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1 騎士を辞めさせていただきます
しおりを挟むデイラ・クラーチは顔が怖い。
正確に言えば目鼻立ちは美しく整っているのだが、表情が乏しいため端正なつくりが却って冷ややかな印象を与えてしまう。
つけられた異名は〝鋼鉄の氷柱〟。
氷柱なのに鋼鉄とはどういうことかと思うが、冷静で切れ味鋭いの戦いぶりを言い表したものらしい。
女だからと侮られるよりは恐れられたほうがいいだろうと、本人もそう呼ばれることを受け容れてきた。
「は……?」
第三中隊隊長キャフ・トリウは、銀灰色の短髪の女騎士に怪訝そうな眼差しを向けた。
「クラーチ、今なんて言った」
執務机の向こう側に姿勢よく立ち、腰掛けている隊長を氷河の水のような色合いの瞳で見下ろす三十四歳の女騎士は、静かな口調でもう一度申し入れた。
「ですから、隊を退きたいと。早急に引き継ぎを済ませ、一週間後にはこちらを去りたいと思います」
聞き間違いではなかったことを知った隊長トリウは、眉根を寄せる。
「おい、分かりにくいから、冗談はもっとふざけた顔で言えよ」
「冗談ではないので」
隊長は困惑したように真顔のデイラを見上げた。
「いったい何があった、副隊長」
北の国境を護るエルトウィン騎士団に所属する同期たちの中でも、二十代後半から中隊の副隊長を務めているデイラはかなりの出世頭だ。
「責任感の強いおまえが唐突にそんなことを言い出すなんて、余程のことだろう。これまでは脇目もふらずに騎士道ひとすじでやってきたんだからな」
隊長はそう言うと、ふと何か思い当たったような顔をした。
「もしかして……結婚でもすることになったのか?」
デイラの表情は全く変わらなかったが、身体の横で軽く握っていた拳がかすかにぴくりと動いた。
「そういうめでたい話なら、出産や育児のために休暇が取れる制度だってあるんだし、それを利用して騎士を続けてる女性隊員もいるんだから、いま慌てて辞めようとしなくても――」
「そのようなことが理由ではありません」
デイラはきっぱりと否定すると、少し声の調子を落とした。
「……独り暮らしをしている年老いた大叔母の世話をすることになりまして」
胸の奥がちくっと痛む。
一番の理解者だった大叔母と目の前にいる旧知の隊長に、デイラは心の中で謝った。
世話をするどころか、大叔母はもうこの世にはいない。
二年前の休暇中に身まかってそのまま葬儀に参列したので、隊には知らせていなかった。
「そうだったのか……」
隊長は赤みがかった無精髭をさする。そう多くはないが、家庭の事情によって騎士を辞めざるを得なかった者はこれまでにもいた。
「他の親族に頼むなり、誰かを雇うなりして、任せることはできないのか……って、できないからこその決断なんだろうな」
「……ええ」
「休職扱いにしてもいいんだぞ?」
「どのくらいお休みをいただいていいのか見当がつきませんし、ご迷惑をかけたくはありませんので」
「そうか……」
隊長は深く息を吐いた。
「残念だが、受理するしかないようだ。おまえが抜けるのは痛手だし、何より寂しくなるな……」
長いあいだ苦楽を共にしてきた隊長トリウの心からの呟きが、デイラの胸にも染みてくる。
ほんの数日前までは、騎士を務め上げるつもりで精進を重ねていたのだ。
叙任されてからのさまざまな思い出が押し寄せてきそうになるが、感傷に浸っている暇はないのだと自分に言い聞かせ、デイラは表情を引き締める。
「今まで、本当にお世話になりました」
こうしてデイラ・クラーチは、きっちり一週間で引き継ぎを済ませ、多くの仲間たちに惜しまれつつ駐屯地を去った。
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