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☆ショートストーリー☆
恋は遠い夜空で輝く星 6
しおりを挟むアイリーネは困惑の色を浮かべる。
こんな風にくよくよしているルーディカを見るのは初めてだった。
「そういう人がいないとは言わないけど……頻繁に娼館通いしてるのは、決まった相手がいない独り身の隊員がほとんどだと思うよ」
さっきは言葉が足りなかったのかも知れないと、アイリーネはもう少し丁寧な説明を試みる。
「あの女性、隣の教区にある実家に戻ってきたんだって。で、花街の巡回で会ったことがある私たちを偶然見かけて、声を掛けてくれたってだけだよ。キールトが個人的にそういうところに行かないっていうのは、私が保証するからね?」
これでしっかり伝わっただろうとアイリーネが思っていると、いつもならいたずらに裏読みなどせず、素直に物事を捉えるルーディカらしからぬ言葉が飛び出した。
「……本当は行きたいのかも知れませんよね」
「えっ」
青い瞳は、どんよりと薄暗く翳っている。
「全面的に私たちを応援してくださっているアイリ様の目があるのと、同じ隊に婚約者がいると皆さんに知れ渡っているから、行きづらいだけで」
アイリーネはぎょっとした。
「ル、ルーディカ? なんだか思考が無駄に悲観的に……」
「あんなに魅力的な女性と一緒に過ごしたくない男性なんているでしょうか」
ルーディカは嘆くように言う。
「髪も唇もつやつやしていて、親しみやすそうで色っぽくて、体型だって私みたいに貧弱じゃなくて……」
内面も外見も美点だらけのルーディカが、他の女性にひどく引け目を感じているらしいことに、アイリーネはさらに驚いた。
「そ、そりゃ、あの女性だって丹念に磨きをかけてるだろうし、愛想もいいとは思うけど、引き比べてルーディカが落ち込むことなんてないじゃない。キールトが好きなのはルーディカなんだから」
しばらく押し黙った後、ルーディカは再び口を開いた。
「……私がキールト様のことを想うように、キールト様も私のことを想ってくださっているのだと、少し前までは疑ったことがありませんでしたが……」
「実際その通りだよね?」
ルーディカは、しょんぼりとうなだれる。
「お互いの意見がぴたりと重なって、キールト様のお気持ちが手に取るように想像できていたころと違い、今は確信が持てなくなりました……」
ふたりとも一途に想い合っていることは明白なのにと、アイリーネはもどかしく思った。
「じゃあやっぱり、真意を知るためにもきちんと話をした方がいいんじゃないかな。キールトからも伝言を頼まれたよ。『ふたりだけで話がしたい』って」
ルーディカは怯えたように首を横に振る。
「……ますます向き合うのが怖くなりました……」
普段は物事を落ち着いて客観視できるルーディカをこんな風にしてしまうとは、恋とは本当に計り知れない。
アイリーネは困ったように微笑んだ。
「ねえ、騎士団ってね」
唐突に話題を変えたアイリーネに、ルーディカは不思議そうな視線を向ける。
「さっき話したように、娼館通いについての考え方ひとつとってもそうなんだけど、本当にいろんな人たちの集まりなんだよね。意見が合わなくて衝突したり、口をきかなくなったりすることだってしょっちゅうあるし」
ルーディカはますますきょとんとした。
「隊長が――たまに私たちの話に出てくる、あの〝エルトウィンの荒熊〟がね、『それぞれ違ってるからこそ、力を合わせたとき強くなれるんだぞ』って、よく言うんだ。もし思考や行動がそっくりな人間ばかりが揃ってたとしたら、同じような失敗を繰り返したり、欠点を補えなかったりするから、すぐに全滅するんだって」
アイリーネは少し可笑しそうな顔をする。
「確かに、性格や考え方が違う者同士が協力したら、予想以上にうまく事が運んだ、なんてことは意外とあるんだよね」
目をぱちくりさせたままのルーディカに、アイリーネは言った。
「ルーディカはずっとキールトと気が合い過ぎてたから、ちょっと食い違いがあっただけで心配になっちゃうんだろうけど、ほら、ルーディカと私だって、仲はいいけど違うところは沢山あるじゃない?」
「え……ええ」
「趣味や興味の対象も同じじゃないし、しっかり考えてから行動するルーディカに対して、私は考えるよりも先に身体が動いちゃうし。――でも、一緒にいると楽しいよね。全く違う物の見方が新鮮だったり、なるほどって思ったり……」
恋愛関係にもそれが当てはまるのかどうかは知る由もないアイリーネだが、仲直りをして欲しい一心で、あえて確信めいた口調で言った。
「違いがあった方が、きっと面白いよ」
ルーディカは、目が覚めたばかりのような瞬きを繰り返す。
「あのね、休暇で駐屯地を離れるとき、エルトウィンの騎士たちは『コスクド・カールド・トゥラード』って声を掛け合うんだ」
アイリーネが口にした呪文のような言葉に、ルーディカは反応した。
「意味はよく分かりませんが、その響きは……北の地方の古語でしょうか?」
「そう。さすがルーディカ」
アイリーネは嬉しそうな笑みを浮かべる。
「『楽しい休日を!』って感じで使われてるんだけど、元々の意味は『大事な人と喧嘩したまま戻って来るなよ!』なんだって」
一度で耳に残ったのか、ルーディカは口の中で「……コスクド・カールド・トゥラード……」と繰り返した。
それが叶うかどうかは、ルーディカとキールト次第だ。
◇ ◇ ◇
「『向き合うのが怖い』か……」
翌日、庭で早朝稽古を済ませた後、アイリーネからルーディカの心境を聞かされたキールトは溜め息まじりに呟いた。
前日のアイリーネとの会話は残念ながら後押しにはならなかったようで、ルーディカは夜明けとともに「留守中の先輩薬師から世話を頼まれている農園を見てきます」と、まるで逃げるようにして出掛けてしまった。
「昨日のレフティネさんのことは、きちんと説明したつもりだけど……」
「……ルーディカの気持ちも分かるよ。僕だって更にぎくしゃくするのを恐れて近づけずにいたんだから」
ふたりは本当に気が合っているのだと改めてアイリーネは思う。
「でも、面と向かって気持ちをぶつけ合った方が、それまでよりも解り合えて、いっそう仲良くなれるってこともあるよね?」
「騎士の間ではそういうことも少なくないよな……」
キールトは薄く微笑み、庭の隅に置かれた石造りの長椅子に腰を下ろした。
「やっぱり」
意を決したように、キールトは顔を上げる。
「僕は、怖いからって何も話せないままエルトウィンには戻りたくない」
「うん」
「ルーディカに声を掛けてみるよ」
◇ ◇ ◇
しかしそれからも、ルーディカのほうはキールトを避け続けた。
理由を作っては頻繁に外出し、別荘にいるときは手伝いを名目に祖父母のそばを離れようとしない。
「全く隙がない……」
キールトが嘆いても、アイリーネは何もしてやれなかった。
ルーディカはアイリーネから仲介されることも恐れているようで、話しかけようとすると「すみません、ちょっと急ぎの用が」などと言いながら、やんわりと遠ざかっていくのだ。
あっという間に時は過ぎ、エルトウィンに発つのが明後日に迫った日の夜、アイリーネが自室で寝支度を整えていると、部屋の扉を叩く音がした。
「アイリお嬢様、お休みのところ申し訳ありません」
扉を開けると、大きな鞄を抱えたケニース夫妻が並んで立っていた。
少し息を弾ませているふたりを見たアイリーネは、慌てて訊ねた。
「何かあったの?」
「はい、隣村に住む家内の姪が、産気づいたという報せが来まして」
今夜は近所でお産が立て込んでいて、産婆の手が回らない状況なのだという。
「あの家には、取り上げるのを手伝えるような女手もなくて……」
ケニース夫人の妹が何年か前に身まかったという話はアイリーネも聞いている。その人の娘が出産しようとしているのだろう。
「すぐに行ってあげて!」
ケニース夫妻は、何か用事があるときはルーディカに申し付けて欲しいと言い残し、その場を後にした。
二人が乗った馬車が門から出て行くのを部屋の窓から見送ると、アイリーネはほっと息を吐いて夜空を仰いだ。
働き者の夏の太陽はようやく床に就き、蜂蜜色に光る大きな満月が浮かんでいる。
アイリーネの妹が生まれた夜も、満ち足りた月が輝いていた。
真実かどうかは分からないが、お産が終わるまで別室でアイリーネたち姉妹に付き添ってくれていた叔母が、「大丈夫よ。満月の夜は安産になるって言われてるから」と元気づけてくれたのを思い出す。
ケニース夫人の姪の出産も無事であるようにと願いながらアイリーネが空を眺めていると、部屋に向かって誰かが駆けて来るような音が聞こえた。
「アイリ様っ……」
廊下からルーディカの切羽詰まったような声がして、アイリーネはハッとする。
「どうしたの?」
素早く扉を開けると、前掛け姿のルーディカが金の髪を乱して室内へ飛び込んできた。
「ぶ、不躾で申し訳ありません……!」
息を切らし、怯えたような表情をしたルーディカを見たアイリーネの眼光が鋭くなる。
「――侵入者?」
枕元に置かれた剣に手を伸ばそうとしたアイリーネを、ルーディカは慌てて止めた。
「そっ、そうじゃないんですけど……」
後ろ手で扉を閉め、ルーディカは声を潜める。
「少し匿って欲しいんです」
そこでアイリーネも気がついた。
「もしかして、キールトから身を隠そうとしてるの?」
ルーディカは小さく頷く。
「祖父たちを送り出した後、明日の朝食の仕込みのために裏庭で香草を摘んできて、勝手口から厨房に戻ろうとしたら……中にキールト様がいらっしゃるのが見えて」
アイリーネは少し呆れ顔になった。
「そのまま逃げてきたの?」
「びっくりしてしまって……」
「そこまで敬遠しなくても」
「でも……」
そのとき、遠くで足音のようなものが聴こえた。
それはあっという間に近づいてきて、アイリーネの部屋の前で止まる。
「――アイリ」
キールトの声だった。
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