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☆ショートストーリー☆

小舅戦争 2

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「愛だよなあ……」

 旅装束に身を包んだキールトがしみじみと言う。

「アイリを傷つけないためなら、過酷な懲罰房に居続けることも厭わないとは」

 当時とは違い、キールトと同じくらいの背丈になった隊服姿のフィンは、少し耳たぶを赤くして隣に立つ先輩をじろりと見た。

「……なんで今さらそんなことを振り返るんですか」
「いや、お前ともしばらくお別れだと思ったら、いろいろと思い出がよみがえってきてな」

 二人は今、駐屯地の門を出たところに佇んでいる。
 少し離れた道の端には、キールトの荷物を積み込んだ馬車が出発の時を待っていた。

 キールトはこれからエルトウィンを去る。

 王都から戻って来てひと月ほどで慌ただしく引き継ぎや申し送りを終えたキールトは、先ほど隊の皆から惜しまれつつ別れの挨拶を済ませた。

 王室から正式な発表がなされるまでは王女との婚約を公にすることはできないので、騎士を辞めるの表向きの理由は〝一身上の都合〟で通したのだが、向かう先が王都だと知った隊員たちの間では、「聡明さを買われて文官として王宮に引き抜かれたのではないか」などと囁かれている。

「――遅いな」

 折悪しく、別の駐屯地で行われる緊急の会議に出席しなくてはならなくなったアイリーネは、「急いで戻るから、私が帰ってくるまで行かないで」とキールトに言い残し、朝から出掛けていった。

「もう出発したらどうっすか。リーネには俺からよろしく伝えておきますよ」

 フィンから素っ気なく提案され、キールトは「そんなこと言うなよ」と苦笑いを浮かべる。

「次に会えるのはおそらく僕たちの結婚式で、まだ一年ほど先になるんだぞ。お前こそ、僕に付き合ってくれるのはありがたいけど、用事はないのか」
「ああ、鍛錬場はヴリアンさんの小隊が使ってますし、俺んとこの奴らは図書室で報告書を作ってますから」
「そうか……」

 秋を告げるような少しひんやりとした風が、二人の間を吹き抜ける。

「……フィン、アイリをよろしくな」
「もちろん」

 そう答えておいてから、フィンは口を尖らせた。
「だからそれ、何目線だよ?」

「アイリとは物心つく前から仲が良くて、騎士を志してから今までほとんどずっと一緒にいたんだから、もう肉親みたいなもんだろう」
「ただの幼なじみだろ?」
「元婚約者でもある」

 フィンは苛立った口調で主張した。
「今は俺が婚約者だからな。それも、ニセじゃなくて本物の!」

「分かってるよ」
「どうだか」

 フィンは不満そうに腕組みをする。
「王都からこっちに戻ってきたときだって……」

 毒に倒れたアイリーネの療養が終わり、エルトウィンに三人で向かっている間も、キールトは存分に小舅ぶりを発揮した。
 さながら嫁入り前の家族を連れた保護者のごとく、常にアイリーネの傍らにいて監視の目を光らせ、フィンと二人きりにするのを極力避け、宿の部屋割りもきっちりと男女に分けた。

「心配だったけど、アイリの背中に軟膏を塗る役目はお前に任せただろう」
「あんな短時間で何ができるってんだよ!?」

 旅の間、フィンは火傷痕に薬を塗るのを手伝うためアイリーネが泊まっている部屋に毎晩通ったが、少しでも時間が掛かるとキールトが催促にやってきて扉を叩いた。

「お前は、放っとくとすぐに子供を作りそうだからな」
「ばっ……」
「正式に婚約したとはいえ、結婚の時期はまだ決まってないんだから、できるだけ気をつけろよ」
「い、言われなくても分かってるし……」

 フィンの声の勢いが少し弱くなる。

 王から招かれた私的な晩餐会の席で、アイリーネに「子供ができてたらどうするんだ!?」などと口走ってしまったことにより、後になってフィンは今キールトに言われたようなことを、他の出席者たちからも個別に忠告されていた。
 普段からフィンを戒めることが多い先輩騎士のヴリアンからはもちろんのこと、ルーディカや王までもが言いにくそうにその件に触れてきたときは、フィンは居たたまれなさでいっぱいになった。

「フィン、確実に妊娠を避ける方法はないにしろ、せめて――」
 生々しい話になりそうで、フィンは慌てて遮る。
「わっ、分かってますから! ……っつうか、そもそも」

 そんなことする暇なんて全然ねーよ……という嘆きはごく小さなものだったが、聞き取れたらしいキールトは満足げに微笑んだ。

「アイリは模範的な騎士だからなあ。駐屯地じゃお前に指一本触れさせてないだろう」
「嬉しそうに言うなよ。あんたが抜けるせいで、しばらく休みも合わせらんねえのに……」

 キールトはますます機嫌の良さそうな笑みを浮かべる。
「確実に妊娠を避けられる方法があって、良かったな!」

 フィンはキールトを睨んだ。

「……なあ、あんたの方がまるで小舅みたいにふるまってるけど、俺の方が本物の小舅になるんだからな?」

 姉弟きょうだいだと公表することはないが、確かに、近い将来キールトはフィンの血のつながった姉の伴侶になる。

「よく分かってるさ、かわいい義弟おとうとよ」

 フィンは眉間に皺を寄せる。
「あんたのそういうとこ……」

 そのとき、遠くで聴こえた馬のひづめの音が、物凄い勢いで近づいてきた。

「キールト!」

 ひとつに結んだ長い黒髪を翻し、栗毛の馬にまたがって現れたのは、黒い隊服姿のアイリーネだった。

「アイリ」
「待たせてごめん」

 アイリーネは息を弾ませて馬から降りると、キールトに駆け寄った。

「思ったより会議が長引いちゃって……」
「そこまで慌てなくても良かったのに」

 煙水晶けむりすいしょうのような瞳が、幼なじみをじっと見つめる。

「……寂しくなるよ、キールト」
「僕もだ……」

 アイリーネは前に踏み出すと、キールトをしっかりと抱きしめた。
「元気でね。お幸せに」

 キールトもアイリーネの背中に腕を回す。

「アイリも、無茶しないでくれよ」
「うん……」

 そのまま二人は静かに抱き合った。

 共に過ごした長い年月を振り返るかのようにアイリーネはまぶたを閉じ、キールトも名残惜しそうに唇を噛み締めていると、突然、静寂を破るかのようにガラガラと車輪の音が迫ってきた。

「あー、そう、もうちょっとこっち」

 アイリーネたちが目を向けると、路傍に待たせていた馬車をフィンがてきぱきと誘導していた。

「――よし、ここで停まって」

 二人のすぐそばで馬車が停止すると、フィンは素早く客車の横に回り込み、扉を開けた。
「キールトさん、どうぞ」

 親切めかした笑顔でフィンはかす。
「早く出ないと、夕方までに隣の教区に入れませんよ」

 そうだよね、とアイリーネはキールトから離れた。

「私がずいぶん待たせちゃったから……。キールト、さあ乗って」
「あ、ああ……」

 促されるままに馬車に乗り込んだキールトは、窓からアイリーネとフィンを見下ろした。
「じゃあ、またな」

「気をつけて」
 ゆっくりと動き始めた馬車に、アイリーネは歩きながらついていき、御者に聞かれても差し支えないように気を配りながら声を掛ける。

によろしく伝えてね」
「ああ。招待状を送るから、きっと来てくれよ」
「楽しみにしてる」

 フィンは、アイリーネの腕を後ろからそっと掴んで立ち止まらせると、キールトに向かって言った。

を泣かせるようなことがあったら、に離縁を進言するからな」

 キールトは余裕の笑みで返す。
「そんなことはないから安心しろ」

 小舅としての反撃を軽くいなされたフィンはつまらなそうに鼻を鳴らすと、背後からいきなりアイリーネの身体を抱きしめ、これ見よがしに頭の横にくちづけた。

「フィッ……!?」

 アイリーネのしゃっくりのような叫び声が響き、馬車は少し速度を上げて離れていく。

 真っ赤になったアイリーネが「誰の目があるか分からないのにっ!」とフィンの腕を邪険に振りほどく様子や、「門の外だぞ? なんで元婚約者は抱きしめていいのに、俺は駄目なんだよ!?」とフィンが抗議しているのを車窓から眺めながら、キールトはふっと優しく笑い、新たな未来へと旅立っていった。
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