です。 ☆エブリスタにも掲載を始めました。(2021年9月21日)

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

転生したら養子の弟と家庭教師に好かれすぎて、困っています。

ももね いちご
恋愛
普通のOL高坂真姫(こうさかまき)が、転生したのは 、フランス王国だった!? 養子の弟と家庭教師の好き好きアピールに悪戦苦闘の毎日。 しかも、その家庭教師は元〇〇で……!? 揺れ動く、マキの心情に注目しながらお楽しみください 「休刊日不定期であり」

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

不器用騎士様は記憶喪失の婚約者を逃がさない

かべうち右近
恋愛
「あなたみたいな人と、婚約したくなかった……!」 婚約者ヴィルヘルミーナにそう言われたルドガー。しかし、ツンツンなヴィルヘルミーナはそれからすぐに事故で記憶を失い、それまでとは打って変わって素直な可愛らしい令嬢に生まれ変わっていたーー。 もともとルドガーとヴィルヘルミーナは、顔を合わせればたびたび口喧嘩をする幼馴染同士だった。 ずっと好きな女などいないと思い込んでいたルドガーは、女性に人気で付き合いも広い。そんな彼は、悪友に指摘されて、ヴィルヘルミーナが好きなのだとやっと気付いた。 想いに気づいたとたんに、何の幸運か、親の意向によりとんとん拍子にヴィルヘルミーナとルドガーの婚約がまとまったものの、女たらしのルドガーに対してヴィルヘルミーナはツンツンだったのだ。 記憶を失ったヴィルヘルミーナには悪いが、今度こそ彼女を口説き落して円満結婚を目指し、ルドガーは彼女にアプローチを始める。しかし、元女誑しの不器用騎士は息を吸うようにステップをすっ飛ばしたアプローチばかりしてしまい…? 不器用騎士×元ツンデレ・今素直令嬢のラブコメです。 12/11追記 書籍版の配信に伴い、WEB連載版は取り下げております。 たくさんお読みいただきありがとうございました!

ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?

春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。 しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。 美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……? 2021.08.13

処理中です...