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27 揺れる
しおりを挟むこの国の男性の多くは、上半身には何もまとわずに就寝する。
男だらけの環境で長く暮らしてきたデイラはそのことをよく知っていたはずなのに、キアルズの姿に一瞬うろたえてしまった自分が恥ずかしかった。
「デイラ、ありがとう。ごめんね」
大きな枕に頭を乗せ、ほっとしたようにキアルズが言う。
「――お気になさらず」
その隣に横たわるデイラは、天井のほうを向いたまま淡々と返事をした。
「主寝室の寝台は広いですから」
耳を澄ますと、家の外壁を雨がぱらぱらと叩いている音が聴こえる。
キアルズが寝泊まりしている客室の窓が開いたままになっていて、急に降り出した雨が吹き込んで寝台をびしょ濡れにしてしまった。
長椅子もないこの小さな家では、他に横になれる場所といえばデイラが使っているこの寝台くらいしかない。――というわけで、キアルズもここで寝ることになった。
雑魚寝の経験は修行時代から数えきれないほどある。こんな大きな寝台で一緒に眠るくらい何でもないと、デイラは自分に言い聞かせた。
「私こそ、お風呂や台所の後片づけをキアルズさまにお任せして先に休ませていただいていたのに、雨に気づいても客室の窓のことまでは考えが及ばず、申し訳ありませんでした」
「そんなことはいいんだよ。ゆっくりしてて欲しかったんだから」
キアルズはにっこり笑う。
「お風呂といえば、あの入浴剤って本当にいい香りがするね」
鍋で沸かした湯を大きな木桶に何度も運ぶ作業は骨が折れるが、キアルズは嫌な顔ひとつせずに浴槽をしつらえてくれた。
「何種類かあったけど、みんな大叔母さんのお手製なんだよね? お湯が滑らかになって肌もしっとりして、効能も素晴らしいね」
デイラは表情を和ませた。
「こちらに泊めてもらったときの楽しみのひとつでした。保存状態が良かったのか、二年も前に作られたとは思えませんでしたね」
「母が王都に行ったときに手に入れてくるものよりも上質だと思うよ。もし母があのお湯に浸かったら、きっと作り方を知りたがるだろうな。ああいうものはエルトウィンではなかなか手に入らないから、自作しようとして邸の者たちとしょっちゅう試行錯誤してるんだ」
それを聞いたデイラは、「そういえば……」と呟く。
「書き物机の引出しに、大叔母が手がけたものの材料と作り方を書き記した帳面が入っているので、よろしければ夫人に差し上げますよ」
「えっ」
キアルズは目を丸くした。
「で、でも、大事な形見でしょう?」
「形あるものもないものも大叔母からは既にたくさんもらいましたし、薬師の才能がまるでない私があれを手許に置いておくのは、宝の持ち腐れになるかと」
「けど……」
ためらうキアルズを、デイラは後押しする。
「お母上は薬草の知識も豊富ですし、匂い袋や香り玉もとても器用に作られますから、きっと活用してくださると思います」
しばらく考えた後、キアルズは「――じゃあ」と言った。
「遠慮なく譲り受けさせてもらうよ。ありがとう」
キアルズは何かを思い出して微笑む。
「ここにたどり着くまでに森の外の集落で何人かの人に道を訊ねたんだけど、皆さんが生前の〝魔女さん〟を慕っていたのがよく伝わってきたよ」
「孤独を好んで人と親しく付き合わず、親族たちからは変わり者扱いをされていた大叔母でしたが、村の人たちとは良好な関係を築いていたようですね」
「あなたともね」
「ええ」
デイラもまた、親戚や家族からすると〝変わり者〟だった。
男爵の外孫で、地方官吏の幹部候補の父のもとに生まれ、良家の娘として安穏と暮らすこともできたのに、恵まれた身体能力を活かして人を護りたいという志を幼いころから持ち、周囲の反対を押し切って騎士見習いになった。
「親戚や家族の中でただひとり、私が選んだ道を応援してくれたのが大叔母だったんです」
実家に帰省するたびに騎士を諦めるよう言われ、逃れるようにしてデイラはよくここに来た。
『皆がうるさいって? そりゃ、あんたのことが心配で心配でたまらないから苦言も出るのさ。あたしだって、できればあんたには危険な場所に行って欲しくないんだよ』
大叔母はそう言いながら、デイラが発つときには良く効く傷薬や内服薬をたくさん持たせてくれた。
「自分ができることを見つけて人々に尽くして生きた大叔母は、私の憧れでした」
村人が薬を求めて訪ねてきたら、どんな深夜でもしっかりと対応していた大叔母をデイラは思い出す。
「尊敬してたんだね」
「そうですね、とても」
懐かしさに目を細めていたデイラは、ふと、キアルズが何やらやたらと嬉しそうに頬を緩めて自分を見ていることに気がついた。
「な……何ですか?」
「ずっと、こんなふうにあなたと話がしたかったんだ」
「え……」
「思い出話や大切な人のこと、感じたことや考えたこと、とにかくなんでもいいから、もっとあなたの口からあなたのことを聞きたいな」
「わ……私のことなんて……」
デイラは頬が熱くなるのを感じる。
「特に大切な人の話をしているときのあなたはすごく魅力的で、いつまでも眺めていたくなるよ。陽の光を浴びた氷河みたいに瞳がきらきらして、唇の両端が上がってかわいらしくて……」
「か、からかわないでください」
社交の場に同伴しているわけでもないのに褒め言葉なんて必要ないと、デイラは赤い顔をして話を打ち切った。
「も、もう寝ましょう」
ろうそくの火が消され、室内は暗闇と静寂に包まれる。
かすかに響く雨音が鈴蘭邸での一夜を思い出させ、デイラはなかなか落ち着いた気分になれなかった。
「――デイラ」
突然呼び掛けられ、デイラはびくっとする。
「は、はい?」
「明日、雨がやんでて体調が良かったら、一緒に村に行かない?」
「村に……?」
「うん。もう食材がなくなりそうだし」
確かに、ここに来たときに持ってきたものはそろそろ底をつくころだ。
「分かりました」
「楽しみだね。じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさ――」
不意に柔らかいものがデイラの唇に触れ、さっと離れていく。
「っ……!?」
暗闇の中、少しはにかんだようなキアルズの声がした。
「今夜はここまでにするから、安心して」
寝返りを打ってデイラに背中を向けたキアルズは、しばらくすると静かな寝息を立て始めた。
デイラは指先でそっと自分の唇に触れ、ぎゅっと目を閉じる。
――もう決めたことなのに。
これ以上揺らされたら、熟した果実のように心がぽとりとキアルズの手に落ちてしまいそうで、デイラは怖かった。
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