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30 恋人らしく
しおりを挟むふたりが同じ寝台で眠った翌朝は雨が上がり、空全体が輝いているような快晴になった。
「デイラ、疲れてない?」
村の朝市で買った食材を入れた麻袋を肩にかけたキアルズは、その日の天気のような晴れやかな笑顔をデイラに向けた。
「大丈夫です」
「じゃあ、他にも寄っていきたいところがあるんだけど」
「いいですよ」
集落の中では珍しく石畳が敷かれた通りを、ふたりはのんびりと歩いていく。
両側に小さな商店がぽつりぽつりと点在しているこの道が、村一番の大通りだ。
デイラは、森の中にいるときと同じように麻のシャツと脚衣を身に着けていた。
実家や祖父の邸があるテュアンでは決してできない格好だが、この村ではスカートを穿いたり短髪を頭巾で隠したりしなくても「変わり者の〝魔女さん〟の縁者だからそんなものだろう」と思われていて、好奇や非難の目が向けられることはない。
「――あそこの〝草原亭〟に行きたいんだ」
キアルズの視線の先を見たデイラは、少し不思議そうな顔をした。
軒先に蹄鉄のような形の看板をぶら下げた〝草原亭〟は、この集落で唯一の宿屋を兼ねた酒場だ。
夕方までは食事を提供しているはずなので何か食べたいのだろうかとデイラが思っていると、キアルズは店に入るなり奥に向かって親しげに呼び掛けた。
「親父さん、あの子は元気にしてる?」
デイラは驚いて隣に立つキアルズを見る。
「ああ、美男子の兄ちゃん――と、魔女さんとこの姉さん」
食台を拭いていた中年の大柄な店主も、やけに気安そうに応えた。
「兄ちゃん、あんたのかわい子ちゃんなら食事中だぜ。予定より早めに迎えにきてやったのかい?」
「いや、最初に頼んだとおり明後日までよろしく頼むよ。――でも、彼女の顔を見ていってもいい?」
「もちろんだ。横の路地から裏に通り抜けられるから、会ってってくれ」
キアルズと一緒に〝草原亭〟の裏手に回ったデイラは、はっと目を見開く。
「ここには……馬宿もあったんですね」
「うん。あの親父さん、若いころは厩舎で働いてたんだって」
裏庭をぐるりと囲むように造られた屋根付きの馬繋ぎ場は、どこもかしこもすっきりと整頓されていた。
「シャーラ」
キアルズは一頭の馬のほうへと近づいていく。
食事を終えたばかりの芦毛の美しい馬は、嬉しそうに尻尾を上げてキアルズに鼻先を寄せた。
「きれいにしてもらってるね」
銀色がかった首筋をキアルズが手のひらで撫でると、馬はうっとりと目を細める。
「エルトウィンからここまで……ご自分で馬を駆っていらしたんですか」
領主が供もつけずに早駈けで越境してくるなんて、とデイラは呆然とした。
「無茶なことを……」
「あなたには及ばないだろうけど、乗馬は得意なほうだよ」
「でも……」
「できるだけ早くあなたに会いたかったんだ」
キアルズは微笑みを浮かべて、愛馬に頬を寄せる。
「シャーラ、あのときは風のように速く走ってくれてありがとう」
そのまま眺めていたらすべてを打ち明けてしまいそうで、デイラは静かに下を向いた。
◇ ◇ ◇
「じゃあ親父さん、もうしばらくあの子のことをよろしく」
「おう、任しときな!」
店に戻って声を掛けると、店主は威勢よく返事した後、ニコニコと訊ねた。
「で、ふたりはいつ結婚するんだい?」
ぎょっとしたデイラの隣で、キアルズが笑顔で答える。
「できるだけ早めにするつもりだよ」
「そりゃめでたい! 仲直りできて良かったなあ!」
「おかげさまで」
ふたりの弾むようなやり取りを、デイラは困惑の面持ちで見た。
「姉さんは魔女さんの大事な大事な孫娘なんだから、おまえさんも大切にしてやってくれよ!」
「もちろん!」
正確にはデイラは〝魔女さん〟の孫ではなく甥の子である姪孫なのだが、彼女が引っかかったのは当然そこではない。
「――どういうことですか?」
〝草原亭〟を出た後、デイラは訝しげに問い掛けた。
「ああ、あなたのところにたどり着くまでに、村の人たちに道を訊ねたって言ったよね? 素性の知れないよそ者は警戒されると思ったから、はっきりあなたの恋人だと名乗ったんだ」
「えっ……」
少し照れくさそうにキアルズは肩をすくめる。
「僕の尋常じゃない慌てぶりを見て、皆さん勝手に『喧嘩でもして逃げられたところを追いかけてきたんだな』って思ったみたいで……」
朝市で顔を合わせた村人たちが、何やら意味ありげに温かく微笑んでくれたことを思い出し、デイラは頬を薄赤く染めた。
「信じられない……」
「まあ、そう言わずに。ねえ、村の人たちはせっかくそう思ってくれてることだし、ここでは恋人らしくふるまおうよ」
「は……?」
なにが〝せっかく〟なのかとデイラが眉根を寄せても、キアルズはどこ吹く風で自分の提案を通そうとする。
「まずはお芝居してるようなつもりでもいいから。ほら、エルトウィン奪還記念日に姉弟のふりをして出掛けたとき面白かったでしょう? あんな感じでさ」
「キアルズさま、おかしなことばかりおっしゃっていないで――」
「愛しいデイラ、ちゃんと呼び捨てにして。敬語も禁止だよ」
キアルズは素早くデイラの肩を抱き寄せ、頬に軽く口づけた。
「っ……!?」
耳許で楽しそうな声が響く。
「ぼくと結婚したら、こうして毎日愛情たっぷりに過ごせるんだよ。いいと思わない?」
「ひ……人目のあるところで、こんな……」
村一番の大通りとはいえ人影はまばらだが、デイラは小さい声で抗議した。
「人目のないところなら、もっとしていい?」
囁かれて、デイラの頬はさらに赤くなる。
「も、もういい加減にしてください」
キアルズは優しく微笑み、素直に身体を離した。
「森に帰る前に少し休もうか。デイラはあそこに腰掛けて」
道の脇に据えられた庇つきの木製の長椅子をキアルズは指差す。
「市場のそばにある小さなパン屋さんの軒下に、おいしそうな焼き菓子が並んでたよね? ふたつ買ってくるからちょっと待っててね」
「あ……」
離れがたいような気持ちが急に湧いてきて、デイラは思わず心細そうな声を漏らしてしまった。
足を踏み出しかけていたキアルズはぴたりと立ち止まり、何やら嬉しそうな笑みを浮かべてデイラのほうを振り返る。
「すぐに戻ってくるから、寂しくないよ」
なだめるような口調で言われ、これではどちらが年上なのか分からないと気恥ずかしさに身を縮めながら、デイラはキアルズの背中を見送った。
――ぼくと結婚したら、こうして毎日愛情たっぷりに過ごせるんだよ――
デイラは椅子に座り、複雑そうに自分の腹部のあたりをそっと見下ろす。
すると、怒りを含んだような女性の声が聴こえてきた。
「どういうことなのかしら……?」
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