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☆ショートストーリー☆

年下女騎士は生意気で 5

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「……ねえ、こんなに急いで出発しなくても良かったんじゃない?」

 栗色の馬に跨ったアイリーネが言う。

 第二中隊で午後から会議が開かれる日、アイリーネとフィンは朝一番の打ち合わせを終えるとすぐに駐屯地を出た。
 フィンが、「今日は通り道のプローディーの町で終日いちが立ってめちゃくちゃ混むから、ちょっと時間はかかるけど迂回路を使おう」と提案してきたからだ。

「森の中を通るにしたって、きっとずいぶん早く着いちゃうよ」

 アイリーネの隣で黒馬に乗るフィンは、この日の空のように晴れやかな顔を向けた。

「途中の水場で休んで、ゆっくり昼メシでも食おうぜ」
「昼メシ?」

 馬に括りつけた布袋をフィンはぽんぽんと叩く。

「あ……重なってたら悪いけど、私も二人分のリンゴを持ってきたよ」
「俺の方はリンゴじゃねえから、ちょうどいいな」

 笑顔のまま遠くを見たフィンは、これから行こうとしている森の入り口あたりに視線を止めた。
 つられてアイリーネもそちらに目をやると、柄の長い道具を手にした男たちが集まっているのが見えた。

「あっ、騎士様」
 近づいていった二人に男たちが気づく。地面には大小さまざまな石や岩が転がっていた。

「どうしたんだ?」

「へえ」
 馬の前に、まとめ役らしき筋肉隆々の男が歩み出る。

市場いちばを迂回しようとした不慣れな馬車が岩壁いわかべを削るようにこすりやして、崩れてきちまったんで、これから一日がかりで直すんでさあ」

 では森の道には入れないのかと思った二人に、男は立派な犬歯を見せて笑った。

「騎士様方がお通りになってから作業を始めやすんで、どうぞ足元に気をつけて森にお入りくだせえ。反対側からも人が入って来ねえよう通行止めをさせてますが、森ん中から出て行く分には問題ねえんで、立たせてる奴には防柵を除けるように言ってありやす」

 二人は礼を言い、森へと入った。
 木漏れ日が降りそそぐ道を、馬たちはゆっくりと進んでいく。

「ところどころ雪は残ってるけど、もう春だなあ」
「……そうだね」

 フィンはアイリーネの横顔を不思議そうに見つめる。
「今日は何か元気ねえな。大丈夫か?」

「そう? いつもと同じだよ」
 アイリーネは微笑んでみせた。

   ◇  ◇  ◇

「水場も独占だな」

 さらさらと流れる小川の下流側の木に、長い縄で馬をつないで水を飲めるようにすると、二人は川辺の草地に並んで腰を下ろした。
 通行止めのためか、森に入ってすぐに木こりとすれ違っただけで、他には誰とも会うことなくこの中間地点まで来た。

「ほら」
 フィンから渡された布包みを開いたアイリーネは、目を丸くする。
「これ……」

 フィンはちょっと照れくさそうな顔になった。
「今日はいい肉なんてなかったし、おまえみたいに上手くできなかったけど」

 少し歪んだ切れ込みが入った丸いパンに、きのこと肉のパテが挟んである。

「私みたいに……?」
「俺が初めて駐屯地に来たとき、キールトさん経由で渡してくれただろ?」
「……あ」

 あの夜、雨のなか遅くに到着するかも知れない部下を気の毒に思ったアイリーネは、新人歓迎の夕餉から肉を取り分けてパンに挟み、濡れた身体を拭くための布と共に夜勤の幼なじみに託したのだった。

「その翌朝は色々と動揺して、まともに礼も言えてなかったけど、ありがとな」

 朝の点呼で顔を合わせたときにはさっそく無愛想だった新人騎士を、アイリーネは思い出す。
 それからも長い間〝懐かない仔犬〟のようだったフィンが、今はまっすぐに微笑みかけてくれている。不思議なようなくすぐったいような気持ちで、アイリーネは手許のパンに視線を落とした。

「こっちこそ、忙しいのに作ってきてくれてありがとう」
 ひと口食べて、アイリーネは笑みをこぼす。
「おいしい」

 満足そうに頬を緩め、フィンも自分のパンにかぶりついた。

 川面は陽光をきらきらと照り返し、そよ風は木々の新芽を揺らす。馬たちはのんびりと水を飲み、鳥たちは澄み切った声でさえずっている。
 こんなふうに二人でゆったりと過ごすのは、密命を帯びて王都まで旅したとき以来だ。

 パンとリンゴで早めの昼食を終えた二人は、きれいな水で手や口を洗うと、再び柔らかい草の上に並んで座った。

「おまえが言ったとおり、早く出過ぎたかもなあ」
 フィンはごろりと仰向けになり、大きなあくびをする。
「森の向こうから正午の鐘が聴こえてきたら、ここを発つくらいで良さそうだな」

「まだ余裕がありそうだから寝てもいいよ。鐘が鳴っても起きないようなら声かけるから」

 透きとおるような水色の瞳が、アイリーネを見上げる。

「おまえは眠くねえのか?」
「あんまり」
「そういえば、もうストイムと夜更かししなくなったんだったな」
「ティアーナが毎晩ぐったりだからね」
「あいつ、鍛錬に全力を注いでるからなあ」

 ふと、フィンは眉根を寄せた。
「――ストイムも気の毒なんだよな」

「気の毒?」
「やる気はあるのに、どうやら第二中隊ではまともに鍛えてもらってなかったらしい」
「そうなの?」
「ああ。修行先ではそれなりに厳しく指導してもらって叙任審査にも通ったそうだが、入隊してからは『おまえはそれくらいにしておけ』って、手加減してもらってばっかだったって」

 現在、第二中隊の女性騎士はティアーナだけだ。 

「それは……良くないね」
「だよなあ。本人のためにも隊のためにもなんねえよ」

 体力や筋力の面では男性隊員に敵わないだろうが、叙任されたということは一定の水準には達しているはずだ。まだまだ伸びしろもあるだろう。

「いくらティアーナが守ってあげたくなるような女性でも、そこはきちんとしないとね」

「……守ってあげたくなる、なあ」
 フィンは可笑しそうに繰り返す。

「よく分かんねーな。本人がいかにも可愛らしい仕草や言葉づかいを心がけてるのは伝わってくるけど、実はかなり逞しいし。俺からすると、ちゃっかり者の腕白小僧って感じだけどな」
「そう?」
「ああ。隊の奴らが言ってる『色っぽい』ってのもピンと来ねえ」

「え、だってティアーナは、ふわふわ柔らかそうで、姿も声も可愛くて艶っぽくて、愛嬌があって……」

 フィンは苦笑いを浮かべる。
「ずいぶん褒めるんだな」

「私にはなかなか心を開いてくれなかったフィンだって、すぐに打ち解けたくらいだし――」
「は?」

 慌てて顔を逸らしたアイリーネを訝しげに見ると、フィンは身体を起こした。
「リーネ?」

 アイリーネの肩をつかんで振り向かせたフィンは、大きく目をみはる。
「なっ……なんで泣いてるんだよ……!?」

  アイリーネの煙水晶けむりすいしょうの瞳は、涙の膜で光っていた。

「泣いてない」
「泣いてるだろ。どうした? 俺、何かまずいこと言ったか?」

 アイリーネは首を横に振る。

「違うの……。じ、自分が……情けなくて」
「情けない?」

 戸惑いの色を浮かべるフィンに向かって、アイリーネは一世一代の恥を告白するかのように声を絞り出した。
「……やきもちを……焼いたから……」

「はあ?」
 誰に……と言いかけて、フィンはハッとする。
「まさかとは思うが、ストイムか!?」

 その途端、アイリーネの目のふちに溜まっていた涙がこぼれ落ちた。

「お、おい」
「ごめん……二人があんまり親しそうにしてると、なんだか胸がもやもやしてきて」
「ただ剣を教えてるだけだぞ?」
「分かってるつもりなのに、昨日、練習場でフィンが腕をつかまれてるところを見たら……」
「腕……?」
「フィンが嬉しそうな顔したり、ちょっと赤くなったりしたくらいで、落ち着かなくなって」
「……あ」

 フィンは何かを思い出したような顔になる。

「あれは、骨太かどうかは手首の太さで判るって話になって、ストイムが力持ちの八人の兄貴たちと比べるために俺の手首を掴んでみたってだけだ。で、『アイリ先輩の手首はどれくらいですか?』って訊くから、もっと細いって答えたら、『すぐに手首の太さまで思い出せるんですねえ~』なんて冷やかしてきたから……」

 真相を聞かされても、アイリーネは肩を落としたままだった。

「ごめん……。もともとフィンは金髪で可愛い人が好きみたいだから、つい気になっ……」
「なっ、なんだよ、それ!?」

 フィンは心底驚いたような声を上げる。

「俺はなあ――」
「だって、初めてルーディカと会ったとき、フィンは……」

 唐突に〝姉〟の名前が出てきて、フィンは更に困惑した。確かに彼女は〝金髪で可愛い人〟だが、何の関係があるのかと。

「眩しそうに目を細めたでしょう? 小さいころから何度も見てきた、ひと目でルーディカに惹きつけられた人たちみたいな表情だったから」

「そんな憶えは――」
 言いかけて、フィンは何かに納得したように「……ああ」と呟いた。

「もし俺がそんな顔をしたんだったとしたら、懐かしくなったからだと思うぞ」
「懐かしく?」

 フィンは少し気恥ずかしそうに明かした。
「……ルーディカさんは、どこか俺の母親に似てるんだ。髪の色は違うけど、佇まいとか、顔立ちとか」

 アイリーネは濡れた目を見開いてぽかんとする。そういえば、フィンの継兄であるクロナンもそんなことを言っていた。

「たぶん、俺たちの父親の好みが一貫してたんだろうな。ルーディカさんは亡き母上に生き写しらしいし」

「そう……だったんだ……」
 アイリーネは気まずそうにうつむいた。

「――誤解は解けたか?」
 フィンの指が優しくアイリーネの目尻に触れる。

「忘れたのか? 俺の好みは、小さいころシーン侯爵家で見かけた黒髪の騎士見習いの女の子だぞ。それは今でも変わってねえ」

 涙を拭った指先はそのまま頬へと滑っていく。

「部下だったときだって、おまえに心を開いてなかったわけじゃなくて、意識し過ぎてどうしたらいいのか分からなかっただけだ」

 フィンの素直な言葉が沁み込んできて、アイリーネは嫉妬心に振り回されていた自分をまた恥じた。

「ごめ――」
 何度目かの謝罪の言葉は、フィンの唇にふさがれて途切れた。
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