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45 大切な幼なじみ 後
しおりを挟む何か思い出したのか、フィンは不愉快そうに頷いた。
「リーネが父親から褒められたことがあるのは、小さい頃に武術指南を受けてたときだけだったとか。男爵夫人は、そのことにリーネがこだわり過ぎて、他の可能性や楽しみには目もくれないのはもったいないって」
キールトは難しい顔になる。
「それは……その通りかも知れない。ドミナン伯爵は、アイリに対してかなり厳格で……」
「厳格?」
フィンは片眉を上げる。
「ねちねちとリーネの自信を奪うような言葉ばかり浴びせる、ただのクソオヤジじゃないっすか」
キールトは目を丸くし、「会ったのか」と苦笑いを浮かべた。
「友人である僕の父親は、『ドミナン伯は有能なアイリーネ嬢に期待し過ぎているんだろう』なんて暢気な見方をしてたが、正直なところ、僕もお前と同感だ。たまに顔を合わすと、僕のことはあれこれ賞賛してくれるのに、必ず引き比べてアイリを貶すから気分は良くなかったよ」
「あんな父親の評価に縛られるなんて、ばかばかしい。リーネのことは、俺が心の底からいくらでも褒めてやるのに……!」
吐き捨てるように言ったフィンを見て、キールトはなぜか柔らかく目を細めた。
「な、なんすか」
「いや……お前、本当にアイリに惚れてるんだなあ」
微笑ましげなキールトに、フィンは少し耳を赤くして顔をしかめる。
「何なんだよ? やめてください、その謎目線」
「ヴリアンも言ってたけど、僕がルーディカと結婚したら、公にはできないが義理の兄弟ってことになるんだし、なんだかお前のこともかわいく見えてきたよ」
「やめてくれ。あー……また兄貴が増えるのかよ」
フィンはうんざりしたように髪をかき上げて立ち上がり、脱ぎ捨ててあった上着を再び羽織った。
「どうした?」
「やっぱりもう一度話しに行ってきます。……また追い返されるかも知れないけど」
「明日にしたらどうだ。今夜はもう遅いし」
「でも……」
突っ立って考えを巡らせているフィンの姿を、キールトはまじまじと見上げる。
「それにしてもお前、あの火事の日からまだ一年も経ってないとは思えないほど大きくなったよなあ」
「え、……まあ、あれからけっこう勢いよく伸びたから……あっ」
フィンは何かを思い出したような声を出し、キールトを睨んだ。
「あんた、俺が火の中から助けたってリーネに知らせただろ?」
キールトは一瞬ぽかんとした表情になったが、すぐに潔白を主張した。
「い、いや、僕はお前の口止めを守ってるぞ? 他の誰かからアイリに伝わったんじゃないか?」
じゃあ一体どいつが……と眉根を寄せるフィンを見ながら、キールトはふっと笑う。
「かわいいよなあ。わんわん泣いたのを知られたくないから黙ってて欲しいなんて」
フィンはさらに耳を赤くして抗議した。
「ち、違うし! それと、これ以上かわいいとか宣ったら決闘を申し込みますよ! 俺が秘密にしておいて欲しかった理由は、救出に手こずって大火傷を負わせたのに、恩着せがましく名乗りを上げたくないからであって……」
「――でも、アイリは生きてる。あんなに元気になった。お前は本当によくやってくれたよ」
キールトの穏やかな声音に、一抹の寂しさが混ざる。
「さっきは『任せられない』なんて言ったけど、お前がアイリについててくれるなら、僕は安心してそばを離れることができそうだ。……ちゃんと仲直りしてくれよ」
◇ ◇ ◇
紙がこすれるような音が微かに聴こえ、アイリーネはまぶたを開けた。
「ん……」
ルーディカと話をして気が緩んだのか、アイリーネは長椅子に座ったままうたた寝してしまっていたことに気がついた。
長細い窓の鎧戸は既にぴったりと閉められ、その下方に置かれた丸い机の上では蝋燭の小さな火が揺れている。
その琥珀色の灯りが、ルーディカの端正な横顔を浮き上がらせていた。
美しい幼なじみは書類のようなものを熱心に覗き込み、指でなぞりながら何やらぶつぶつと口の中で呟いている。
アイリーネが目を覚ましたことに気がつくと、ルーディカは優しく微笑んだ。
「アイリ様」
「ごめん、私、寝ちゃってたんだね」
「ほんの少しですよ」
ルーディカは、手に持っていた紙を机の上に置く。
「冷めてしまっているとは思いますが、続き部屋にはお湯を用意していただいていますし、寝間着に着替えてお寝みになってはいかがですか」
アイリーネは「ありがとう」と言って立ち上がると、自分と同じくまだドレス姿のままのルーディカの方に歩み寄った。
「何してたの?」
訊ねながら、向かい側に置かれていた椅子に腰を下ろす。
「宰相様が考えてくださった、ご挨拶の口上を憶えようと……」
「挨拶?」
「はい。お誕生日式典で陛下から後継者としてご紹介いただいた後、私からもお集まりいただいた皆様に言葉を述べることになっているんです」
ルーディカは眉尻を下げて笑った。
「そんなに長いものではないのですが、なかなか頭に入らなくて……」
笑顔とは裏腹に、机の上に置かれたルーディカの華奢な手が小刻みに震えているのが目に映り、アイリーネはハッとした。
「……ルーディカ、ごめんね」
「えっ」
寒くはないのに冷え切っていたルーディカの手に、温かいアイリーネの手のひらが重なる。
「ルーディカこそ大変なときなのに、私ときたら自分のことばかりに気を取られて……」
「そんな……」
「ルーディカはいつも他の人のことを気遣ってくれるのにね」
アイリーネは「私が眠ってたから、灯りも最小限にしてくれてたんでしょ?」と席を立ち、部屋のあちこちに据えられていた燭台の蝋燭に火を灯して回った。
「ルーディカはきっと、国民思いの素晴らしい王女様になるよ」
アイリーネが机の方に戻ってくると、ルーディカはいつの間にか深くうなだれていた。
「どうしたの?」
不思議そうにアイリーネが呼び掛けると、沈痛な声が返ってきた。
「……私の方こそ……自分本位で、邪ですのに……」
深刻そうな幼なじみを、アイリーネは戸惑いの目で見る。
「……アイリ様は、私のような平民育ちの田舎の薬師が、なぜ王位を継ぐなどと大それた決心をしたのか分かりますか?」
「えっ……それはやっぱり、王太子殿下の長子として生まれたことへの使命感と、お一人で重責を担っていらっしゃる国王陛下をお支えしたいから……じゃないかな」
ルーディカは「アイリ様は私を買い被っておいでです」と、物憂げにまつ毛を伏せた。
「もちろんそういう思いもあります。フォルザの祖父母が陛下に託した私宛ての手紙を読んだというのも……」
それには、大切に育ててきたルーディカへの深い愛と、これからは父親から受け継いだ資質を国のために活かして欲しいという願いがしたためられていたのだという。
「また、コガー様の日記を実際に見せていただき、今は亡き父の望みを知ったからというのもあります」
侍従の日記には、離れて暮らす娘のことをずっと気にかけていた王子が、フィンの母親となった女性と結婚を誓い合った際に、「叶うことなら、王太子様の正統な長子であるフォルザの姫君とご一緒に家庭を築いていきたいです」と彼女から求められたことにも後押しされ、ルーディカを手許で育てたいと再び祖父母に願い出るつもりだったことが綴られていた。
「――でも、一番大きな理由は」
ルーディカは恥じ入るように身を縮める。
「わ……私が王族になれば……何の差し支えもなくキールト様との結婚が許されるから……」
罪を告白して裁きを待つ咎人のようにぎゅっと目をつぶったルーディカを、アイリーネは珍しいものでも見るかのように眺めた。
「……そんなことを後ろめたく思ってるの?」
気が抜けたような声に、ルーディカは驚いてまぶたを開く。
「えっ……」
「公に結ばれるっていうのは、二人の悲願だよね? 邪でも何でもないじゃない」
きょとんとするルーディカに、アイリーネは「ここにオディがいたら、きっとこんな風にまくし立てるよ」とニヤリとした。
「『継承者問題が解決する上に、長い間一途に想い合っていた恋人たちの願いが叶うんだから、一石二鳥じゃない! いいえ、二鳥どころじゃないわね。陛下の孤独も慰められるし、賢くて誠実で美しい王女様がいてくれることで国民の幸福度も上がるんだから、一つの石で何羽仕留められるのか分からないくらいだわ!』……って」
「……まあっ」
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「アイリ様……」
ルーディカが少し瞳を潤ませながら笑みを浮かべたそのとき、ふいに部屋の扉を叩く音がした。
「あ……」
二人は目を見合わせる。
立ち上がろうとしたルーディカをアイリーネはやんわりと制し、意を決したように言った。
「私が出る」
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