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3 令息と護衛騎士

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 キアルズと初めて出会ったのは、デイラが騎士になって三年目のことだった。
 そのころのデイラは、まだ長い銀灰色の髪を後ろでひとつに束ねていた。

「それでね、あなたに息子の護衛をお願いしたいの」
「ご子息の……ですか?」

 隊長に呼び出されたデイラが応接室に足を踏み入れると、いかめしい武具がいくつも飾られた室内にはそぐわない優雅な雰囲気に包まれた栗色の髪の貴婦人が、柔和な笑みをたたえて腰掛けていた。

 その女性が数日前の剣術大会にも臨席していたエルトウィン辺境伯夫人だと気づいたデイラが敬礼をすると、彼女は嬉しそうに過日の試合でのデイラの冷静沈着な戦いぶりを褒めた後、冒頭の依頼を口にしたのだった。

 戸惑いを浮かべるデイラに向かって、夫人はにこやかに話を続ける。

「来月のエルトウィン奪還記念日に、様々な行事があるのはご存じね」
「――はい」

 この北部の地域は、およそ百年前に隣国に奪われ、四十年ほど前に再び奪い返した。
 それを祝して、記念日には教区じゅうがお祭り騒ぎになる。

「私たち夫婦は、市街地や駐屯地での催しや地元の名士たちとの親睦会など、あちこちに慌ただしく顔を出さなきゃならないのだけど、九歳の息子には地域に暮らす人々と同じ目線で記念日のエルトウィンを過ごして欲しいのよ」
「はあ……」

 とても素晴らしい思いつきだというように、夫人は楽しげに言った。

「十七歳のあなたとなら、姉と弟のお出かけに見えそうでしょう?」

 困ったことになった、とデイラは思う。

 凛としていると言えば聞こえはいいが、表情に乏しく厳しい顔つきのデイラは、子供から懐かれたためしがなかった。
 帰省の際に兄や従兄の子たちと居合わせても、怯えたようにデイラを遠巻きにするばかりで、決して近づいてこようとはしない。

「――失礼ながら、辺境伯夫人。適任者は他にいるかと存じます」

 堂々と断ろうとしはじめたデイラに、傍らで見守っていた当時の隊長は少し慌てた。
「お、おい、クラーチ……」

「私と年が近い同僚の中には、弟妹がたくさんいて小さい子と接するのが得意な者もおります。それに、市井の者を装って見物に行くのなら、親に見えるような年齢の隊員がついていっても良いのではないでしょうか」

「まあ……」
 なぜか感心したように、夫人は深緑色の瞳を輝かせる。

「思ったとおり、お若いのにしっかりした方ねえ。その落ち着いた立ち居振る舞い、甘えん坊の息子にも見習わせたいわ」

 不興を買うかも知れないと思っていたのに好意的に取られたらしいことにデイラが静かに驚いていると、夫人はきっぱりと宣言した。

「やっぱり、あなたに頼むことにします」
「え……」
「シェーナ、キアルズをこちらに」

 扉が開いたままの続き間に向かって声を掛けた夫人を見て、デイラはぎくりとする。
 どうやら夫人は、召使いに付き添わせて息子を待機させていたようだ。

「もういいの?」
 小鳥のような可愛らしい声と共に、隣の部屋から淡褐色の髪をさらさらと揺らしながら小さな男の子が姿を現した。

 聞いていた年齢よりも少し幼く見える少年は、黒い隊服姿の女騎士の前に歩み寄ってくると、長い睫毛に縁取られた翠玉色の目でじっと見上げる。

 いきなり泣かれたらどうしようとおそるおそる視線を合わせたデイラに向かって、令息は蕾がほころんだようにぱっと破願した。

「はじめまして、キアルズ・サーヴです。これからどうぞよろしくお願いします」

   ◇  ◇  ◇

「デイラ、今年は大聖堂前の通りの露店をじっくり巡ってみたいな」

 人々で賑わう路地を歩きながら、キアルズはほんの少しだけ低くなってきた声を弾ませた。

「広場でやっている馬上槍試合はいいんですか?」
「去年と 一昨年おととしはあれを観るのに夢中になり過ぎて、 街中まちなかを楽しむ時間がほとんどなかったでしょう?」

 出会ったころより背丈は少々伸びたが、邪気のない笑顔は相変わらず可愛らしい。つられてデイラの口の端もかすかに上がった。

 キアルズは十一歳、デイラは十九歳。エルトウィン奪還記念日に姉弟きょうだいのふりをして出掛けるのも、これで三度目だ。

 この祝日に限らず、キアルズが何らかの行事に出席したり遠出したりするときには、デイラのもとに護衛の依頼が来るようになっていた。

「キアルズさま、とにかく人が多いですから、ご自身でも十分気をつけて行動なさってくださいね」
「分かってるよ。それよりデイラ、今日のあなたはぼくのお姉さんなんだから、ちゃんと呼び捨てにして。敬語も禁止」
「はいはい」
「あと、騎士同士で話すときみたいな言葉づかいも控えてね。ぼくは嫌いじゃないけど、町娘らしくないから」
「はいはい」

 デイラは、同僚たちとはいわゆる男言葉で会話している。
 意識してそうなったわけではないが、騎士見習いのころから男だらけの環境にいたのと、簡潔な伝達や指示を心がけていたらすっかり習い性になってしまった。

「『はいはい』ばかりだけど、デイラ、本当に分かってる?」

 唇を尖らせるキアルズに向かって、デイラはややぎこちないながらも〝ごく普通の若い娘さん〟のような微笑みを作ってみせた。

「もちろん分かってる、キアルズ」

 驚いたように目を見開いた少年の頬が、ほんのりと染まる。

 この日のデイラは銀灰色の長い髪をほどき、町娘らしい柔らかなブラウスの上に青緑色の胴衣、そして同じ色のスカートを身に着けていた。
 辺境伯夫人がキアルズのお忍び用の衣装と共に準備してくれたものだ。

「や……やればできるじゃないか……」

 キアルズはいかにも町の腕白小僧が被っているような帽子のつばを目深に下ろし、赤くなった顔を隠そうとする。
 反応が可笑しくて、デイラの顔には作りものではない笑みが浮かんだ。

「さあ、キアルズ。一緒に露店を見に行きましょう」
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