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39 ふたつの恋の忘れ形見 中
しおりを挟む「初恋の人を喪ったダネルドは、そんなことは露ほども知らぬ私たちが持ちかけてくる縁談には全く興味を示さず、失意の日々を送っていた」
王太子としての責務は何とか果たしていたが、誰とも親しく交流しようとはしなくなった。
「ある夜会に出席した際も、ダネルドは最初の挨拶だけをこなし、後は庭園に出て時間を潰していた。――そのときに出会ったのが、のちにフィンの母となる女性だったのだ」
社交界に出て間もない栗色の髪の子爵令嬢は、その可憐さと清楚な佇まいが若い男性たちの間でさっそく評判になっていた。
それが気に入らない同世代の女性たちからときどき嫌がらせを受けていた令嬢は、その夜も巧みな嘘に誘導され、庭へと閉め出されてしまった。
「中から鍵をかけられたため、他の出入り口を探して庭園をさまよっていた彼女は、芝生に横たわってぼんやりと星を眺めていたダネルドに躓いてしまった」
暗がりの中、地面に寝転がっていた人物が盛装していることだけはかろうじて分かった令嬢は、体調を崩した夜会客なのだと思い込み、王子だとは気づかぬまま急いで噴水で手巾を濡らしてきて介抱を始めた。
「しばらくして庭園までダネルドを捜しに来たコガーが二人を見つけ、彼女はせっせと世話を焼いていた相手が急病人などではなく、会場からこっそり抜け出してきた王太子だったということを知り、大いに慌てたらしい」
コガーはその夜の出来事を日記にしたため、「久しぶりに殿下が笑っていらっしゃるのを見た。――本当に久しぶりに!」と弾んだ調子で締めくくっている。
子爵令嬢との出会いを境に、止まったままだった王子の時間は、再びゆっくりと動き始めた。
王子はその令嬢が顔を出すような慈善関係の集まりには進んで足を運ぶようになり、二人の距離は徐々に縮まっていった。
「彼女の温かい人柄を知るにつれ、惹かれていくのを自覚したダネルドは、ある日、フォルザで起きたことを包み隠さず打ち明けたのだそうだ」
子爵令嬢は、まるで自分の身に起きたことのように王子に心を寄せ、恋人の死を悼み、遺された娘を思いやった。
「親身な優しさに慰められて、力づけられたダネルドは、彼女と共に生きる未来を考えるようになっていった」
そしてついに王子の想いは溢れ、王室主催の慈善市が行われた日、控え室で令嬢と二人きりになったときに、結婚を前提とした交際を申し込んだ。
「――しかし、彼女の答えは『私には荷が重すぎます』だった」
令嬢は思いつめたような顔をして、「あなたのことは大好きです。でも、私のような者に王太子妃は務まりません。どうか良き友人のままでいてください」と固辞した。
当時、王子のお妃候補だと噂されていたのは、近隣国の王女たちや自国の公爵令嬢たちで、子爵の娘という立場では気後れしてしまうような錚々たる女性たちばかりだった。
「ダネルドはコガーに、『このいまいましい身分が、愛する女性をいつも遠ざける……』と嘆いたらしい」
しかし、もう二度と大切なものを失いたくない王子は諦めなかった。
「繰り返される真摯な求婚に、令嬢の心は少しずつほぐれていき、ようやくダネルドの想いは受け容れられ、二人は結婚を誓い合った」
ちょうどそのとき、国王夫妻は少し離れた友好国を訪問していたため、即座に婚約を調えるための報告をすることはできなかったが、王子は愛の証として印章指輪を彼女に渡し、首を長くして両親の帰りを待っていた。
「――だが、私たちが国を空けている間に、悲しい事故が起きた」
狩りの最中に腕をかすめた矢傷が原因で、王子はあっけなく帰らぬ人となってしまったのだ。
「ひっそりと温められていた交際は侍従のコガーしか知らなかったため、令嬢は葬儀でも他の貴族たちに紛れてダネルドを見送った。……しばらくして彼女は身ごもっていることに気づいたが、誰にも真実を告げることなく産むことを決心した」
未婚の年若い娘の妊娠を知った子爵家は大騒ぎになり、相手について黙して語らぬ娘に困り果てた子爵夫妻は、悪評を恐れ王都から離れた別荘に移して出産させた。
そのため大きな噂は立たず、王子の葬儀後すぐに宮仕えを辞して王都を離れたコガーがそのことを知ったのは、令嬢が五歳になったフィンを連れてモードラッド伯爵の後妻になってからだった。
「数年の時を経て、途切れていた侍従の日記に新たな文章が書き加えられていた」
避暑に来ていたモードラッド伯一家を近所で偶然見かけたコガーは、息が止まりそうになるほど驚いた。
かつて王子と結婚の約束をした子爵令嬢が連れていた、金色の髪に水色の瞳をした小さな男の子に、幼少期の王子の姿がぴったり重なったからだ。
「面差しも似ていたようだが、フィンの幼い頃の髪色は今よりも明るく、ダネルドの金髪を思わせる色合いだったようだ」
コガーは慌ててモードラッド伯夫人となっていた女性に声を掛け、二人は話をした。
事情を聴いたコガーは、遺児の存在を王室に伝えるよう勧めたが、夫人は首を縦には振らなかった。
「稚いフィンを自分の手が届かないところに連れていかれるのは耐え難いし、嫁してまだそれほど経ってはいないが、母子を温かく迎えてくれた夫や息子たちと一緒に穏やな家庭を作っていきたいというのが、夫人の願いだった」
無理を強いることも、密かに王に注進することも、コガーにはできなかった。
「コガーは、『フォルザにおられる小さな姫君のことも含め、国王陛下ご夫妻がお知りになったら、どれほど心慰められ、喜ばれるだろうか』と思いながらも、『慈しみ育てていらっしゃる方たちからお子様がたを引き離すことを、王子は望まれないだろう』と、大きな秘密を自分の胸の内に納めることにしたのだ」
その上で、コガーは夫人に「運命は時として不思議な巡り合わせを招くものです。この先、私は口外するつもりはありませんが、将来、立派な大人となられたご子息が、この王国からどうしても必要とされるときが来るかも知れません。今は掌中の珠のように手放したくはないでしょうが、万が一そのようなことが起きたときには、ご自身に選ばせて差し上げていただきたい」と頼んだ。
「夫人は『亡き王子は、どんなときも天から与えられた責務を完全に投げ出すようなことはなさらなかった』と振り返り、『あの子が大きくなったとき、もしそんな使命が巡ってくるようなことがあったら、本人の良心に任せます』と言ってくれたのだそうだ」
そのやりとりを記した後、強い筆致で「王女と王子の人生に幸多からんことを」という祈りの言葉が書き込まれ、コガーの侍従としての日記は終わっていた。
「――時を経て、弟コーヘリッグ公爵の孫である放蕩児が成人の年齢に近づき、王位継承者について頭を悩ませていた私のところにコガーの日記が届いた。まさに〝不思議な巡り合わせ〟に導かれるようにして」
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