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☆最後に☆
番外の番外 ー晴れてよかったー
しおりを挟む「せーのっ」
大きな掛け声に合わせて鉄製の旗竿が差し込まれた重い台を起こすと、真っ青な空に金地の隊旗が翻った。
「ありがとな、フィン」
ほっとしたように見上げながら、一年先輩のカノートさんが言う。
「大したことじゃないっすよ」
「いや、助かったよ。まさかうちの班の旗当番が二人とも寝込んじまってたなんてなあ」
一人は風邪をひき、もう一人は腹具合が良くないらしい。
小隊が増えて新しい編成になったこともあり、今朝は司令棟の前に隊員たちを集めて隊長から訓示があった。
一番高い望楼に旗が揚がってないことに途中で気づいたカノートさんは、隊長の話の間じゅうずっと気が気じゃなかったそうだ。
「恐ろしいほど目端が利くソーカル副隊長が出張中で良かったよ……」
胸を撫で下ろすカノートさんを、俺は微笑ましい気持ちで眺める。麦わらみたいなボサボサ頭をしたこの先輩はちょっとお人好し過ぎる気もするけど、本当に面倒見がいい。俺が初めてこの駐屯地に来たときからそうだった。
心配事がなくなってすっきりしたカノートさんは、屋上に突き出た塔屋へと足取り軽やかに入っていく。俺も後に続いて、狭い螺旋階段を下りていった。
「フィン、一人部屋にはもう慣れたか?」
「え……。ああ、まあ」
新しく小隊長になった俺は、一週間ほど前に個室を与えられたばかりだ。
「静かでいいだろ?」
カノートさんとは、入隊したときからずっと同じ四人部屋で寝起きを共にしていた。
「オスレンとガイムがいなくなってからは、あの部屋でも十分快適でしたよ」
カノートさんは声を上げて笑う。
「ずいぶんと懐かしい名前が出てきたな」
イビキと歯ぎしりが破壊的にうるさかったそいつらは、かつて俺たちと同室だったが、訳あって奴らをぶん殴った俺が懲罰房に入っていた間に、二人とも自ら希望してこの中隊を去っていった。
イビキや歯ぎしりが治ったかどうかは知らないが、まあ元気にしてるらしい。
「あの轟音の中でもぐっすり眠れてたお前だから、一人部屋はかえって物足りないのかもなあ」
「はは……」
個室はやっぱり気楽だが、昨夜だけはよく眠れなかった。
螺旋階段を下りきったところで、ほとんど使われていない旧棟の方に俺が足を向けようとすると、カノートさんは不思議そうに立ち止まった。
「フィン?」
「あ……俺、この後の打ち合わせまでちょっと時間があるんで」
「そっか。お疲れ! 手伝ってくれてありがとな」
去っていくカノートさんの軽快な足音を背中で聴きながら、俺は短い渡り廊下を抜け、床を軋ませながら古い棟に足を踏み入れる。
通路の突き当たりまで行き、建て付けの悪い扉を開けると、陽射しをいっぱいに浴びた広い露台が視界に飛び込んできた。
心地いい風を浴びながら、俺は張り出した突端の方へと歩いていった。
遠い昔、この建物は隣国の要塞として使われていたのだという。
監視や攻撃を目的として敵国の方に向けて作られたこの見張り台は、戦いによって国境が押し上げられて持ち主が変わった今は、自国内を遠くまで眺められる見晴らし台になっている。
今日は視界が良くて、丘の向こうまで見える。俺は南の方から駐屯地へと繋がる街道に目を凝らした。
――あの道から来るはずだ。
そう思っただけで、鼓動が速くなる。
昨日の午後、先輩の小隊長であるキールト・ケリブレから俺たちに報告があった。
静養先からこちらに向かっている〝あの人〟が、今日にもここに到着するだろうと。
――それで、俺は昨夜ほとんど眠れなかった。
治療の経過は良好で、体力もずいぶん回復したそうだが、火傷の痕は残ったままだという。
入隊した夜に垣間見てしまった、月光に照らされた真っ白な背中が頭に浮かぶ。
後悔がどっと押し寄せてきて、俺は奥歯を食いしばった。
俺がもっと素早く助け出すことができてたら。――この半年の間、何度も何度も悔やんできた。
燃え盛る梁の下敷きになったあの人を見つけたときのことを思い出すと、今でも指先がひんやりと凍りつきそうになる。
――なんで、こんな危険なとこに戻ってくるんだよ!?
あの人が復帰するつもりだと知ったときから、俺はずっとムカついてる。
騎士なんか辞めて、婚約者のキールト・ケリブレと結婚しちまえば良かったのに。そうすれば、安全なところで平和に笑って暮らせるようになったはずだ。
「わっけ分かんねえ……」
それなのに、二人は結婚するどころか婚約を解消してしまった。
ますます訳が分からないことに、破談になったっていうのに、先月もキールト・ケリブレはあの人の鍛錬を手伝うために休暇を取って静養先に出向いていた。
「全くどうなってん――」
一台の馬車が駐屯地の方に近づいてくるのが目に映り、俺はハッと息を呑む。
「……あぁ」
馬車が道を逸れていくと、おかしなことに俺の口からは残念そうな声が漏れてしまった。
戻ってきて欲しくないはずなのに。
騎士なんか辞めちまえと今でも思ってるのに、昨日からずっと胸が躍っている。
――今日、またあの人に会える。
もう二度と見られなくなるかも知れないと思っていたあの人の、元気になった姿をこの目で確かめ、生き生きとした話し声を聞くことができる。
はるか遠くの街道の果てを眺めながら、俺はここに着いたときのあの人の様子を想像した。
検問を過ぎて、司令棟の前で馬車を降りたあの人は、建物の天辺ではためく隊旗を煙水晶みたいなきれいな目で見上げるかも知れない。
気持ちのいい風に煽られたエルトウィン騎士団の金と黒の旗は、澄み切った空によく映えるだろう。
戻って来たことを実感して、あの人は嬉しそうに笑うかもな。
――とにかく、あの人が戻ってくる日が、晴れてよかった。
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