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19 ふたりの行方は

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 デイラが呆然としている間に、ふたりは建物の横の細い通路に入っていった。

 はっと我に返ったデイラは、慌てて通路に駆け寄る。すでに通り抜けてしまったのか、キアルズたちの姿はなかった。

 雨を含んで少し重くなった薔薇色そうびいろのドレスの裾を持ち上げ、デイラは塀と壁に挟まれた狭い路地を進んでいく。

「あっ……」

 領民会館の裏手に出ると、ツタが生い茂った石造りの塀が目に映った。
 塀の上からは、城のような形をした邸宅の上部がのぞいている。

 そこがプロウ侯爵家の別荘だということを、デイラは改めて思い出した。

「まさか……」

 キアルズたちはこの邸に入っていったのだろうかと考えたとたん、デイラは胸の奥がぎゅっと締めつけられるような不思議な感覚を覚えた。

 不意に、フェイニアの言葉がよみがえる。
『少々キアルズさまの姿が見当たらなくなっても、どうか慌てて捜したりなさらないでね』

 それから、キアルズが言ったことも。
『少しくらい親密な雰囲気になってたとしても、邪魔しないでね』

 今夜、ふたりは大きく距離を縮めようとしているのかも知れない。

 しとしとと雨が降り続く中、デイラはその場に立ち尽くす。
 迅速かつ冷静な判断に定評のある〝鋼鉄の氷柱つらら〟は、どうすべきなのか分からなくなった。

 護衛は基本的に警護対象者から目を離してはいけない。

「でも……安全が確保されているなら……」

 護衛がしゃしゃり出る場面ではないようにも思う。

 高位貴族の男女の間には、双方とも未婚の場合、いわゆる〝割り切った遊びの関係〟というものはない。もし夜のとばりが下りてから密室でふたりきりで過ごしたことが明らかになれば、それは婚約と同義だ。

 若き領主が身を固める決心をしたのなら、長いあいだ姉のように見守ってきたデイラにとっても喜ばしいことのはずだ。しかし――。

『もしぼくが誰かを妻に迎えても、あなたは変わらず夜会の護衛をしてくれるの?』

 キアルズの問い掛けを思い出すと、なぜか心がざわつく。

 日が落ちて雨にけぶる建物の輪郭を、デイラは静かに仰いだ。銀灰色の髪に一輪だけ飾られていた白い花は、濡れてすっかりしおれてしまっている。

 ゆっくり顔を下げたデイラは、塀を這うツタに隠れるようにして小さな扉があることに気がついた。

 ふたりはここから入っていったのだろうか。鉄製の取っ手を軽く引いてみると、扉は簡単に開いた。
 躊躇した末に、デイラは少し屈んで静まり返った庭を覗く。
 ところどころに、雨避けの屋根が付いたかがり火が据えられているのが見えた。

 植栽に囲まれるようにして敷かれた石畳の道は、大きな本館の手前に建てられた瀟洒な別館へと続いている。
 プロウ侯爵がエルトウィンを訪れたさいに催す夜会には、キアルズに付き添ってデイラも何度か出席したことがあるが、大広間のある古い本館は侯爵夫妻の滞在中にだけ使われているようで、普段フェイニアが生活しているのはこちらの新しい建物のほうらしい。

 別館の二階の窓には、柔らかな明かりが灯っている。
 ふたりはあそこにいるのだろうかとデイラが考えていると、塀のすぐ近くの植え込みがガサッと音を立てて揺れた。

 イタチでもいるのかとデイラは少し身構える。すると、かすかに人の呻き声のようなものが聴こえてきた。

 デイラはあたりを見回し、そっと庭に足を踏み入れる。植え込みに近づいて用心深く裏側を覗き込むと、誰かが身体を丸めて芝生の上に横たわっていた。

「――キアルズさま!?」

 デイラは思わず声を上げる。
 かがり火の明かりはほとんど届いてきていなかったが、深い藍色の衣装に施された銀糸の刺繍が白く浮き上がって見えたため、すぐに分かった。

「ああ……デイラ」

 どこか安堵したような返事が聴こえ、意識を失ってはいないのだとデイラも少しほっとする。

「どうしてこんなところで――」
「大きい声は……出さないで」

 苦しそうに頼まれ、デイラは言葉を呑み込んだ。

 薄暗がりの中でキアルズはデイラに顔を向け、かすかに微笑む。

「来てくれると、思ってた……」

   ◇  ◇  ◇

「――どうぞ、もっと寄り掛かってください」

 できるだけ早く侯爵邸の敷地から出たいというキアルズの希望を汲んで、デイラは彼の腕を自分の肩に掛けて身体を支えながら来た道を戻っていた。
 雨に打たれていたキアルズの身体は冷えてはおらず、少し熱く感じる。

 息を乱しながら、キアルズは言った。
「デイラ、このまま馬車寄せに……」

「領民会館の中には医務室があるはずですから、そちらで様子を見られては?」
「いや……こんな状態で戻って皆に心配かけたくないから…… 言伝ことづてだけ残して帰りたい」
「本当に休まなくて大丈夫ですか?」

 馬車寄せまでたどり着くと、舞踏会は後半が始まったばかりということもあって、他の出席者らしき人影はなかった。

「…… 辺境伯邸うちは遠いから……鈴蘭邸へ向かおう……」

 キアルズは、母親がときどき親しい友人たちとのんびり過ごす小ぢんまりとした別邸の名を口にした。確かに、その邸ならここからかなり近い。

「しかし、鈴蘭邸は」

 召使いが常駐していないはずだとデイラが言おうとすると、キアルズは大丈夫だと薄く微笑んだ。

「門のすぐそばには管理人の家があるから、鍵を開けたり部屋を整えたりはしてもらえるよ……」

 行き先を御者に告げたデイラは先にキアルズを馬車に乗せ、主催者に帰宅する旨を伝えてもらうよう配車係に頼み、自身も素早く座席に滑り込んだ。

 小雨が降る中、馬車は別邸へと出発する。

「――お熱があるようですね。急な風邪か何かでしょうか」

 デイラは隣り合わせに腰掛け、御者から借りた大きな布でキアルズの頭や肩を拭いた。

「それにしても、いったいどうしてあんなところに倒れて……」

 キアルズは座席の背もたれに身体を預け、気だるそうに打ち明ける。

「――最初は、なんだかふわふわと足元がおぼつかなくなってきて……フェイニア嬢に『雨宿りにどうぞ』って誘われるままに邸の玄関に入れてもらったんだ……。そしたらいきなり『一緒にお風呂で温まりましょう』って囁かれて……」

 侯爵令嬢の想像を越えた大胆さに、デイラは目を丸くした。

「……当たり障りなく断れるような余裕もなくて……振り払って外に出たんだけど……。だんだん身体が熱くなってきて、足がもつれて……とりあえず人目につかないようなところに身を隠したんだ……」

 症状を聞いたデイラは、ますます心配になってくる。
 すぐに医者に診てもらうことを勧めようとすると、キアルズは切なそうに息を吐いて告げた。

「どうやら…… られたらしい」
「え?」
「……媚薬を」
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