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☆ショートストーリー☆

武術大会の夜 1

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  風は冷たいけれど
  風は冷たいけれど
  剣は熱く 心も熱い


 食欲をそそる匂いに満ちた第一駐屯地の大広間のそこかしこで、エルトウィンの騎士たちの間で歌い継がれる『風は冷たいけれど』の陽気な合唱が響いている。

「まだまだあるから、お前たちもどんどん取りに行ってこいよ!」

 切り分けられた焼き肉を皿に山盛りにした先輩から通りすがりにそう言われ、騎士になって一年目の三人は揃って元気な返事をした。
「はいっ。ありがとうございますっ」

 マーディン、ドゥラゴ、ウェスは嬉しそうに顔を見合わせる。

「すっげえよなあ。こんなうまい肉が食い放題!」
「武術大会、最高!」
「俺らはみんな一回戦負けだったけどな!」
「……………」

 束の間しょんぼりと肩を落とした三人だったが、すぐに気を取り直し、空になった皿を片手に広間の中央にあるご馳走が並んだ台へといそいそと向かっていった。

 今日は、年に一度駐屯地で開催される武術大会の日だった。
 普段から良好な関係を築いている近隣の住民たちも招待して様々な武術の試合を公開するという祭りのようなものだが、見物の謝礼にと住民たちが農作物や畜産物を置いていってくれるので、夜はその豊富な食材を使って立食形式の宴会を行うのが恒例となっている。

「上等の牛まるまる一頭とか、ご近所さん気前良すぎるだろ!」

 この催しに参加するのは初めての三人が、新たに切り分けてもらった肉を幸せそうに噛みしめていると、ふいに背後から声が掛かった。

「お前ら、アイリーネの小隊だよな?」

 振り返ると、別の小隊をまとめている栗色の髪のフィン・マナカールが立っていた。

「……はっ、はいっ、マナカール小隊長!」
 
 三人は瞳を輝かせ、皿を持ったまま背筋をぴしっと伸ばす。

「ほ、本日は、剣術の部でのご優勝、おめでとうございます!」
「素晴らしい剣さばきでした!」
「今度、ぜひご指導ください!」

 フィンは「おう」と短く返事すると、すぐに「――で」と話を切り替えた。
「アイリーネを知らないか?」

 憧れのまなざしを向けながら、マーディンが答える。
「はいっ、グラーニ小隊長は宿舎に戻られました」
「もう? 宴会は始まったばっかだぞ」

 ドゥラゴも眩しそうにフィンを見つめて言う。
「グラーニ小隊長も馬術の部で優勝されたので一緒に乾杯したかったのですが、『少し疲れたから今日は早く休む』とおっしゃいまして」
「そうか……」

 少し考え込むような顔をしたフィンに、頬を紅潮させたウェスが申し出る。
「あ、あのっ、何か飲み物でもお持ちしましょうか?」

 フィンは微笑みを返した。
「気持ちはありがたいけど、今夜は自分たちが楽しめ。明日からはまたきつい訓練が待ってるぞ」

 邪魔して悪かったな、と颯爽と立ち去るフィンを見送りながら、三人はうっとりとため息をついた。

「かーっこいいよなあ……」
「あの端正な外見で、剣の腕も抜群で」
「婚約者は美人」
「美人な上に、めっちゃ強い」
「強い上に、めっちゃ厳しい……」

 三人は肩をすくめて笑い合った。

「美男美女でお似合いだけど、グラーニ小隊長もマナカール小隊長も、お互いに対してすげえさっぱりしてるんだよなあ」

 ドゥラゴの言葉に、マーディンも「確かに」と同調する。
「二人一緒にいるときも、熱く意見を戦わすことはあっても、甘い雰囲気とか全然出てないよな」

 ウェスもうんうんと頷く。
「騎士同士だし、親友みたいな感覚なのかもなあ」

   ◇  ◇  ◇

 おぼつかない指先が、恐る恐る何かを探しているのを、フィンは呆然と見ていた。

 もしかしたら寝てしまっているのかも知れないと、扉を叩くのも開けるのも、音を控え目にしたのが完全に裏目に出た。

「……ん」

 小隊長として割り当てられた一人部屋の寝台の上にアイリーネはいたが、眠ってはいなかった。

 湯上がりでまだ髪が濡れているからなのか、アイリーネは大きな布を羽織るようにして肩のあたりを覆っていた。
 その布が、アイリーネが身に着けている唯一のものだった。

 ほとんど裸のアイリーネは、目を閉じて枕元の飾り板にもたれかかり、膝を立てて開いた脚の間にぎこちなく手を伸ばしていた。

 何も塗っていなくてもほんのりと紅い唇が、薄く開く。
「……フィン……」

 かすかに囁かれた自分の名前にはっと我に返ったフィンが慌てて内側から扉を閉めると、ばたんと大きな音が立った。

 煙水晶けむりすいしょうのような瞳が大きく見開かれる。

「っ……!?」

 名前を呼んだばかりの相手が扉の前に立っていることを認識したとたん、アイリーネは喉がつまったような音のない悲鳴を上げ、上掛けの中に潜り込んだ。
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