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24 あれは媚薬のせいだから

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「――デイラ、聞いてる?」

 寝台のそばに腰掛けているキアルズから呼び掛けられて、デイラはハッとした。

「あ……」

 今いる場所はエルトウィンの鈴蘭邸ではなく、大叔母が遺してくれた森の奥の一軒家だということを思い出す。

――ぼくたちはもう、ただの護衛と警護対象じゃないんだよ?――

 キアルズのその一言で、あの一夜の出来事が押し寄せるようによみがえってしまった。

「分かってるよね? あなたとぼくは――」
「そ……そうですね」

 デイラはぎこちなく視線を逸らす。

「私が騎士団を退いたのと同時に、護衛の任も解かれたのだと理解しています」
「そういうことを言ってるんじゃなくて」

 キアルズは少し焦れったそうに言った。

「ぼくたちは、結婚するんでしょう?」

 デイラが顔をこわばらせたのを見て、キアルズはため息をつく。

「全然嬉しそうじゃないけど……忘れたわけじゃなさそうで良かった」

――夫婦になって、ずっと一緒にいよう――

 夢うつつだったはずなのに、熱っぽく囁かれたその言葉はしっかりとデイラの記憶に残っていた。自分が繰り返し頷いてしまったことも。

「出会って十八年、三度目の求婚でやっと承諾をもらえて、あの夜ぼくは天にも昇るような気持ちで眠りについたんだ。――目を覚ましたときに、あなたはいなかったけど」

 朝の白い光が射し込む中、裸のまま無防備に眠っていたキアルズの姿がデイラの脳裏に浮かぶ。
 たしかに彼はとても幸せそうで、滑らかな素肌も、さらさらとした淡褐色の髪も、まつ毛の先さえも、生まれたての日差しを浴びてきらきらと輝いていた。

「お互いに務めがあるんだから仕方ないと自分に言い聞かせて、後ろ髪を引かれる思いでぼくはチェドラスに向かったんだ。帰って来たらまたすぐにあなたに会えると信じてね」

 あの朝、短い眠りから目覚めたデイラは、ひと晩中手放していた理性をすっかり取り戻していた。

 貴族でもなく、ずいぶん年上で、〝鋼鉄の氷柱つらら〟などとあだ名されている女騎士が、若き辺境伯の妻になるなんて冗談みたいな話だ。
 冗談なら笑い飛ばしたいのになぜか胸の中はほろ苦く、デイラは身支度を整えると静かに鈴蘭邸を出たのだった。

「まさか、逃げるみたいにエルトウィンからいなくなるなんて……」

 キアルズは切なそうな眼差しをデイラに向ける。

「――ぼくとああなったこと、後悔してる?」

 デイラはきゅっと唇を結んだ。

 媚薬の効果が切れて冷静になってからも、打ち消せなかったことがある。
 たがが外れたときに気づかされてしまった、キアルズを愛しく想う気持ちだ。

 しかし、決してそれをおもてに出してはいけない。デイラは精一杯落ち着いた態度を取ってみせた。

「後悔はしていませんよ」

 いかにも年嵩の者らしく、鷹揚に微笑んでみせる。

「急を要するあまり、立場を大きく踏み越えた行動に至ってしまったことは非常に申し訳ありませんでしたが、苦しんでおられたキアルズさまをお助けするためには必要な応急処置だったと思っています」

「応急処置……?」
 キアルズは訝るように復唱した。

「はい。あの夜に起きたことは、すべて媚薬のせいですから」

 まるで道理を説くかのようにデイラは言う。

「領主と女騎士が閨を共にしてしまったのも、キアルズさまがおっしゃったことも、私がその言葉に頷いてしまったのも。――お互いに正気ではなかったんです」

 キアルズは眉をひそめ、口許に皮肉めいた笑みを浮かべた。

「――人助けのためなら純潔まで捧げてしまうなんて、騎士の献身的精神とは見上げたものだね」

 デイラの頬にうっすらと朱が走る。デイラが何もかも初めてだったことにキアルズは気づいていたようだ。

「そ……そもそも騎士は命をかけて国民を護るのですから、私の純潔くらい……」
「『純潔くらい』!?」

 非難のこもった口調でキアルズは繰り返す。

「警護対象者がぼく以外の誰かだったとしても、あなたはああいうことができたっていうの?」

 デイラは言葉に詰まり、下を向いた。
 もし、警護対象者がキアルズ以外だったら――?

「ひ……必要とあらば」

 平然と答えなくてはと思うのに、弱々しい口調になってしまう。
 本当のところは、他の誰かとあんなふうに熱を分かち合うことなど、デイラには想像すらできなかった。

「へえ……つくづく感心な心構えだね……!」

 嫌味っぽく言い放ったキアルズは、昂った感情を抑えようとしているのか深く息を吐いた。

「――お茶はどう?」

 切り替えるように、キアルズは声の調子をやや和らげる。

「少し冷めて、飲みやすくなってると思うよ」
「……ありがとうございます」

 デイラが素朴な陶製の杯を手に取ると、こうばしい香りがふわっと漂った。
 大叔母が好んで飲んでいたお茶だとデイラは思い出す。

「おいしい……」

 それは本当に上手く淹れられていて、デイラの渇いた喉を心地よく潤してくれた。

「良かった。おかわりもあるからね」

 キアルズは表情を緩め、室内をゆっくりと見回す。

「こちらのお宅は……あなたがご親戚から譲り受けたものだと聞いたけど」

 状況や口ぶりからして、エルトウィンに戻ったキアルズはデイラが騎士団を去ったことを知るや否や、テュアンの実家を訪れてデイラの居場所を訊いたようだ。
 若き辺境伯の突然の訪問に両親や兄夫婦が何を思ったのか、デイラはあまり考えたくなかった。

「……はい。ここには、二年前に亡くなった薬師の大叔母が長く暮らしていたんです」
「薬師……。それで、たくさんの薬草や薬瓶が棚に並んでたんだね。それぞれの瓶には、丁寧な説明書きも付けられてたし」

 キアルズはどこか探るような目をしてデイラを見る。

「――この蒲公英茶たんぽぽちゃは、妊婦さんにも適してるって書いてあったんだ」
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