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14 恋なんて

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「――クラーチ副隊長?」

 デイラがハッと顔を上げると、後輩の女騎士が不思議そうな顔をして自分のほうを見ていた。

「どうされました? 大丈夫ですう?」
「わ、悪い……」

 弓矢を扱う射場いばで上の空になるなど、あってはならないことだ。デイラは深く恥じ入った。

「珍しいですよねえ。副隊長がぼーっとなさるなんて」

 前の年に別の中隊から異動してきたティアーナ・ストイムは、ふわふわとした金髪を揺らして可愛らしく小首をかしげる。

「昨夜も遅くまで辺境伯さまを警護されてたんですよね? 睡眠時間が足りてないんじゃないですかぁ?」

 甘えたような仕草や喋り方とは裏腹に、この若い騎士は常に自らに厳しい鍛錬を課して向上を目指している。
 あまりに熱心に頼まれるので、デイラも都合がつくときにはこうして一対一での武術指南を引き受けるようになった。

「いや、よく眠れてはいるはずなんだが……」

 キアルズは「翌日の執務に支障がないように」と、夜が更ける前には会場から引き上げるようにしてくれているし、辺境伯邸で仮眠を取るために用意された部屋も、至れり尽くせりの設備で宿舎の個室よりもずっと快適だ。

「そうですか。……まあ、確かに」

 ティアーナはデイラをまじまじと眺める。

「顔色はいいですし、お肌なんてむしろ以前よりツヤツヤして――」

 言葉を途切れさせたティアーナは、何か閃いたかのようにパッと顔を輝かせた。

「もしかして、ぼんやりの原因は恋ですかっ!?」
「……は?」

 ぽかんとするデイラに、ティアーナはキラキラした眼差しを向ける。

「わあっ、絶対にそうでしょう!? クラーチ副隊長、恋人ができたんですね?」
「え……?」
「やだもう~、この駐屯地の女性隊員はあたしたちだけなんですから、話してくださってもいいじゃないですかぁ~。お相手は、夜会で知り合った方ですか?」

 どんどん前のめりになってくるティアーナの勢いに気圧されたように、デイラは少し後ずさりをした。

「こ……恋人なんて、まさか」
「えっ、じゃあ、副隊長の片想い?」
「かた……?」
「わー、それでもやっぱりいいなぁー」

 ティアーナは勝手に決めつけ、うっとりと頬をばら色に染める。

「両想いでも片想いでも、ときめきって大切ですもんねえ。好きな人の姿が目に映って胸がきゅんってするだけで、心もお肌も潤っちゃいますし」
「いや……本当にそういうことはなくて」
「んもうっ、照れないでくださいよお」

 よほど好きな分野の話題なのか、困惑するデイラなどお構いなしにティアーナはうきうきと声を弾ませた。

「成就するように陰ながら応援してますっ。うまくいったら、たっくさんのろけてくださいね!」

   ◇  ◇  ◇

 恋なんてどこから出てきたんだ、とデイラは思う。

 日ごろから副隊長として多くの責務を担っているし、特にこの時期はキアルズの護衛もあるので、他のことに目を向けられるような余裕など全くない。

 三十代も半ばになり、同期の男性隊員たちのほとんどは既に家庭を持っているが、デイラはこれまで恋愛や結婚を望んだことがなかった。

 祖父に縁談をお膳立てされ、否応なしに会うことになった男性たちから「愛嬌がなくて怖い」という理由で断られたときも、傷つくわけでもなく「そうだろうな」と納得し、生き方を変えなくて済んだことに安堵さえ覚えた。

 女性隊員の中には結婚して子供をもうける者もいるが、家庭との両立が難しくなり騎士を辞めてしまう例も少なくない。
 また、男女を問わず恋愛沙汰に翻弄されて職務に支障をきたす隊員もいる。
 職務に全てを注ぎ込みたいデイラは、恋とは無縁で良かったとすら思っていた。

 これからも雑念にとらわれることなく、冷静に役目を果たすことに集中していきたいとデイラが決意を新たにしていると、突然すぐそばで「クラーチさま」と呼び掛ける女性の声がした。

「少しお話させていただいてもよろしいかしら?」

 はっと我に返ったデイラは、自分がエルトウィン唯一の劇場〝白熊座〟の舞台裏にいることを思い出す。

 昨冬の豪雪によって潰れてしまった建物が再建され、名士たちを招いてこけら落としの劇が上演された後、支配人が客人たちを引き連れて新しくなった劇場内を案内してくれているところだった。

 招待客たちは社交界の顔見知りばかりだったのであまり危険はないと判断し、デイラは先頭を歩く支配人と談笑しているキアルズとは離れ、集団の後方から見守ることにした――つもりだったが、考えごとに気を取られてすっかりぼんやりとしてしまっていた。

〝役目を果たすことに集中していきたい〟などと思いながら早速果たせていなかった自分を心の中で叱りつつ、デイラは小さく微笑んで女性に応える。

「もちろんです、プロウ侯爵令嬢」

 デイラの視線の先では、つる草模様の刺繍が施された葡萄色の美しいドレスに身を包んだフェイニア・テリューが、どこか勝気そうな笑みを浮かべていた。
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