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9 ふたりの未来
しおりを挟む「――ルラ……?」
リシャードが呼び掛けると、彼の胸に顔をうずめるようにして抱かれているフルーラからは何も返事がなかった。
代わりに、寝息のような呼吸音が聴こえてくる。
ずいぶん疲れさせてしまったのだろうと、リシャードはフルーラの髪にくちづけを落とした。
「……おやすみ」
花園のような香りに満ちた室内に、静寂が訪れる。
リシャードがまどろみ始めると、フルーラはそっと目を開けた。
少し顔を上げて大切な人を見つめ、このまま時が止まってしまえばいいのにと願う。
長い間秘めてきた想いが届いたこの夜のことを、フルーラは決して忘れることはないだろう。
王女としての務めを果たすため、フルーラは近い将来、両親が決めた人のもとへ輿入れしなくてはならない。
姉たちもそうしてきた。そして、伴侶となった相手と愛を育み、幸せになった。
いつかは私もそんなふうになれるのかしら……と考えたフルーラの目から涙が溢れ出す。
リシャードではない誰かと家庭を築き、子供をもうけ、一緒に歳を取っていく。
まるで想像がつかないことだった。夜の森に放り込まれたように真っ暗で何も見えない。
「……っ」
こみ上げてくる嗚咽を、フルーラは懸命にこらえる。
好きな人が好きだと言ってくれて、愛を交わすことができた。それだけで十分過ぎるはずだと自身に言い聞かせようとするのに、素直に頷くことができない。
リシャードがいない未来なんて。
「いや……」
「――何が?」
突然、リシャードのまぶたが開き、フルーラはうろたえた。
「お、起きてたの……!?」
リシャードの指が、フルーラの濡れた目尻を拭う。
「小さいころ、マイアたちから『泣き虫姫さま』なんて呼ばれてたけど、そこは変わってないな」
リシャードはフルーラの顎を優しく掴んで、視線を合わせた。
「それで、こんな幸せな夜に、お姫さまはどうして一人で泣いてるんだ?」
口を閉ざすフルーラに、リシャードは質問を重ねる。
「嬉し泣きってわけでもなさそうだし。……まだ痛い?」
フルーラは首を横に振ると、震える声で言った。
「か……覚悟してたはずなのに、あなたと離れてお嫁に行かなきゃいけないって思ったら……ごめんなさい」
リシャードは「あれ?」と呟いて、考え込むような顔つきになったかと思うと、突然声を上げて笑い出した。
「リ、リシャード?」
困惑するフルーラに、リシャードは可笑しそうに訊ねる。
「君は、陛下たちが縁談について話していらしたのを立ち聞きしたんだっけ?」
「そ、そうよ」
「でも、どこに輿入れするかってところまでは聞いてないんだ?」
「……ええ」
フルーラは悲しげに目を伏せた。
『あちらは是非にとのことだ』
『まあっ。ルラの気持ちは聞くまでもないけど、明日にでも本人に話しましょう』
『さっそく準備を進めることにしよう』
『ええ、これ以上はない良縁ですものね!』
などという両親の会話が耳に飛び込んできて、あまりの衝撃にフルーラはその場を足早に立ち去ったのだ。
政略結婚を進める際には、当人の意向など『聞くまでもない』のだと思い知らされながら。
「その輿入れ先がどこなのか、僕は知ってるよ」
「えっ……?」
リシャードの父は外交に明るく、時には異国との折衝も担っている。やはり外国に行かされるのだろうかと、フルーラは身を固くした。
「君が嫁ぐのは、ヴァレオン公爵家の長男のところだ」
フルーラは目を見開く。リシャードの父はヴァレオン公爵で、息子は彼ひとりだけだ。
「えっ……?」
「僕の想いを知る父が、『砕けてもいいのなら当たってやろう』と陛下に打診してくれたら、意外なことに色よいご返事をいただけてね。あとは本人の意思に任せると。父は『全ての姫君を遠方に嫁がせるのは、さすがに国王陛下ご夫妻もお寂しいんだろう』って言ってたな」
『ルラの気持ちは聞くまでもない』という言葉を間違って解釈していたことに、フルーラは気づく。そういえば父も母も妙に嬉しそうに声を弾ませていた。
フルーラは必死で隠そうとしてきたが、リシャードのことを見たり考えたりしたときだけ花が出てきてしまうということを、両親は以前から薄々勘づいているふしがあった。
「で……でも、あなただってさっき、『思い出に残る夜』って……」
「二人で過ごす初めての夜なんだから、それはそうだろう?」
リシャードは笑い話のように楽しげに語った。
「最初から何だか会話がかみ合わなくて、途中で君が他所に嫁がされると誤解してるって気がついたんだけど、君に触れたとたん全部ぶっ飛んじゃって……伝えるのをすっかり忘れてたよ」
フルーラはわなわなと怒り出す。
「ひ、ひどいわ。私は、胸が張り裂けそうな思いで……!」
リシャードはなだめるように抱きしめると、フルーラの裸の腰を撫でた。
「かわいいなあ。僕のことが好きすぎて泣いちゃうなんて」
「リシャード! 私は本気で……っん」
フルーラの抗議を、リシャードはくちづけで止める。
「……ずるい」
唇を離してフルーラの染まった頬を指で撫でながら、リシャードは微笑んだ。
「花が出なくなったから、本気で怒ってるのか、実は喜んでるのか、判りづらいな」
「も、もうっ……」
「君のどこをどう触れたらいいのかも、花が教えてくれたけど……」
リシャードはフルーラの耳許で囁いた。
「忘れないうちに、おさらいをしておこうか?」
「ちょっと……」
フルーラは抗議するように口を尖らせたが、もし今もまだ花が出せるのなら次々に降ってきてしまっているだろうと思いながら、再び唇を寄せてきたリシャードの背中にそっと腕を回した。
寝台に積もった色とりどりの花々は、結ばれたばかりの恋人たちを祝福するかのように、二人の周りを弾んでいた。
<おしまい>
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