あれは媚薬のせいだから

乙女田スミレ

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9 難しい任務

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「キアルズさまぁ、最初のダンスはわたくしと踊ってくださいませんか?」
 すみれ色のドレスの令嬢が、甘えたような声で誘いかける。

「いいえ、ぜひわたしと……!」
 負けじと若草色のドレスの令嬢が前に歩み出る。

「わたくしは何番目になっても構いませんから」
 遠慮がちな言葉とは裏腹に、ばら色のドレスの令嬢がずいと迫る。

「ちょっと待って。わたしが誰よりも先に会場に着いたのよ?」
 他の女性たちを押しのけて、海のような色のドレスの令嬢が主張する。

「先着順だなんて、どなたが決めたのかしらぁ?」
 威圧感たっぷりに、深紅のドレスの令嬢が足を踏み出す。

 社交の季節が本格的に始まったこの夜、すでに小さな集まりや午餐会などで辺境伯の一人息子と面識を持っていた若い令嬢たちは、美しい花に群がる色とりどりの蝶のようにキアルズを取り囲み、静かな攻防を繰り広げていた。

「キアルズさま、わたくしの同伴者の祖父は膝を悪くしていてダンスができませんの。踊る相手がいない哀れなわたくしとぜひ――」
「それならわたしもですわ。一緒に来た伯父は同世代のお友達とのおしゃべりを楽しみたいそうで『若い人同士で踊ってきなさい』って」
「じゃあ、おふたりのお相手には、わたくしを連れてきてくれた兄はいかがかしら? 体力が底なしだから、何曲でもお付き合いできましてよ」
「結構です。わたくしはキアルズさまと踊りたいので」
「わたしもよ!」
「あら、わたくしだって!」
「皆さま、喧嘩はおやめになって」
「ひとりだけいい子ぶらないでくださる?」
「ま、まあっ、いい子ぶるですって……?」

 どんどん過熱してきた小競り合いが、大きく爆ぜそうになったそのとき――。

「キアルズさま」

 熱くなった空気を冷ますかのような、凛とした女性の声が響いた。

「デイラ」

 安堵したように微笑むキアルズの視線の先に目をやった令嬢たちは、はっと息を呑む。

 そこには、翠玉色のドレスに身を包んだ背の高い女性が、すっと姿勢よく立っていた。

 氷河のような色合いの瞳はきりっと澄み、小さな真珠をいくつも編み込んだ銀灰色の長い髪は樹氷のように輝き、唇に薄くさされた紅が端正な顔立ちをほんのりと柔らかく見せている。

 口をぽかんと開けた令嬢たちの間をすり抜け、キアルズはデイラの隣に並んだ。

「皆さん、こちらはテュアンのジェーイ男爵のお孫さんであり、ぼくが幼いころから親しくさせてもらっているデイラ・クラーチ嬢です」

 デイラ自身は貴族ではなく地方官吏の娘だが、本家の祖父は男爵位を持っている。
 彼女が現役の騎士だということはそのうち伝わってしまうだろうが、護衛の任務を帯びていることを伏せるため、まずは〝男爵の孫娘〟という立場を前面に出してキアルズに付き添うこととなった。

「初めまして」

 口角を上げてデイラが微笑んでみせると、令嬢たちの頬が桃色に染まる。
 涼やかな空気をまとった素敵なお姉さま……と、令嬢たちがぽーっとなった隙に、キアルズは早口で告げた。

「デイラ嬢はエルトウィンの社交の場に顔を出されるのは初めてなので、今夜はいろんな方に紹介して回るつもりなんです。どうぞダンスはまたの機会に」

 状況がよく掴めないまま背中に手を添えられて一緒にその場を離れたデイラに、キアルズは嬉しそうに囁く。

「やっぱり、あなたがいてくれて良かった」

   ◇  ◇  ◇

「楽しい夜だったね」

 夜会からの帰りの馬車の中でも、キアルズはご機嫌だった。

「入場したとたん、あなたが『急いで見回ってきます』って言って姿を消しちゃったときは、どうしようかと思ったけど」

 向かいの席に腰掛けるデイラは「申し訳ありませんでした」と肩をすぼめる。

「出席者が揃う前に、会場内の構造や不審物の有無を確認しておきたくて」
「主催者側にも警備担当者がいるんだから、あなたはずっと僕のそばにいてくれればいいんだよ」
「はい……」

 デイラは凝り固まった顔面を指先でほぐす。
 あれから、数えきれないほどたくさんのエルトウィンの名士たちと挨拶を交わし、主催者から勧められて大勢の注目を浴びながらキアルズのダンスの相手まで務めたため、常に笑顔を貼り付けていなくてはならなかった。

 物陰から見張っていたほうがもっと警護に集中できただろうとデイラは思う。

「デイラ、明後日の晩はこのあたりで一番大きな別荘を持つプロウ侯爵の夜会に招かれてるから、よろしくね」
「承知しました。――あの、キアルズさま」
「うん?」
「今夜は社交界のお歴々に私を紹介してくださるためにずっと一緒にいてくださいましたが、次回からは気兼ねなくいろんな方と交流なさってくださいね。私は少し離れたところからしっかり見守っていますので」

 キアルズは不思議そうに訊ねた。
「どうして?」

「その……私が近くにいすぎるとお邪魔になるかと」
「邪魔?」
「キアルズさまはもう二十歳ですし、社交の場に出るのは辺境伯の後継者として良き伴侶を見つけるという目的もあるでしょう」

 とたんにキアルズは面白くなさそうな顔になる。

「だったらデイラ、あなたは?」
「私……ですか?」
「いま二十八歳だよね。結婚は考えてないの?」
「私は騎士の務めで手一杯ですから。兄がおりますので、家を継ぐ必要もありませんし」

 さらりと答えたデイラは、ふと思い出したかのように言った。

「そういえば二十歳ごろに祖父が気を回してくれて、お見合いのようなものをさせられたことはありました」
「えっ」

 キアルズは慌てたような声を上げる。

「デ、デイラ、お見合いしたの?」
「はい、たしか三回ほど」
「三回も!?」

 デイラは苦笑を浮かべた。

「どの相手からも『愛嬌がなくて怖い』という理由で断られました。それで、祖父もすっかり諦めたようです」

 キアルズは複雑そうな顔をした後、ふうと息を吐く。

「見る目のない男たちだったんだな。デイラはこんなにも魅力的なのに」

 気を遣ってくれたのだと思い、デイラは柔らかく目を細めた。

「優しいお言葉、ありがとうございます」
「慰めとかお世辞じゃなくて、本当のことを言ってるだけだよ……」

 キアルズは手を伸ばし、銀灰色の髪の先を指でそっとつまむ。

「デイラは、誰よりも素敵な女性ひとだ」

 聞いたことのないような甘い声が、デイラの耳をくすぐった。
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