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☆ショートストーリー☆
アイリお姉さまはずるい 1
しおりを挟む「フリア、そこをなんとか」
「いやよ」
「頼むよ」
「い、や、だってばっ!」
語気を強めてわたしが拒否すると、幼なじみのグラン・ドゥインは困ったように琥珀色の目を細めた。
「アイリさんたちは明日エルトウィンに戻っちゃうんだろ? 今日しかないんだよ」
「だからっ」
一歩踏み出し、わたしはグランに詰め寄る。
「修行を積んできたわけでもないあなたに、どうして今さら騎士が務まると思うの!?」
いつの間にか身長差が広がっていて、見上げる形になってしまうのも何だか腹立たしい。
「わたしたち、もう十五なのよ!? 無理に決まってるでしょっ!」
淑女にはあるまじき大声が出てしまったけど、今このお母さまのバラ園にはわたしたちの他に誰もいないし、グランがおバカすぎるから仕方ない。
「言っただろ?」
グランは呆れ顔になった。まるでわたしの方がおバカだとでもいうように。
「騎士学校の設立が進んでるとはいえ、今のところ、我が国で騎士に叙任される方法は三つだけだ」
小さい子に何かを教えるかのように、グランは親指から順に立てて説明していく。
「一つめは、きみのお姉さんのように、幼いころから士官経験者のもとで見習いとして修行を積んで認定を受ける。二つめは、戦場で素晴らしい働きをして国王陛下から取り立てられる。――そして三つめは、自身で鍛錬を重ね二名以上の騎士の推薦を得て、国の審査を通過する。僕にはこの方法しかないんだよ」
「丁寧に講釈していただかなくても、そんなことくらい知ってるわよ!」
思いきり怒鳴っても、わたしの癇癪には慣れっこのグランには全く効果がない。
「幸いなことに、一緒にいらしてるっていうアイリさんの婚約者も騎士なんだろう? お二人が推薦してくれたら、後は僕が頑張るだけだから!」
希望に瞳を輝かせるグランをわたしは睨んだ。
文官ばかりのクルーク伯爵家の次男である彼には、武術の経験なんてほとんどないはずだ。
背丈はけっこう伸びたけど、身体つきはひょろっとしていて、とても騎士が務まるとは思えない。
アイリお姉さまの婚約者のフィン・マナカールさまも遠目にはスラッとして見えるけど、近づくと腕も胸板も驚くほどがっしりとしている。
「騎士がどれほど過酷なのか解ってるの? アイリお姉さまだって何回危険な目に遭ったことか……」
「ああ……! アイリさんは本当にかっこいいよなあ」
グランはうっとりした表情になる。
「〝漆黒のハヤブサ〟の異名にふさわしく、幾多の修羅場をくぐりぬけ、強くて優しくて穏やかで、ひとたび盛装すれば眩いほどに美しい貴婦人に変身し……」
わたしのイライラは頂点に達した。
どうせわたしは、伯爵家の末娘として甘やかされて育って、強くもないし、優しくもないし、怒りんぼうだし、〝宮廷の真白き百合〟に生き写しとか言われてる割には、着飾ったってちっとも目立ちませんよ!
「とにかくっ、非力なグランが騎士を目指すなんて無謀よ! 命が惜しければ別の道に進むことね!」
「――非力?」
さすがのグランもカチンときたのか、少し眉を顰める。
「そ、そうよ。昔、一緒に楽器を教わったとき、指の力が弱すぎて弦をはじくのすら苦労してたじゃない」
「いつの話をしてるの?」
「五、六歳のころだけど」
グランは苦笑いを浮かべた。
「フリア、何年経ってると思うんだ」
「そりゃ、背は高くなったかも知れないけど、力なんて大して――」
突然、ふわりと身体が浮く。
「えっ」
次の瞬間、わたしはグランの腕にしっかりと抱きかかえられていた。
「グラン!?」
「――ほら、もう非力じゃないよ?」
琥珀色の瞳が嬉しそうに覗き込んでくる。――近い近い近い!
「バカッ!」
晴れ渡った五月の空に、わたしが繰り出した平手打ちの乾いた音が響いた。
◇ ◇ ◇
グランを追い返して頭に血を上らせながら庭を歩いていると、いちばん大きな四阿が見えてきた。
屋根の下では、丸机を囲むようにしてお姉さま方とそのお相手たちが腰掛け、お菓子をつまみながら談笑している。
わたしは木の陰に隠れて、そこにいる面々を眺めた。
次期当主である一番上のクレアお姉さまと、その夫であるディアンお義兄さま。
子爵家に嫁いだ二番目のリリアお姉さまと、夫のニールお義兄さま。
わたしより一つ年上の従姉のエメルと、婚約者のアーガス様。
――そして、三番目のアイリお姉さまと、婚約者のフィン様。
お式の日取りが決まったため挨拶に来てくれたお二人を中心に、ずいぶんと話が弾んでいる様子だ。
婚約前後はずっと多忙だったとのことで、アイリお姉さまが家に帰ってきたのは約二年半ぶりで、フィン様とお会いしたのは今回が初めてだ。
お姉さまは相変わらず男性みたいに脚衣を穿いて、飾り気のない格好をしているが、髪やお肌は美しく輝いている。
――アイリお姉さまはずるい。
わたしはアカゲラみたいに口を尖らせた。
リリアお姉さまもかつては「アイリって小説に出てくる〝鈍感だけどいろんなことに恵まれてる女主人公〟みたいで、なんだかずるいわよねえ」なんてよくアカゲラ顔になってたんだけど、自分がお幸せになったらどうでもよくなったみたい。
クレアお姉さまは早くから「アイリが目を引くのは仕方ないわよ。白い百合が咲き並んでいる中に一輪だけ深紅の薔薇がほころんでいるようなものなんだから」と割り切っていた。
アイリお姉さま以外のわたしたちは白金色の髪に碧色の瞳で、若い頃に〝宮廷の真白き百合〟と呼ばれていたというお母さまとよく似ている。
アイリお姉さまは、黒い髪や煙水晶みたいな瞳の色はお父さま譲りで、顔立ちは、凛とした美人だったという肖像画の中のお祖母さまと、お母さまの柔和さが絶妙に混ざり合っている。
たまに着飾って人前に出ることになると、〝宮廷の真白き百合〟の未完成な複製画みたいなわたしたちよりも、断然アイリお姉さまの方が注目されてしまうのだ。
こだわり抜いて身繕いしたわたしたちを差し置いて、「よく分かんないから全部お任せで」なアイリお姉さまの方が、悔しいけど輝いてしまう。
まあ、盛装してないときだってアイリお姉さまはキラキラしてるんだけど。
過酷な環境下にいる騎士とは思えないほどお姉さまが綺麗な髪や素肌を保てているのは、ルーディカのおかげでもあるのだという。
物語みたいなことが起きて王家に迎えられ、今や双子のお母さまとなったルーディカ王女だけど、かつては伯爵家の別荘番だった祖父母とフォルザの町に住み、腕のいい薬師として働いていた。
アイリお姉さまが騎士見習いになったときから、ルーディカは「お外にいらっしゃるときは必ず塗ってください!」と、自らが開発した肌や髪に塗る化粧水を渡してくれているのだそうだ。
この効果絶大な化粧水は、王立の薬学研究所でさらに効能が高められ、近いうちに国内はおろか外国でも手に入るようになるのだという。
アイリお姉さまの大火傷もルーディカの軟膏が癒してくれたし、才知溢れる王女さまを戴いた我が国は本当に幸運だと思う。
「――まあっ」
誰かが面白いことを言ったのか、リリアお姉さまが声を上げ、四阿にいる皆がどっと笑った。
アイリお姉さまもフィン様と微笑み合う。見たことないような柔らかな笑顔で。
――アイリお姉さまはずるい。
お肌を輝かせているのは、ルーディカの化粧水だけじゃないことは明らかだ。
わたしが物心ついた頃には既に、アイリお姉さまには別の婚約者がいた。
騎士を志したとき、お父さまが〝結婚相手を決めておくこと〟という条件を課したからだ。
許嫁のキールト様は端正で知的で優しいお兄さまで、そんな方との将来が約束されているお姉さまが、幼いわたしには羨ましかった。
今、そのキールト様は、ルーディカ王女の伴侶となっている。
お父さまから聞いたときにはものすごく驚いたけど、アイリお姉さまは、身分違いの幼なじみたちの恋をずっと応援していたのだという。
言われてみれば、お姉さまとキールト様の間には純粋な友情しかなかったように思う。
こうしてフィン様と一緒にいるお姉さまを見ているとその違いがよく分かる。普通にしているようでも、お二人の間にはほんのりと甘い空気が漂っている。
――いいなあ、恋愛結婚……。
キールト様も素敵だったけど、端麗さと精悍さを兼ね備えたフィン様も文句なしに格好いい。
以前リリアお姉さまが「いつもアイリは〝無欲の勝利〟って感じよねえ。いいところを持っていかれても、本人がガツガツしてたわけじゃないから文句を言うわけにもいかないし、かえってモヤモヤしちゃうわ」なんてこぼしてたけど、その気持ちがよく分かる。
昨夜、到着したお二人と応接室で話をしてたとき、クレアお姉さまから馴れ初めを訊かれたフィン様が「長い間、俺が一方的に想ってたんです」と答えていらしたけど、なにそれどんな恋愛小説?
――どうしたら無欲になんてなれるのかしら。
わたしは欲だらけだ。
すごく綺麗になって教養も身につけて、いつか〝宮廷の真白き百合〟をも凌ぐ貴婦人になりたいし、装飾品だってドレスだって流行りのものは手に入れたいし、社交の場では着飾って注目を浴びてチヤホヤされたいし、とびきり格好いい人から一途に想われて物語みたいな恋もしたい。
生まれるときに、アイリお姉さまはお母さまのお腹の中に〝欲〟を忘れていって、わたしはうっかり二人分の〝欲〟を持ってきてしまったのかも知れない。
わたしはアイリお姉さまをじっと見る。
やっぱり、鍛錬のことしか頭になかったころよりもいっそう綺麗だ。
グランがお姉さまを讃えた言葉がよみがえる。
『強くて優しくて穏やか』で、『眩いほどに美しい』だったかしら。
〝美しい〟が更に増したなんて、もう無敵よね……。
再び、わたしの唇はアカゲラみたいに尖る。
――やっぱり、アイリお姉さまはずるい。
応援ありがとうございます!
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