あれは媚薬のせいだから

乙女田スミレ

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16 最初のダンスのお相手は

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「こんばんは、皆さん」
「まあ、キアルズさま、今宵も眩いほどに凛々しいお姿で」

 デイラが予想した通り、舞踏会の会場でキアルズを待ち構えていた女性たちの中心には黄色い髪の侯爵令嬢がいた。

「明日からしばらくご出張でしたわね。寂しくなりますわ」

 フェイニアがそう言うと、他の令嬢たちも口々に嘆き始める。

「一ヶ月近くもお留守だなんて長すぎますー」
「キアルズさまがいらっしゃらない夜会なんて、お花のない花園のようですわ」
「何を原動力にして過ごせばいいのかしら」
「おしゃれする気力も湧かなくなりそう……」

 キアルズは優しい笑みを浮かべて皆を見回した。

「しばらく会えないぶん、今夜は大いに楽しみましょう」

 微笑みにつられたように令嬢たちは笑顔になり、「ええ、そうですわね」「うんと愉快に過ごしましょうね」と応える。

「――でしたら」

 ひときわよく通る声と共に、フェイニアが前に歩み出た。

「今夜の皮切りのダンスのお相手は、わたくしたちのうちの誰かが務めさせていただきたいですわ」

 はっとしたデイラの隣で、キアルズが穏やかに告げる。

「申し訳ないけど、最初のダンスはもうデイラにお願いしてるんだ」

 やんわりとだがはっきりと断られ、フェイニアの頬はカッと赤く染まった。

「で、でも……」

 食い下がるべきか迷っているのか、フェイニアは少し口ごもる。これ以上粘っても色よい返事がもらえなければ、侯爵令嬢としての自尊心に大きな傷がついてしまうだろう。

「二曲目以降は、ぜひ皆さんと踊らせていただきたいな」

 取りなすようなキアルズの言葉に何となく場が収まった雰囲気になったとき、諦めきれないフェイニアは口角をきゅっと上げて再度願い出た。

「今年はもうクラーチさまとは何度も一曲目を踊られましたでしょう? たまには別の誰かとご一緒されてもよろしいのでは?」

 明るい調子でせがんでいるが、フェイニアの目の奥は笑っていない。再びキアルズが断ったらどうなるのかと、デイラは気を揉んだ。

「しかし、フェイニア嬢――」

 そう言いかけたキアルズを、デイラはできるだけ自然な感じで遮った。

「すみません、キアルズさま」

 皆の視線がデイラに集まる。

「あの……実は私、昼間の訓練で足首を傷めておりまして」
「えっ」

 嘘をつくのは苦手だが、先輩騎士の『敵を欺くときは、自分もその嘘を全力で信じ込め』という教えを胸に、デイラは精一杯まことしやかに告げた。

「大勢の前で踊るのは少し荷が重いと思っていたところだったんです。どうか今夜のダンスは遠慮させてください」

   ◇  ◇  ◇

 二曲目の音楽が始まり、多くの出席者たちが大広間の中ほどに出てダンスを楽しみ始めた。

「――分かってくださったようで良かったわ」

 壁際に立っていたデイラのほうに、少し息を弾ませたフェイニアが機嫌良さそうに近づいてくる。

 直接キアルズから指名されたわけではないが、他の令嬢たちから推される形で彼女が最初のダンスの相手を務めた。
 注目を浴びてキアルズと踊っているときのフェイニアは誇らしげで、いつにも増して輝いて見えた。

「今後も協力していただけると助かるんですけど」

 フェイニアはそのままデイラの隣に佇むと、自信ありげに訊ねた。

「――ねえ、クラーチさまから見て、キアルズさまの伴侶としてわたくしに足りないところってあるかしら?」

 少し考え、デイラは素直に答える。

「思い当たりませんね」

 フェイニア・テリューは、高位貴族の令嬢で、健康的で美しく、社交術にも長け、王都から遠く離れたこの辺境にも住み慣れていて、取り巻きの中では最年長でもキアルズよりは年下でまだ若い。辺境伯の妻としての条件は十分に満たしていると言えるだろう。

「お目付け役からそうおっしゃっていただけるなんて、とっても心強いわ……!」

 気を良くしたフェイニアは、どんどん饒舌になっていった。

「わたくしももう二十四歳でしょう。両親もうるさくなってきたし、今年中には決めてしまいたいと思っているの」
「はあ……」
「それなのに、残念なことに明日からしばらくキアルズさまはエルトウィンにいらっしゃらないでしょう? 距離を縮められる機会は一瞬でも逃したくないのよ。――だから」

 声を落とした侯爵令嬢は、どこか意味ありげな視線をデイラに向ける。

「少々キアルズさまの姿が見当たらなくなっても、どうか慌てて捜したりなさらないでね」
「えっ……」

 デイラの口から困惑したような声が漏れる。
 たとえキアルズが夜会の間にひと気のない場所で誰かとふたりきりになろうとしても、護衛なのだから目を離すことはできない。

 デイラの反応を見たフェイニアは苦笑した。

「まあ、過保護な!」

 すぐに「あらごめんなさい、一応お姉さまよねえ」と、笑いながらの訂正が入る。

「昔なじみのクラーチさまからするとキアルズさまは未だに小さな男の子のように思えるのでしょうけど、あの方はもう二十六歳の立派な大人の男性ですのよ? 誰とどういったお付き合いをするかなんて、ご本人がお決めになることでしょう」
「それは……そうですね」

 心の中で「護衛の手は抜けませんが」と付け加えたデイラに、フェイニアは唐突に新たな質問を投げ掛けた。

「ところで、キアルズさまは干し果物がお好きだと聞いたことがあるのだけど」
「え? ああ……そのようですね」

 忙しくて満足に食事をとる暇がなかった夜会の行き帰りなどによく口にしているのは、デイラも知っている。

「やっぱりそうなのね……」

 フェイニアは琥珀色の目を細めて微笑んだ。

「クラーチさま、教えてくださってどうもありがとう」
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