あれは媚薬のせいだから

乙女田スミレ

文字の大きさ
上 下
30 / 56

30 恋人らしく

しおりを挟む


 ふたりが同じ寝台で眠った翌朝は雨が上がり、空全体が輝いているような快晴になった。

「デイラ、疲れてない?」

 村の朝市で買った食材を入れた麻袋を肩にかけたキアルズは、その日の天気のような晴れやかな笑顔をデイラに向けた。

「大丈夫です」
「じゃあ、他にも寄っていきたいところがあるんだけど」
「いいですよ」

 集落の中では珍しく石畳が敷かれた通りを、ふたりはのんびりと歩いていく。
 両側に小さな商店がぽつりぽつりと点在しているこの道が、村一番の大通りだ。

 デイラは、森の中にいるときと同じように麻のシャツと脚衣を身に着けていた。
 実家や祖父の邸があるテュアンでは決してできない格好だが、この村ではスカートを穿いたり短髪を頭巾で隠したりしなくても「変わり者の〝魔女さん〟の縁者だからそんなものだろう」と思われていて、好奇や非難の目が向けられることはない。

「――あそこの〝草原亭〟に行きたいんだ」

 キアルズの視線の先を見たデイラは、少し不思議そうな顔をした。
 軒先に蹄鉄ていてつのような形の看板をぶら下げた〝草原亭〟は、この集落で唯一の宿屋を兼ねた酒場だ。

 夕方までは食事を提供しているはずなので何か食べたいのだろうかとデイラが思っていると、キアルズは店に入るなり奥に向かって親しげに呼び掛けた。

「親父さん、あの子は元気にしてる?」

 デイラは驚いて隣に立つキアルズを見る。

「ああ、美男子の兄ちゃん――と、魔女さんとこの姉さん」

 食台を拭いていた中年の大柄な店主も、やけに気安そうに応えた。

「兄ちゃん、あんたのかわい子ちゃんなら食事中だぜ。予定より早めに迎えにきてやったのかい?」
「いや、最初に頼んだとおり明後日までよろしく頼むよ。――でも、彼女の顔を見ていってもいい?」
「もちろんだ。横の路地から裏に通り抜けられるから、会ってってくれ」

 キアルズと一緒に〝草原亭〟の裏手に回ったデイラは、はっと目を見開く。

「ここには……馬宿うまやどもあったんですね」
「うん。あの親父さん、若いころは厩舎で働いてたんだって」

 裏庭をぐるりと囲むように造られた屋根付きの馬繋ぎ場は、どこもかしこもすっきりと整頓されていた。

「シャーラ」

 キアルズは一頭の馬のほうへと近づいていく。
 食事を終えたばかりの芦毛の美しい馬は、嬉しそうに尻尾を上げてキアルズに鼻先を寄せた。

「きれいにしてもらってるね」

 銀色がかった首筋をキアルズが手のひらで撫でると、馬はうっとりと目を細める。

「エルトウィンからここまで……ご自分で馬を駆っていらしたんですか」

 領主が供もつけずに早駈けで越境してくるなんて、とデイラは呆然とした。

「無茶なことを……」
「あなたには及ばないだろうけど、乗馬は得意なほうだよ」
「でも……」
「できるだけ早くあなたに会いたかったんだ」

 キアルズは微笑みを浮かべて、愛馬に頬を寄せる。

「シャーラ、あのときは風のように速く走ってくれてありがとう」

 そのまま眺めていたらすべてを打ち明けてしまいそうで、デイラは静かに下を向いた。

   ◇  ◇  ◇

「じゃあ親父さん、もうしばらくあの子のことをよろしく」
「おう、任しときな!」

 店に戻って声を掛けると、店主は威勢よく返事した後、ニコニコと訊ねた。

「で、ふたりはいつ結婚するんだい?」

 ぎょっとしたデイラの隣で、キアルズが笑顔で答える。

「できるだけ早めにするつもりだよ」
「そりゃめでたい! 仲直りできて良かったなあ!」
「おかげさまで」

 ふたりの弾むようなやり取りを、デイラは困惑の面持ちで見た。

「姉さんは魔女さんの大事な大事な孫娘なんだから、おまえさんも大切にしてやってくれよ!」
「もちろん!」

 正確にはデイラは〝魔女さん〟の孫ではなく甥の子である姪孫てっそんなのだが、彼女が引っかかったのは当然そこではない。

「――どういうことですか?」

〝草原亭〟を出た後、デイラは訝しげに問い掛けた。

「ああ、あなたのところにたどり着くまでに、村の人たちに道を訊ねたって言ったよね? 素性の知れないよそ者は警戒されると思ったから、はっきりあなたの恋人だと名乗ったんだ」
「えっ……」

 少し照れくさそうにキアルズは肩をすくめる。

「僕の尋常じゃない慌てぶりを見て、皆さん勝手に『喧嘩でもして逃げられたところを追いかけてきたんだな』って思ったみたいで……」

 朝市で顔を合わせた村人たちが、何やら意味ありげに温かく微笑んでくれたことを思い出し、デイラは頬を薄赤く染めた。

「信じられない……」
「まあ、そう言わずに。ねえ、村の人たちはせっかくそう思ってくれてることだし、ここでは恋人らしくふるまおうよ」
「は……?」

 なにが〝せっかく〟なのかとデイラが眉根を寄せても、キアルズはどこ吹く風で自分の提案を通そうとする。

「まずはお芝居してるようなつもりでもいいから。ほら、エルトウィン奪還記念日に姉弟のふりをして出掛けたとき面白かったでしょう? あんな感じでさ」
「キアルズさま、おかしなことばかりおっしゃっていないで――」
「愛しいデイラ、ちゃんと呼び捨てにして。敬語も禁止だよ」

 キアルズは素早くデイラの肩を抱き寄せ、頬に軽く口づけた。

「っ……!?」

 耳許で楽しそうな声が響く。

「ぼくと結婚したら、こうして毎日愛情たっぷりに過ごせるんだよ。いいと思わない?」
「ひ……人目のあるところで、こんな……」

 村一番の大通りとはいえ人影はまばらだが、デイラは小さい声で抗議した。

「人目のないところなら、もっとしていい?」

 囁かれて、デイラの頬はさらに赤くなる。

「も、もういい加減にしてください」

 キアルズは優しく微笑み、素直に身体を離した。

「森に帰る前に少し休もうか。デイラはあそこに腰掛けて」

 道の脇に据えられたひさしつきの木製の長椅子をキアルズは指差す。

「市場のそばにある小さなパン屋さんの軒下に、おいしそうな焼き菓子が並んでたよね? ふたつ買ってくるからちょっと待っててね」
「あ……」

 離れがたいような気持ちが急に湧いてきて、デイラは思わず心細そうな声を漏らしてしまった。
 足を踏み出しかけていたキアルズはぴたりと立ち止まり、何やら嬉しそうな笑みを浮かべてデイラのほうを振り返る。

「すぐに戻ってくるから、寂しくないよ」

 なだめるような口調で言われ、これではどちらが年上なのか分からないと気恥ずかしさに身を縮めながら、デイラはキアルズの背中を見送った。

――ぼくと結婚したら、こうして毎日愛情たっぷりに過ごせるんだよ――

 デイラは椅子に座り、複雑そうに自分の腹部のあたりをそっと見下ろす。
 すると、怒りを含んだような女性の声が聴こえてきた。

「どういうことなのかしら……?」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

年下騎士は生意気で

乙女田スミレ
恋愛
──ずっと、こうしたかった── 女騎士のアイリーネが半年の静養を経て隊に復帰すると、負けん気は人一倍だが子供っぽさの残る後輩だったフィンは精悍な若者へと変貌し、同等の立場である小隊長に昇進していた。 フィンはかつての上官であるアイリーネを「おまえ」呼ばわりし、二人は事あるごとにぶつかり合う。そんなある日、小隊長たちに密命が下され、アイリーネとフィンは一緒に旅することになり……。 ☆毎週火曜日か金曜日、もしくはその両日に更新予定です。(※PC交換作業のため、四月第二週はお休みします。第三週中には再開予定ですので、よろしくお願いいたします。(2020年4月6日)) ☆表紙は庭嶋アオイさん(お城めぐり大好き)ご提供です。 ☆エブリスタにも掲載を始めました。(2021年9月21日)

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

不器用騎士様は記憶喪失の婚約者を逃がさない

かべうち右近
恋愛
「あなたみたいな人と、婚約したくなかった……!」 婚約者ヴィルヘルミーナにそう言われたルドガー。しかし、ツンツンなヴィルヘルミーナはそれからすぐに事故で記憶を失い、それまでとは打って変わって素直な可愛らしい令嬢に生まれ変わっていたーー。 もともとルドガーとヴィルヘルミーナは、顔を合わせればたびたび口喧嘩をする幼馴染同士だった。 ずっと好きな女などいないと思い込んでいたルドガーは、女性に人気で付き合いも広い。そんな彼は、悪友に指摘されて、ヴィルヘルミーナが好きなのだとやっと気付いた。 想いに気づいたとたんに、何の幸運か、親の意向によりとんとん拍子にヴィルヘルミーナとルドガーの婚約がまとまったものの、女たらしのルドガーに対してヴィルヘルミーナはツンツンだったのだ。 記憶を失ったヴィルヘルミーナには悪いが、今度こそ彼女を口説き落して円満結婚を目指し、ルドガーは彼女にアプローチを始める。しかし、元女誑しの不器用騎士は息を吸うようにステップをすっ飛ばしたアプローチばかりしてしまい…? 不器用騎士×元ツンデレ・今素直令嬢のラブコメです。 12/11追記 書籍版の配信に伴い、WEB連載版は取り下げております。 たくさんお読みいただきありがとうございました!

ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?

春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。 しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。 美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……? 2021.08.13

もう2度と関わりたくなかった

鳴宮鶉子
恋愛
もう2度と関わりたくなかった

処理中です...