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33 四年前の出会い 前
しおりを挟む「へえ、歳は三十四なのね。もう少し若く見えたわ。出身は?」
「テュ……ディトウです」
少しつかえたデイラを、白粉を厚く塗り込めた五十がらみの女店主はじろりと見る。
「ふうん……」
商業都市ブロールの大通りから一本入った路地に建つ、小さな仕立て屋。
伸びかけの髪を頭巾で覆い、婦人用の衣服を身に着けたデイラは、店主と向かい合うようにして腰掛けていた。
「ディトウは葡萄酒がおいしいって聞くわねえ。それで、お針子は何年くらいやってるの?」
デイラは肩をすぼめ、小声で正直に答える。
「……初心者です」
「は?」
「あの、仕事としての経験はありませんが、繕い物は得意なほうです。特に、擦れたり斬られたり射かけられたりして破れたところの補修なら――」
大きなため息が、デイラを遮った。
「悪いけど」
もう何度も耳にしてきた言葉に、デイラはぐっと唇を結ぶ。
「うちが欲しいのは、流行のドレスが縫えるような即戦力なのよ」
やはりそうだろうなとデイラが視線を下げると、気の毒に思ったらしい女店主は少し口調を和らげた。
「職歴も紹介状もないとなると、安定した仕事を見つけるのはなかなか難しいかも知れないわねえ……。でも、街をうろついてる怪しげな手配師にはくれぐれも用心してね。どこに連れて行かれるか分からないから」
エルトウィンの中心街にも時々そのような不届き者が現れて、デイラも何度か取り締まったことがある。
王女の声掛かりで各地に公的な職業紹介所を設置する準備も進められているが、実施されるのはもう少し先になりそうだった。
「気をつけるようにします。お忙しいところありがとうござ――」
立ち上がったデイラを、女店主は少し遠慮がちに呼び止める。
「ねえ、差し出がましいことを言うようだけど」
彼女の視線は、目立ち始めていたデイラの腹部に注がれていた。
「その……訳ありなんでしょう? 救護院に行ったほうがいいんじゃないかしら。あそこならお産の面倒も見てくれるし、その後の自立の相談にも乗ってくれるはずよ」
親切な助言に、デイラは静かに微笑む。
「ありがとうございます。考えてみます」
仕立て屋を出ると、デイラは小さなため息をついた。
不採用になったのは、これで何十回目だろうか。
あの日、急いで鞄に必要なものだけを詰め込んで辻馬車に乗り込み、とにかく北部から離れようと南に向かったときには、ここまで職探しが難航するとは想像していなかった。
途中で悪阻が重くなり、小さな村の宿に隠れるようにしてしばらく逗留することになったが、その後、商業都市として名高いこのブロールにたどり着いたときには、都会なので働き口には困らないだろうと思っていた。
しかし、貿易港の警備や荷物運びなどの力仕事は妊婦には難しく、接客業は「もっと愛嬌のある人がいい」と断られ、他の職種も紹介状や経験がないとなると採用を渋られ、未だに仕事は見つかっていない。
「救護院か……」
失踪者を見つけようとするとき、各地の救護院に問い合わせることはよくある。キアルズが自分を捜しているかどうかは分からないが、念のため近づかないようにしてきた。
それに、宿代として日ごとに減っていっているとはいえ、退職のさいの慰労金を含め騎士時代の蓄えはまだ残っている。もっと困窮している人たちもいるのだから、やはり頼ることはできないとデイラは思った。
幸い吐き気はすっかり治まり、最近は食欲旺盛なくらいだ。
もう少し求人の貼り紙を探して回ろうと、デイラは路地を歩いていった。
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