年下騎士は生意気で

乙女田スミレ

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42 王の御前で

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 唖然とした形のまま、皆の表情が固まる。

「……婚約は、できぬ……?」
 オーシェン王も、驚きを隠せない様子で聞き返した。
「しかしフィンは、そなたから承諾をもらったと……」

「――申し訳なく存じます」
 アイリーネは再び目を伏せる。

「もしや、フィンが王子だと知って負担に感じたのか?」
「……そうではございません」

「リーネ……」
 フィンが呼び掛けても、アイリーネは黙ったままで一瞥もしなかった。

 こわばった横顔をしばらく眺めた後、フィンは王に向き直った。
「やはり、お許しはできるだけ早くいただきたいと思います」

 すぐさま冷ややかにアイリーネが打ち消す。
「要りません」

 フィンは眉根を寄せてアイリーネを見ると、また王に願い出た。

「行き違いがあったのは確かですが、二人で話し合って解決しますので、ご提案通りに結婚の許可を……」
「要りません……!」

 断ち切るように言葉を被せられたフィンは、アイリーネに向かってもどかしそうに訴えた。
「リーネ、婚約は進めてもらおう」

 フィンの方は見ずにアイリーネは抗議する。
「勝手に決めないで」
「じゃあ、ちゃんと話をさせてくれよ」
「……話すことなんて」
「俺はあるし……!」
「私はない……!」

 だんだん語気が強くなってきた二人に、ヴリアンは遠慮がちに忠告した。
「ちょっと君たち、陛下の御前だよ……」

 当のオーシェン王は特に不快そうでもなく、ただ物珍しげにやりとりを眺めている。

「リーネ、結婚はもっと先でもいいだろうけど、婚約は調えといた方がいい」
「できないって言ってるでしょっ……!」

 突き放すように言い放たれ、フィンは焦れたように声を大にした。
「――子供ができてたらどうするんだ!?」

 呆気にとられたような沈黙が場を包む。

「……な……」
 ついにフィンの方を向いたアイリーネの顔は、真っ赤に染まっていた。

「な、なんてこと……を……」
「あ……」
 それを見たフィンも赤くなる。
「わ、悪い……」

 一度は口をつぐんだフィンだったが、再び真剣なまなざしでアイリーネを見据えた。
「――でも、大事なことだろ?」

 この国は、身分を問わず婚前交渉にはわりあい寛容だが、貴族社会では正式な婚約を結んでいない段階での妊娠となると、醜聞のように語られがちだ。

「俺は昨夜、決していい加減な気持ちで、あんな――」
「やめてっ!」
 声を叩きつけるようにして、アイリーネはフィンの言葉を遮った。

「こ、こんなところで……信じられないっ……!」

 胸元まで朱に染めたアイリーネは席を立ち、王の方に向き直る。

「た……大変失礼いたしました、陛下」

 居たたまれなさでいっぱいになりながら、アイリーネはぎこちなくお辞儀をした。

「……わ、私はこれにておいとまさせていただきたく存じます……」

 そう言うなり、顔を伏せたままアイリーネは秘密の通路へと駆け込んでいった。

「リーネ!?」
 慌ててフィンも立ち上がり、後を追う。

 長い裾が邪魔をして思うように足が動かせず、薄暗い通路の途中でアイリーネはいとも容易たやすくフィンに捉まった。

「放してっ……!」

 フィンはアイリーネの手首をつかみ、向き合う姿勢で壁に押し付ける。
「リーネ、聞いてくれ」

「何を!? 昨夜だって大事なことは全然話してくれなかったのに!」
「そ、それは……本当に悪かった。おまえに結婚を承諾してもらったのが嬉しくて、ついうっかり……」
「ついうっかりで、するのを忘れていい話じゃないでしょ!?」
「でもおまえは、俺がどんな立場でも構わないって言ってくれたし……」
「あんな質問だけで、込み入った事情まで汲み取れるわけない!」

 アイリーネはフィンを睨みつけた。
「……放してよ」

「いやだ」
 フィンも断固とした目つきで見返し、アイリーネの手首を押さえつける力をさらに強めた。

 びくともしないのが悔しくて、アイリーネの頭に血がのぼる。

「今すぐ放してっ。さもないと……」
 アイリーネは煙水晶の瞳をぎらぎらと光らせ、ぎりりと歯を食いしばった。

「――はいっ、そこまでそこまで~」

 突然、待ったをかける声が響いたかと思うと、フィンはアイリーネから引き離され、背後からヴリアンに羽交い締めにされていた。

「アイリ、落ち着け」
 キールトはフィンの前に割り込み、殺気立ったアイリーネをなだめるように肩に手を置いた。

「フィン、間に合って良かったねえ」
 ヴリアンは安堵の溜め息をつき、拘束しているフィンの耳許で「頭突きか蹴りか分かんないけど、繰り出されてたら今ごろ君のどこかの急所が大変なことになってたかも……」と囁く。

「――アイリ、戦闘以外での攻撃は許されないってのはよく知ってるだろ?」
 キールトから穏やかにたしなめられ、アイリーネの両目には涙がぶわりと盛り上がった。

「アイリ……」
 心配そうにキールトがアイリーネの頬を撫でると、後ろからフィンが怒鳴る。
「リーネに触んなっ」

「もう~、フィンも頭冷やしなよお」
 暴れ出しそうなフィンの動きをがっちりと封じながら、ヴリアンが呆れ声を出した。
「痴話喧嘩は、もっと微笑ましいものをお願いしたいよ……」

 キールトの向こうから、フィンが叫ぶ。
「リーネ! ちゃんと話そう……!」

「話すことなんてないっ」
「頼むから……」
「もう、ほっといて!」

「――アイリ様」
 狭い通路で窮屈そうに揉み合っている騎士たちをおとなしくさせたのは、柔らかい呼び掛けだった。

 四人が声の方を見ると、先ほどまでいた部屋の明るい光を背負って、ルーディカが静かに佇んでいた。

「今夜は、ここに泊まっていってくださいませんか?」

アイリーネは虚を衝かれたような顔をになって聞き返す。
「……泊まる?」

 頷いたルーディカの後ろから、小柄な宰相が姿を現した。

「皆さま、陛下はつい先ほど、別の通路からこの秘密の区域を抜けられ、寝室へと向かわれました」

 見送りもせずに王を退出させてしまった非礼に一同は顔色を変えたが、安心させるかのように宰相は微笑み、「実に楽しい夕べであった、とのお言伝ことづてを預かっております」と付け加えた。

「それから、積もるお話もおありでしょうし、お望みとあらば、ルーディカ様とキールト様以外の方も今宵はこの区域にお泊まりになることを許す、とも陛下は言い残していかれました。そう広くはない秘められた場所ですので、寝室はふたつしかないのですが、それぞれのお部屋には予備の寝台もございます」

 ルーディカは優しい笑みを浮かべる。
「正式な婚約前なので、キールト様と私は別々のお部屋で寝泊まりしているんです。ひとりではなんだか心細いので、アイリ様も一緒にやすんでいただきたくて」

「わあっ、そうさせてもらいなよ、アイリ」
 ヴリアンは、大げさなほど明るい調子で後押しした。

「そうだ、フィンもキールトの寝室に泊めてもらえばいいじゃない! この先、義理の兄弟になるんだしさ。うちの別邸には、僕ひとりで帰るね!」
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